スライ&ザ・ファミリー・ストーン
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スライ&ザ・ファミリー・ストーン(Sly & The Family Stone)は、主として1967年から1975年にかけてサンフランシスコを本拠地として活動した、アメリカの人種性別混合ファンクロックバンド。
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[編集] メンバー
- スライ・ストーン(1943-) - ヴォーカル&キーボード&ハーモニカ。強烈なアフロヘア+もみあげにサングラス、キーボードを弾きながら歌う
- フレディ・ストーン(1946-) - ヴォーカル&ギター。スライの弟
- ローズ・ストーン(1945-) - ヴォーカル&キーボード。スライの妹。ロージーとも名乗る
- シンシア・ロビンソン(1946-) - ヴォーカル&トランペット。スライの高校時代の友人。のちスライとの間に私生児シルヴェットを生む
- ラリー・グレアム(1946-) - ヴォーカル&ベース。シンシアの親戚。1972年に脱退し、ラスティ・アレン(1953-、白人)に替わる
- ジェリー・マルティーニ(1943-) - サックス
- グレッグ・エリコ(1949-) - ドラム。1971年に脱退し、1973年にアンディ・ニューマーク(1950-、白人)に替わる
[編集] 歴史
スライ・ストーン(本名シルヴェスター・スチュアート)はテキサス州デントンに生まれた。父K・C・スチュアートは教会の助祭。幼い頃に一家でカリフォルニア州ヴァリェーホに移住。少年時代から音楽の才能を発揮し、1952年には、弟のフレディや2人の妹(ローズ、ヴィエタ[のちヴェット])と共に「スチュアート・フォー」というコーラスグループを結成して、On the Battlefield of the Lord(主の戦場にて)というレコードを吹き込んだことがある。
ヴァリェーホの高校でシンシア・ロビンソンと知り合った。フィリピン系の同級生を交えてヴィスケインズ(The Viscaynes)という人種混合ドゥーワップバンドを結成したこともある。この頃のスライの芸名はダニー・スチュアート。
高校を卒業してから地元のコミュニティカレッジに進み、音楽理論を学ぶ。卒業後、1963年にDJとしてサンフランシスコのラジオ局KSOLに入り、ビートルズやジェームス・ブラウンやボブ・ディランやローリングストーンズなど、人種にとらわれない多様な音楽を吸収した。この頃、オータム・レコーズ社で、ボー・ブランメルズやボビー・フリーマン、モジョ・メンやジェファーソン・エアプレインなどのレコードをプロデュース。同時に、彼自身も数枚のソロシングルを出したが、このときは鳴かず飛ばずに終わった。
1966年にシンシアたちとスライ&ザ・ストーナーズというバンドを結成。同じ頃、弟のフレディがフレディ&ザ・ストーン・ソウルズというバンドを結成。このフレディのバンドにいたのがグレッグである。1967年、ジェリー・マルティーニの呼びかけに応えて二つのバンドが合体し、スライ&ザ・ファミリー・ストーンが誕生した。スライの末の妹ヴィエタは、メアリ・マクリアリー(のちレオン・ラッセルの妻となる)やエルヴァ・ムートンと共にコーラスグループ"リトル・シスター"の一員として、スライ&ザ・ファミリー・ストーンのバックヴォーカルに参加した。
デビューシングル"I Ain't Got Nobody"をロードストーン・レコーズから出してヒットしたところ、CBSレコーズのクライヴ・デイヴィスが評判を聞きつけてアプローチしてきたため、CBSのエピック・レコーズと契約。1967年にファーストアルバム"A Whole New Thing"とシングル"Underdog"を出し、絶賛はされたものの、売り上げの面では失敗に終わった。
デイヴィスから「もっとポップな曲を」と要求されたため、渋々ながら出したシングルが1968年2月の"Dance to the Music" だった。この曲はビルボード8位を記録し、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの名を初めて全米に轟かせた記念すべき曲となった。このシングルを出す直前にローズが参加している。彼女は結成当初から参加を勧められていたが、地元のレコード店での安定した職をなげうつ決断がつかず、先延ばしにしていたものである。
アルバム"Dance to the Music"の売り上げは好調だったが、次に出した"Life"は商業的に成功しなかった。しかし売れ行きに関係なく、この二枚のアルバムの影響力は絶大で、1968年9月には英国ツアーも予定されていたが、ラリーがマリワナ所持で逮捕されたためにコンサートはキャンセルとなった。
1968年の暮れにシングル"Everyday People"をリリース。このバンドにとって初めてのナンバーワンヒットとなった。この曲はあらゆる偏見に対するプロテストソングであり、最も健全だった時期のスライ&ザ・ファミリー・ストーンの思想を代表している。1969年にはウッドストック・フェスティバルに出演し、愛と平和と人種統合の理想を背景に時代の寵児となった。
