第29回衆議院議員総選挙
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第29回衆議院議員総選挙(だい29かいしゅうぎいんぎいんそうせんきょ)は1960年11月20日に行われた衆議院の総選挙。投票率は73.51%だった。
目次 |
[編集] 自由民主党
獲得議席数:296議席
- 派閥
[編集] 日本社会党
獲得議席数:145議席
[編集] 民主社会党
獲得議席数:17議席
[編集] 日本共産党
獲得議席数:3議席
[編集] 諸派
1議席
- 全国農政連盟:古賀了(佐賀全県区)
[編集] 無所属
5議席
[編集] 選挙後
日米安保条約改定に反対する安保闘争が激しく行われて間も無かったが、投票率は3.48point下がった。安保闘争は選挙への影響はほとんど無かった。逆に、社会党と民社党の分裂により、自民党が議席を増やした。
自民党は経済成長の高まりから「所得倍増計画」を掲げ、安保から経済に争点を振り替えることに成功した。自民党は候補者を前回より14人減らし、399人。23万票あまり(保守系無所属を含めると100万票)減らしたものの、社会、民社が分裂で互いに候補を増やしたことから296議席と議席を伸ばした。追加公認を合わせ300議席、議席率は64.2%。議席率は、2006年現在でも自民党最高峰の記録である。そして、日本は高度経済成長の時代を迎えた。
社会党は民社党の離反で候補者数を減らしたものの、186人を擁立。選挙前に浅沼委員長が暗殺されたことで同情を集め、民社党への離党者の分を18議席取り戻した。しかし前回の議席回復はならなかった。また、構造改革の是非について、長きにわたる党内の派閥抗争が始まった。
民社党は社会党に取って代わる意気込みで、105人と多くの選挙区に候補を立てた。しかし、自社両党に挟まれる形で23議席減の惨敗。社会・民社の合計では、候補者は45人増え、得票は125万票あまり(革新系無所属を含めると119万票あまり)増えた。社会・民社両党は積極的な擁立で票を掘り起こしたものの、議席には結びつかなかったと言える。
共産党は2議席増、14万票を増やした。3議席と小勢力であったが、共産党は底を脱した形であった。これからしばらくの間、選挙のたびに得票を増やして行く。
[編集] 関連項目
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