アイオワ級戦艦
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アイオワ級戦艦 | |
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艦級概観 | |
艦種 | 戦艦 |
艦名 | 州名。一番艦はアイオワ州に因む。 |
同型艦: | アイオワ、ニュージャージー、ミズーリ、ウィスコンシン、イリノイ、ケンタッキー |
竣工: | 1943年2月22日(アイオワ) 1943年5月23日(ニュージャージー) 1943年6月11日(ミズーリ) 1944年4月16日(ウィスコンシン) 1945年8月12日建造中止(イリノイ) 1950年1月20日建造中止(ケンタッキー) |
退役: | 1990年 10月26日(アイオワ) 1991年 2月8日(ニュージャージー) 1992年 3月31日(ミズーリ) 1991年 9月30日(ウィスコンシン) |
前級 | サウスダコタ級戦艦 |
次級 | モンタナ級戦艦 |
性能諸元(1943年) | |
排水量: | 57,540 トン(満載) |
全長: | 270.4m |
全幅: | 33.0m |
主機: | 蒸気タービン4基4軸212,000馬力 |
最大速: | 約33.0ノット |
航続距離: | 15ノットで15,000浬(計画) |
乗員: | 1,921名 |
兵装: | 3連装50口径40.6cm砲3基 連装38口径12.7cm両用砲10基 40mm4連装機銃15基 20mm機銃60基 |
航空艤装: | 水上機3機、カタパルト2基 |
装甲: | 舷側 307mm 甲板 153mm 主砲防盾 432mm 司令塔 445mm |
アイオワ級戦艦 (Iowa Class Battleship) は、アメリカ海軍の戦艦。アメリカが最後に建造し、各国の戦艦の中で最後に退役した戦艦である。同型艦はアイオワ、ニュージャージー、ミズーリ、ウィスコンシンの4隻。計画では6隻が建造予定で中止されたのはイリノイ、ケンタッキーの2隻。
ワシントン海軍軍縮条約を脱退した日本に対抗すべく、基準排水量45,000トンの戦艦を計画。当初はサウスダコタ級の兵装と防御を強化した発展型案や防御力を犠牲にした高速戦艦案であったが放棄され、最終的に45,000トンで、40.6cm50口径砲と最大速33ノットのアイオワ級となる。
目次 |
[編集] 性能諸元
[編集] 船体形状
一番艦アイオワは竣工時、露天艦橋であったが1951年の再就役時にはエンクローズ化された。他の艦は当初よりエンクローズ状態で竣工した。二番艦ニュージャージーの艦橋は当初丸みを帯びていた物のこれも後に改修されている。 アイオワ級はその高速力を発揮するため、船体そのものが長く、各国の建造された戦艦の中では最も長い。その為か、動揺性能や対航性の不足が指摘されている。その船体の長さから進水時には船体の破壊が懸念されたため、艦首に保護材を装着し進水を行っている。
[編集] 機関
排水量の制限から、機関の効率化(コンパクト化、高出力化)が求められその結果、212,000馬力と言う高い出力を実現した。ボイラーはサウス・ダコタ級に引継ぎ高温高圧蒸気である。
[編集] 防御装甲
50口径40.6cm砲の採用により、排水量の増大につながる為、やむなくサウス・ダコタ級に準じた45口径40.6cm砲対応の装甲となっている。
[編集] 兵装
主砲の50口径40.6cm砲(Mk7)はサウス・ダコタ級の45口径40.6cm砲(Mk6)をベースとして開発された。使用弾こそMk6と同じだが、装薬を増やして初速を稼いで威力を高めている。副砲は当初15.2cm砲を採用予定であったが結局ノース・カロライナ級やサウス・ダコタ級と同じ12.7cm両用砲が採用された。対空火器は28mm連装機銃や12.7mm機銃が検討されたが、建造中にボフォース社製40mm機銃とエリコン社製20mm機銃が採用された。
[編集] 改修案
アイオワ級は第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争と多くの戦歴を誇るが、平時は予備役にあることが多く、その間にアメリカ海軍はこの巨大艦を活用しようと様々な改修案を計画した。
1940年代末にはミズーリが練習艦、それ以外の艦は予備役にあったがこの頃すでに最初の改修案が計画されている。未成艦であったケンタッキーをミサイル艦として完成させようというものである。当時対空ミサイルの実用化と巡洋艦のミサイル艦化を計画していた海軍はこれに準じた構想としてケンタッキーのミサイル艦化を考えたがこれは実現せずに終わっている。
1950年代末には4隻が予備役にあったが、これらを再びミサイル艦に改装しようという構想が持ち上がっている。これは主砲塔を全て撤去しミサイルと対潜ヘリコプターを搭載するという案と、三番砲塔のみを撤去しミサイルを搭載するという案があったが、いずれも巨額な費用を要すると言うことで具体化しなかった。
1962年には支援火力を持つ強襲揚陸艦として改装しようという案も検討された。三番砲塔を撤去し後部を飛行甲板に改造するという案であった。
その後も様々な改修案が検討されたが、レーガン政権下の「600隻艦隊構想」でアイオワ級四隻の近代化及び再就役が行われ、この際に12.7cm連装砲4基が撤去され、トマホークミサイルの4連装ランチャーが8基、ハープーン対艦ミサイルランチャーが4基、ファランクス20mmCIWSが4基増設された。1940年代から度々構想化されたミサイルの運用がこの改装により実現することとなった。この他にも燃料を重油から蒸留油に変更、レーダーや通信施設などの近代化が行われ、その費用は最初に改修されたニュージャージーの3億3,000万ドルから、ウィスコンシンの5億300万ドルまで巨額な費用が費やされた。
しかしながら当時の海軍はこれだけでなく、三番砲塔を撤去し格納庫と飛行甲板を増設、ヘリコプターやハリアーを運用しようという計画も構想していたという。
近代化が行われた後のアイオワ級は湾岸戦争やニカラグア、レバノンでの作戦活動に従事したが、運用費用が巨額に上ることと多くの乗組員を必要とすることから、国防予算の削減に伴い1992年までには全艦が退役することとなった。
[編集] 参考文献
- 世界の艦船 1998年12月号、2006年2月号
[編集] 関連項目
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