しかし、同じ頃すでにリーダーのスライ・ストーンは麻薬中毒に侵されていた。スライが薬物に走った理由の一つは人種問題から来る軋轢で、黒人選民思想を説くブラックパンサーは、スライに対してグレッグとジェリーをバンドから追い出し、もっと黒人寄りの曲を作るように圧力を掛け続けた。薬物の影響で人格に荒廃を来たしたスライは、仲の悪いラリーにバンドの主導権を乗っ取られるのではないかとの妄想に取り憑かれ、銃を振り回し、何度となく逮捕起訴され、コンサートで大幅な遅刻とキャンセルを繰り返した。スライがラリーを殺そうとしたこともある。そのためにバンドは分解状態となり、プロモーターから見捨てられ、ファンの支持を失った。1975年1月にはラジオシティ・ミュージックホールでの公演の大失敗(僅か8分の1しか客席が埋まらなかった)を機に、とうとう活動を停止した(ただし公式の解散は1981年)。バンドが崩壊しつつあった時期の最後の輝きともいえるアルバムが1971年の"There's a Riot Goin' On"(暴動)で、一時期のスライとは似ても似つかぬ暗いトーンで仕上がっている。なお、このアルバムの題名はマーヴィン・ゲイの"What's Goin' On"(1970年7月)に対する返答だという説もあるが、憶測の域を出ない。
以後、スライはソロアーティストとして数枚のアルバムを出したが、いずれも全盛期ほどの評価は得られなかった。フレディはグレアムセントラルステーションでの活動を経てショービジネスの世界から足を洗い、薬物中毒を治し、故郷ヴェリェーホで牧師となったが、今なお音楽活動を続けてCDをリリースしている。ローズは1976年にモータウンから一枚だけアルバムを出した後、やはりショービジネスの世界から足を洗い、フレディの教会で歌っている。
スライは短期の服役生活を経て1980年代後半に麻薬中毒から回復し、女助手2名と共にビヴァリーヒルズ近郊で永らく隠遁生活を送っている。時には自宅のスタジオで新曲を録音することもあり、その中の数曲("Coming Back For More"を含む)はブートレグとして流出している。
2005年8月15日、妹ヴェットが参加しているファミリー・ストーン・トリビュート・バンド"ファンク・ファミリー・アフェアー"のロサンゼルス・コンサートにスライも加わって久しぶりに人前に姿を現し、演奏の間じゅうヘルメットを被ったままだったものの、往年のファンたちの間に話題を呼んだ。
伝えられるところによれば、スライは目下、ファンク・ファミリー・アフェアーのために新曲を作っているという。2005年11月、スライはこのバンドを"ザ・ファミリー・ストーン"と改名した。目下、スライはこのバンドのデビューアルバムをプロデュースする準備中である。
このほか、ジェリー・マルティーニはザ・ファミリー・ストーン・エクスペリエンスというバンドを結成し、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの伝説を継承すべく努めている。
なおジョニー・ギター・ワトソンの1996年のアルバム"Johnny Guitar Watson & The Family Clone"はスライ&ザ・ファミリー・ストーンを意識している。また日本のミュージシャンスガシカオのツアー時のバンド名"Shikao & The Family Sugar"は、スライ&ザ・ファミリー・ストーンのもじりである。
2006年2月8日、スティーヴン・タイラーたちによるスライへのトリビュートアルバム"Different Strokes By Different Folks"(2005年7月12日リリース)がグラミー賞にノミネートされたことに伴って、グラミー賞授賞式の会場に、金髪・モヒカン・サングラス・銀ラメスーツ姿のスライが登場し、グレッグ・エリコやシンシア・ロビンソンやヴェット・ストーンたちと共に"I Want To Take You Higher"を演奏、ファンたちの間に波紋を呼んだ。
[編集] 代表作
- 1968: "Dance To The Music"
- 1969: "Everyday People"
- 1969: "Stand!"
- 1969: "I Want to Take You Higher"
- 1969: "Hot Fun in the Summertime"
- 1970: "Thank You (Falettinme Be Mice Elf Agin)"
- 1970: "Everybody Is a Star"
- 1971: "Family Affair"
- 1972: "Runnin' Away"
- 1973: "If You Want Me to Stay"
- 1974: "Time For Livin'"
[編集] 関連人物
- アイク・ターナー
- アース・ウィンド&ファイアー
- クール&ザ・ギャング
- ジェームス・ブラウン
- ジャクソン5
- ジョー・ヒックス
- ジョージ・クリントン
- スティーヴィー・ワンダー
- ハービー・ハンコック
- ハンプ・ババ・バンクス
- ビリー・プレストン
- ファンカデリック
- ブラック・アイド・ピーズ
- プリンス
- ボビー・ウォーマック
- マイケル・ジャクソン
- マイルス・デイヴィス