シルクジャスティス
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性別 | 牡 |
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毛色 | 栗毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1994年3月18日 |
死没 | (現役種牡馬) |
父 | ブライアンズタイム |
母 | ユーワメルド |
生産 | 早田牧場新冠支場 |
生国 | 日本(北海道新冠町) |
馬主 | 有限会社シルク |
調教師 | 大久保正陽(栗東) |
競走成績 | 27戦5勝 |
獲得賞金 | 4億5797万円 |
シルクジャスティスは日本の競走馬である。1997年の有馬記念などに勝利した。
目次 |
[編集] 戦績
3歳(現表記で2歳)の10月にデビューしたが、初勝利までに5か月、7戦を要した。だが、デビューから8戦目の毎日杯で3着に入ると、続く若草ステークス、京都4歳特別(このレース以降は全てのレースで藤田伸二が騎乗した)を連勝し、日本ダービーへ駒を進める。日本ダービーでは後方から鋭く追い込むレース振りで、サニーブライアンの2着に健闘する。秋には京都大賞典を制するも、菊花賞、ジャパンカップを共に5着と惜しいレースが続いた。
しかし、1997年12月21日の有馬記念でマーベラスサンデー、エアグルーヴとの叩き合いを制し、初GI制覇を果たす。それまでのGIでは惜敗続きだったが、藤田伸二はずっと「この馬が一番強い」と信じ続け、その想いが実った勝利となった。
有馬記念以降は、1998年の阪神大賞典で2着に入ったのみで、勝ち星を上げることができなかった。そして、2000年5月27日に行われた金鯱賞で11着に敗れたのを最後に現役を引退した。
[編集] シルクジャスティスとエリモダンディー
エリモダンディーはシルクジャスティスと同じくブライアンズタイムを父に持ち、同じ年に同じ大久保厩舎に入厩した黒鹿毛の牡馬である。馬体重が400kgにも満たない小さな馬で気が弱く、牧場にいた頃他の馬に苛められた事があり他馬を怖がる馬だった。栗東に来てからも他馬に威嚇されても抵抗出来ないでいたのだが、シルクジャスティスはそんな現場を見ると駆けつけてエリモダンディーを庇ってやっていた。そんな事が続くうちエリモダンディーの方がシルクジャスティスを慕うようになり、いつもシルクジャスティスの後ろをついて回るようになった。この2頭は併せ馬のパートナーでもあり、普段は調教をサボりたがるシルクジャスティスもエリモダンディーとの併せ馬だけは真剣に走っていたそうである。だが、エリモダンディーが1998年2月に腸捻転で死亡、シルクジャスティスにとっては併せ馬のパートナーと弟分を同時に失うことになってしまった。これがシルクジャスティスの低迷の始まりとほぼ同時期だったことから、エリモダンディーがいなくなったから勝てなくなった、とするファンもいる。
[編集] 主な勝ち鞍
- 1997年 京都4歳特別、京都大賞典、有馬記念
[編集] 代表産駒
- ウインクプレア(ジュニアグランプリ 盛岡)
[編集] 血統表
シルクジャスティスの血統 (ヘイルトゥリーズン系)/アウトクロス) | |||
父
*ブライアンズタイム Brian's Time 1985 黒鹿毛 |
Roberto 1969 鹿毛 |
Hail to Reason | Turn-to |
Nothirdchance | |||
Bramalea | Nashua | ||
Rarelea | |||
Kelley's Day 1977 鹿毛 |
Graustark | Ribot | |
Flower Bowl | |||
Golden Trail | Hasty Road | ||
Sunny Vale | |||
母
ユーワメルド 1983 鹿毛 |
*サティンゴ Satingo 1970 黒鹿毛 |
Petingo | Petition |
Alcazar | |||
Saquebute | Klairon | ||
Synaldo | |||
ビーチガール 1983 鹿毛 |
*セダン Sedan |
Prince Bio | |
Staffa | |||
メリーブラット | *Tesco Boy | ||
コンチネンタル F-No.4-m |