カート・アングル
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男子 レスリング・フリースタイル | ||
金 | 1996 | 100kg級 |
カート・アングル(Kurt Angle、1968年12月9日 - )は、TNA所属のプロレスラー。アメリカペンシルバニア州ピッツバーグ出身。
カート・アングルは1996年のアトランタオリンピックでのアマチュアレスリングフリースタイル100kg級金メダリスト。その他全米選手権を6度制した実力の持ち主であり、総合格闘技で活躍したマーク・ケアーやシルベスター・ターカイにも勝利している。プロレス史上、最高のアマチュアレスリング戦歴を持つといっても過言ではない。
実際のファイトスタイルも関節技、投げ、寝技を主体とするもので、特にアキレス腱を攻め上げる得意技のアンクル・ロックにタップアウトしたレスラーも多い。さらに試合が佳境に入るとレスリングスーツの上半身をはだけ、関節、寝技に打撃も加えた器用さを発揮する。元々レスリング主体のスタイルのため打撃がさほど得意ではないが、それでもパワーはあるため、命中さえすれば大ダメージを与えられる。カートはこのように非常に試合に幅があり観客を飽きさせないレスラーであり、評論家の評価は高い。
キャラクターとしては、金メダルを鼻にかけエリート意識を剥き出しにするキャラ性で、アスリートとしての類い希なる実力よりも、ずるさを前面に押し出したヒールを演ずることが多い。それゆえ、カートが入場する際には曲に合わせて「You Suck!!」(日本での放送では「へなちょこ」と訳されている)と観客が大合唱するのが恒例となっている。この合唱が定着したことにより、元々「Medal」であったテーマ曲の名前が「I Don't Suck(Really)」と変更された。(なお、このテーマ曲はカートがデビューする以前からパトリオットやサージェント・スローターなど複数のレスラーに使用されていた。)ベビーターンの際には、カート自らが対戦相手を指差して「You Suck」と言いながら入場して、その意味合いを変えている。
目次 |
[編集] 経歴
アトランタオリンピックでの金メダル獲得後、ECWにゲスト出演したことがある。
[編集] 1998年
1998年WWE(当時WWF)とマイナー契約し、ドリー・ファンク・ジュニアやトム・プリチャードのコーチを受ける。
[編集] 1999年
1999年11月にWWE公式デビュー。以降瞬く間にWWEのメインキャラクターになっていき、王座を次々と奪取していく。
[編集] 2000年
2000年10月22日にはザ・ロックを破りWWF王座を戴冠。2000年には当時はギミック上の夫婦であったトリプルHとステファニー・マクマホンとの三角関係ストーリー、またストーン・コールド・スティーブ・オースチンとの抗争を展開するなど、試合のみならずストーリーにおいても中心人物の一人となっていく。
[編集] 2002年
2002年のWWETV番組分割時にスマックダウンに所属。シェルトン・ベンジャミン、チャーリー・ハースらのアマレス経験者と共に、カートがリーダーとなってチーム・アングルを結成。後カートはチーム・アングルから追い出される。
[編集] 2003年
2003年のWrestleMania XIXでのブロック・レスナーとの試合以降、首の治療のための欠場を経てベビーフェイスに転向する。
[編集] 2004年
2004年の2月にヒールターン。持病の首や2003年末に痛めていた足の怪我の治療を行うために、レッスル・マニア20の後レスラー活動を一旦停止する。但し、スマックダウンのGMに就任し、番組には出続けた。GM就任の際は、足の怪我が原因で車椅子生活となり二度とレスラーに復帰できない、というギミックが設定されていた。怪我の具合がよくなると、マスクマンに扮して試合に乱入したり車椅子から立ち上がって松葉杖で攻撃したりなどしていた。2004年7月にプロレスラーに復帰。復帰の際はビンス・マクマホンがスマックダウンにやってきて、GM職からの解雇と試合復帰を命じるストーリーが描かれた。デビュー前の「地元の英雄」レスラーをリングに招待し、3分間自身の攻撃に耐えたら金メダルをプレゼントするという「招待試合」を行う。
[編集] 2005年
Royal Rumble 2005ではWWE王者のJBL、ビッグ・ショーとトリプルスレット形式で王座に挑戦するも、JBLのクローズライン・フロム・ヘルを受けて敗戦。試合後にナンジオのロイヤルランブル・マッチ出場権を強奪し、急遽参戦するもショーン・マイケルズによって敗退させられる。激昂したカートは敗退後に乱入し、マイケルズをリングアウトにさせてから鉄階段を使って攻撃。この事件が後のカートとマイケルズの抗争の始まりとなる。
Royal Rumble 2005以降、WrestleMania 21で行われるWWE王座戦挑戦者決定トーナメントに参戦。2月5日に開催された日本初のTVショーでレイ・ミステリオを撃破して1回戦突破。2回戦の対戦相手となる予定であったジ・アンダーテイカーとレネ・デュプリーの試合がダブルカウントアウトで両者失格になった為、そのまま無条件でNo Way Out 2005で行われるトーナメント決勝戦に進出。
2005年のドラフトによりRAWに移籍。ユージンと金メダルを賭けての抗争を経て、GMのエリック・ビショフと組みジョン・シーナとの抗争を開始。11月からはデバリがカートのマネージャー役としてジョン・シナとの抗争に加わった。
[編集] 2006年
