ダ埼玉
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ダ埼玉(ださいたま)は、「ださい」と「さいたま」をかけた合成語で、埼玉県及びその県民を揶揄した語。県庁所在地のさいたま市を揶揄する時にも用いられる。
[編集] 背景
元々、埼玉県と東京都、それに多摩川を越えた神奈川県の一部は、武蔵国として一つの令制国を形成していた。
第二次世界大戦後、それまで農村地帯が多く、終戦直後は千葉県・茨城県とともに買い出し客が多く、東京都区部周辺から押し寄せたと言われる埼玉県は、東京都区部の人口増加や地価高騰に伴い、その郊外住宅地というイメージが強くなっている。
これらの地域は、政経両面で東京都区部との連関が強くなっており、「首都圏」という語が象徴するように、事実上「東京エリア」である。近年、国の(関東地方出先)行政機関が旧国鉄大宮操車場跡地に大挙移転しているが、その際の施設建設や開発も近年の先進建設技術で行われており、東京都区内の施設に比べて何ら遜色なく規模内容ともに充実している。
埼玉県内は荒川利根川等流域の稲作に適した平地と、関東ローム層に属し水はけが良くイモ、ダイコンなど根菜類の畑作に適した台地、秩父に近い丘陵地があり地域特性に差がある。東京多摩地域が未だに風景豊かな近郊の面影を残しているのと同様に埼玉県内も民俗学的に価値ある風物が残存している。そして新たな開発が作り上げたニュータウンの持つ住民文化が今現在旧来のそれと一体となり興味深い。
「ダ埼玉」なる俗表現も新旧各住民意識の葛藤の上に発生流布している。歴史的には律令制度下(荒川下流である)東京と一体を成していた豊かな農業地域がこうした捉え方をされるのは、明治以来の東京一極集中による急速な日本社会の近代工業化の負の側面を物語っている。日本社会の政治志向として、農村経済域では保守政治風土が幅を利かせている。埼玉も農業風土であり、古くからの土着住民は保守政治の信奉者である。
新たに住居を求めて転入した新住民は、東京の革新政治と異なる政治環境に疑問失望を抱き、地域に加え地域土着風土を揶揄する表現として使用したともいえる。
最近では団塊世代(昭和20年代前半生まれ)の離退職とともに、住民の地域的な紐帯が見直されており、(一旦は関心の外において東京中心の経済活動に猛進した)彼らの壮年期に広まった「ダ埼玉」表現も現実から離れてしまっている。
高度経済成長期に続く(バブル期の)東京中心開発時代も一旦区切られ、東京と住環境全てを比較するという思考が変化しており、河川上流下流である埼玉東京の新たな関係が全国的な人口動態変化(少子高齢化)の中で問われている。
なお、最初にこの言葉を用いたのはタモリ(森田一義)だといわれ、1980年代にテレビのネタで使用したとされる。
特に近年では、合併によって発足した「さいたま市」のネーミングを批判する意味で使われる事も多い。批判される要因は「さいたま市#名称問題」「ひらがな・カタカナ地名」も参照する事。