チェルノブイリ
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ここでは、ウクライナの都市について解説しています。原子力発電所や原子炉爆発事故については チェルノブイリ原子力発電所を、またコンピュータウイルスについてはチェルノブイリ (コンピュータウイルス)をご覧下さい。 |
![ミールから撮影されたチェルノブイリ周辺](../../../upload/shared/thumb/a/a1/ChernobylMIR.jpg/300px-ChernobylMIR.jpg)
ミールから撮影されたチェルノブイリ周辺
チェルノブイリ (ウクライナ語:Чорнобиль、露:Чернобыль、英: Chornobyl/Chernobyl) は、ウクライナの北部、首都キエフの北方、キエフ州に位置するゴーストタウンで、1986年に発生したチェルノブイリ原子力発電所の爆発事故により、放射性物質に汚染され廃墟と化した。
ほとんどの住民は事故後、他所に避難したままだが、少数の(主に年老いた)住民はチェルノブイリで死ぬことを望んだため、完全に無人にはなっていない。事故後の人口は1987年が最も多く約1200人(推定)、2003年現在300人(推定)。人口は減少傾向にある。事故直前の人口は10万人以上いたといわれている。
ウクライナ語ではチョルノブィリ。地名は、ヨモギに近縁のハーブであるニガヨモギを意味する。元は chornyj (黒い) と bylija (「草」あるいは「茎」)とを組み合わせたもので、「黒い草」または「黒い茎」を意味するものである。
都市としての歴史は古く、1193年にルテニア伯爵ロスチスラヴィチ Rostislavich の憲章にその名が現れる。恐らくこの時代は農村であった。その後、リトアニア大公国の領地となり、城も築かれた。その後、ポーランド、次にロシアの支配下に入った。民族や宗教は多様で、ギリシャ正教徒、カトリック教徒がおり、ユダヤ人の大きなコミュニティがあった。1915年にはドイツに占領された。ポーランドとソビエトの戦争もこの地で行われ、その後はウクライナ全体がソビエト連邦に取り込まれるが、1941年から1944年までは再びドイツに占領され、この時代にユダヤ人コミュニティーは消滅した。ソビエト連邦が崩壊すると、1991年からはウクライナに属している。
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[編集] 外部リンク
- No humans, and the wildlife loves it...
- Satellite images of Chernobyl area, Google Maps
- Chernobyl and Pripet Photos, Chernobyl Photos
- Photographs from town Chernobyl, Photos from town Chernobyl
- Nuclear Engineering International's Focus on Chernobyl page
- Impressions of a motorcycle tour through the dead zone of Chernobyl