2006年1月2日に開催されたその年最初のRAWではWWEでは5年ぶりとなるファースト・ブラッド・マッチを行い、シナに勝利。New Year's Revolution 2006では自身初となるエリミネーション・チェンバー・マッチに参戦するも敗退。
1月13日に開催されたSmackDown!でバティスタが怪我で返上した世界ヘビー級王座を巡るバトルロイヤルに急遽参戦して勝利を収め、王座に輝いた(この時ベビーターンする)。復帰理由としてはRAWとの契約が2005年12月31日限りで切れたという事。1月16日のRAWにも出場し、2005年に抗争状態となっていたマイケルズとRAW最後の試合を行う。この試合で介入したデバリがイスでカートに誤爆。この事が原因でマイケルズに敗戦した為にカートは激昂してデバリにアングル・スラムを浴びせ、マネージャーのクビを通達する。1月20日に開催されたSmackDown!でデバリと対戦。Royal Rumble 2006で王座戦を行う予定のマーク・ヘンリー陣営の介入により反則裁定で勝利するも、デバリがカートに決別宣言を叩きつけてヘンリーのマネージャーに就任。以降ヘンリー、デバリとの抗争を開始する。Royal Rumble 2006では、メインでヘンリーとの世界ヘビー級王座戦で勝利し防衛。その試合終了後にジ・アンダーテイカーが出現して、No Way Out 2006での王座挑戦を宣言。王座戦決定後もヘンリー陣営との抗争は続き、王座戦の対戦相手であるテイカーとも共闘している。No Way Out 2006のメインではテイカーと激闘の末に防衛。WrestleMania 22ではロイヤルランブル・マッチ優勝者のミステリオ、No Way Out 2006でミステリオから一旦王座挑戦権を奪取したランディー・オートンとトリプルスレット形式でSmackDown!のメインで対戦するも、ミステリオに敗れて王座陥落。
WrestleMania 22以降、SmackDown!で復活したキング・オブ・ザ・リングに参戦し、1回戦でオートンを撃破。しかし4月28日に開催されたSmackdonw!でミステリオとの世界ヘビー級王座戦中に乱入したヘンリーのテーブル貫通ボディスプラッシュを浴びて負傷。そのまま2回戦を辞退した。その後Judgment Day 2006でヘンリーに挑戦するが、カウントアウト負けを喫している。
5月29日に開催されたRAWでポール・ヘイマンからドラフト指名を受けECWに移籍。ヒールターンをしてECWと敵対したミック・フォーリーにアングル・スラムを浴びせた。ECW One Night Stand 2006ではオートンと対戦して勝利。復活したECW第1回放送でジャスティン・クレディブルに勝利した後、Vengeance 2006でのオートンとの再戦を宣言。Vengeance 2006では「WWEルール」でオートンと対戦するも敗戦。
6月27日に開催されたECWでのロブ・ヴァン・ダムとの対戦以降、しばらく欠場していたが、8月1日に開催されたECWで復帰。8月8日に開催されたECWでサブゥーとのECW世界ヘビー級王座第一挑戦者決定戦を行うも、ロブ・ヴァン・ダムの介入によりノーコンテスト。8月15日に開催されたECWでロブ・ヴァン・ダム、サブゥーとのトリプルスレット形式ラダー・マッチに出場する予定であったが、股間の怪我で欠場した。
8月25日、個人的な問題や健康状態(痛み止め薬の服用など)を理由にWWEから解雇された。WWE側からのプレスリリースでは「円満退団」とされていたが、実際はアングルはWWE側の「要求」を受け入れずにWWEが解雇扱いにしたと言われている。9月、プロレスを引退しての総合格闘技への参入を表明した。だが、これはTNA参戦をカモフラージュさせるためのフェイクだったとも言われている。
9月25日、全米第二の規模の新興プロレス団体TNA と電撃的に契約したと発表。10月9日初登場すると、いきなり同団体のトップレスラー、サモア・ジョーとの抗争をスタートさせた。
しかし将来的にはWWE殿堂入り確実、と言われるだけの選手であるためWWEへもいずれは復帰するのでは、という噂がたっている。
[編集] 必殺技
- アングル・スラム(オリンピック・スラム)
- アンクル・ロック(アングル・ロックとも)
- フロント・スープレックス
- ジャーマン・スープレックス
- ムーンサルトプレス(隠し技)
[編集] タイトル履歴
[編集] プロレス
- WWF/WWF・WCW統一王座 : 1回
- WWE/WWE王座 : 4回
- WWF/世界ヘビー級王座 : 1回
- WWF/IC王座 : 1回
- WWF/ハードコア王座 : 1回
- WWF/ヨーロピアン王座 : 1回
- WWE/WWEタッグ王座 : 1回(&クリス・ベノワ)
- WWF/2000年キング・オブ・ザ・リング優勝
- WCW/世界ヘビー級王座 : 1回
- WCW/US王座 : 1回
[編集] アマチュアレスリング
- ペンシルバニア州レスリング王者(1987年)
- 1988年度新人賞(クラリオン大学)
- NCAA(フリースタイル)レスリング選手権王者 : 2回
- エスポワール世界選手権2位(1989年)
- Yasar Doguトーナメント2位(1989年)
- カナダ杯優勝(1990年)
- アトランタオリンピック - フリースタイル100kg級金メダル(1996年)
- National Amateur Wrestling Hall of Fame (2001年)
[編集] その他
- 2002年にはWWEタッグ王座の獲得により、WWE史上4人目のグランドスラムを達成。