所得倍増計画
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所得倍増計画(しょとくばいぞうけいかく)は、1960年、池田勇人内閣の下で策定された長期経済計画。閣議決定された際の名称は国民所得倍増計画(こくみんしょとくばいぞうけいかく)という。この計画では、翌1961年からの10年間に実質国民所得(国民総生産)を26兆円に倍増させることを目標に掲げたが、その後日本経済は驚異的に成長し、計画2年目で目標を達成した。
国民所得倍増計画は、1957年に岸信介内閣のもとで策定された「新長期経済計画」に代わり1960年12月27日に池田内閣において閣議決定された。岸内閣の安保政策重視から一転、経済政策を前面に押し出す格好となった。
国民所得倍増計画の目的は、輸出増進による外貨獲得を主要な手段として国民所得(国民総生産)を倍増させ、これによって雇用を拡大し、失業問題を解決する(完全雇用を目指す)ことで生活水準を引上げることにある。またこの過程で地域間・産業間における所得格差の是正もその目的とされている。 具体的には、農業近代化、中小企業の近代化、経済的な後進地域の開発(工業の分散)である。
ただ、これらは特に目新しい政策というわけではない。岸内閣の「新長期経済計画」において既に国民総生産と経済成長率という概念を用いており、さらに完全雇用についても言及されている。とはいえ、国民所得倍増計画が経済政策として劇的な成果を上げたことは事実である。
計画の数値目標は1960年度の国民総生産額である13兆6千億円の二倍、26兆円を10年以内に達成するというものである。なお、1960年度から年間平均9%の経済成長率を維持し、以後3年で17兆6千億円に到達させることが中期目標とされた。
しかし日本経済は予想以上の成長を遂げた。実質国民総生産は約6年で国民1人当り実質国民所得は7年で倍増を達成した。驚異的な経済成長率を記録し、計画2年目の1961年度には早くも目標が達成されてしまった。これによって政府は計画の見直しを迫られ、早くも高度成長の「その後」の手当を図ることとなった。
その後、佐藤栄作内閣によって高度成長によるひずみの是正や社会資本整備を目的とする「中期経済計画」(1965年策定)および「経済社会発展計画」(1967年策定)が策定されてゆく。