オマール・リナレス
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男子 野球 | ||
金 | 1992 | 野球 |
金 | 1996 | 野球 |
銀 | 2000 | 野球 |
オマール・リナレス(Omar Linares, 1967年10月23日 - )はキューバ出身の元野球選手(内野手)。日本プロ野球の中日ドラゴンズでは主に一塁手としてプレーした。
17歳の時にキューバ・ナショナルチームに入り、以後3番サードとしてオレステス・キンデラン(元シダックス)らとともに世界選手権4連覇、バルセロナ・アトランタ五輪連覇など野球キューバ代表の主軸として国際大会で活躍。全盛期は国内リーグ初の三冠王に輝き、都度々対戦した日本の野球関係者が「エラーしたのを見たことが無い」と言うほど三拍子揃った選手として知られ、「キューバの至宝」と称された。当時巨人監督だった長嶋茂雄が来日を熱望したことから「ミスターの恋人」としても話題もなった。
2002年にナショナルチームの世代交代に伴い代表を引退。その年のシーズン途中より電撃的に中日ドラゴンズに入団。報酬額としては日本円にして年600万円ほどであったが、これは社会主義国出身の選手に高額の年俸を支払えない事情に加え、報酬とは別にキューバの球場改装費用(ラバーフェンス設置)を中日球団が受け持ったという事情が挙げられる。
来日前のインタビューで日本のシーズン本塁打最多記録の55本について「それだけなの?」と半ばあざ笑うかの様に自信を見せていたが、中日在籍時には既に30代半ばで全盛期よりも太り、往年のバッティングはすでに影を潜めていた。アウトコース、ボール気味の球をライトスタンドに、弾丸ライナーで叩き込んだ全盛期の打球を見た者にとっては、金属バットと木のバットでは、打球の伸びに天と地ほど差があることがよく分かった。打てなかったのは年齢が原因でなく木製バットが理由と思われる。しかし2004年の日本シリーズでは西武ライオンズに敗れはしたものの、2本塁打を放つなど活躍し、一発勝負での強さを見せた。なおかつヒットはすべて初球打ちであった。同年オフに現役を引退した。
[編集] 略歴
- 投打 右/右
- 出身地 キューバ
- 球歴 サファールドスポーツ大学-キューバ・ビナールデル・リオ-中日ドラゴンズ
- プロ入り年度 2002年