KV-2
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画像はプロトタイプ、1940年 |
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KV-2(1941年型) | |
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性能諸元 | |
全長 | 6.95 m |
車体長 | 6.75 m |
全幅 | 3.32 m |
全高 | 3.24 m |
重量 | 52 t |
懸架方式 | トーションバー方式 |
速度 | 34 km/h(整地) |
15 km/h(不整地) | |
行動距離 | 180 km |
主砲 | 20口径152mm榴弾砲M10 (弾数36発) |
副武装 | 7.62mm車載機銃DTx3 (弾数3087発) |
装甲 | 110 mm |
エンジン | 12気筒液冷ディーゼルV-2K 550 馬力/2150rpm |
乗員 | 6 名 |
KV-2とは、第二次世界大戦中に旧ソ連が設計・生産した重戦車/自走砲で、KV-1重戦車に152mm榴弾砲搭載の巨大な砲塔を据え付けたものである。
その総高4m近い巨体ゆえに、フィンランド兵からはギガント(巨人)と呼ばれ恐れられた。
1939年、フィンランドに侵攻したソ連軍が国境地帯に築かれたフィンランド軍の強固な防衛陣地に前進を阻まれ大損害を蒙った経験から、再度のフィンランド侵攻に際して火力支援用に開発された。
本車の装備する152mm榴弾砲の絶大な火力は開発当初の要望に十二分に答え、現場の兵士からは、「ドレッドノート」の愛称で呼ばれたと言う。しかし分離装薬の砲弾を迅速に装填するために2名の装填手を要し、人の背丈ほどもある砲塔は平坦な土地でしか旋回できなかったという(ターレットリングはKV-Iと同じで、数tもある砲塔を支えきれなかった)。
装甲も前面110mm・側面75mmを誇り、1940年のソ連・フィンランド戦争ではおびただしい数の37mm対戦車砲弾を命中させられたが、まったく損傷を受けなかった。KV-2はカレリア地峡のフィンランド陣地線マンネルハイム線突破に大きく貢献し、ソ連を勝利に導いた。
当初、ほとんどマンネルハイム攻略のみを目的に作られたような戦車で、名称も当初は「大型砲塔付きKV」とKV戦車のマイナーチェンジのような位置づけだったが、マンネルハイムでの活躍によりこの後、新型の六角形の砲塔を持つ量産型が配備され独ソ戦初期にドイツ兵を驚愕させた。
次第に火力支援の主力がより大口径・長射程の牽引火砲やBM-13カチューシャなどに移ると、KV-2は深刻な戦車不足の中通常の戦車と同じように扱われるようになった。初期はドイツ側の戦車を相手に善戦したが、次第にドイツが新型の長砲身砲を装備した戦車を投入するようになると、戦車戦を考慮しておらず全く機動戦のできない総重量52tのKV-2は多くが撃破・鹵獲され、以後は製造されることはなかった(KV-Iを使った自走砲は、ドイツの突撃砲に似た固定砲塔式のSU-152で、旧ソ連では完全な旋回砲塔に榴弾砲を装備した自走砲はKV-2が唯一である)。それでも生き残ったKV-2は終戦まで戦い抜いた。
[編集] 関連項目
第二次世界大戦のソ連の装甲戦闘車両 | |||
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軽戦車 | 快速戦車 | ||
T-26 | T-50 | T-60 | T-70 | T-80 | BT-5 | BT-7 | BT-8 | ||
豆戦車 | 装甲牽引車 | ||
T-27 | T-26T | T-20コムソモーレツ | ||
水陸両用戦車 | 中戦車 | ||
T-37 | T-38 | T-40 | T-28 | T-34 | T-44 | ||
重戦車 | |||
T-32 | T-100 | T-35 | SMK | KV-1 | KV-2 | KV-85 | IS-1 | IS-2 | IS-3 | |||
自走砲 | |||
ZiS-30 | SU-5 | SU-76 | SU-76i | SU-122 | SU-85 | SU-100 | SU-152 | ISU-122 | ISU-152 | |||
装甲車 | |||
BA-11 | BA-20 | BA-21 | BA-27 | BA-64 | BA-30 | |||
自走式対空砲 | |||
ZSU-37 | |||
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