物語の類型
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物語の類型(ものがたりのるいけい、モチーフ・インデックス)とは、多くの物語に共通するモチーフや筋書き、設定を抜き出し、分類しようとする試み、あるいは分類そのものを指す。
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[編集] 概論
物語には共通のモチーフが登場することが多く、それらは神話や伝説にまで系譜をさかのぼれるものも多いが、時間旅行のように比較的新しい類型もある。それぞれの類型は説話、寓話などの形を経て、小説、戯曲、さらに新しくは映画や漫画などの形でさまざまな物語のなかに見いだされる。オイディプス神話に見られる父殺しや、ロミオとジュリエットにおける敵同志での恋愛などが有名であるが、これらのように作品の根幹となる要素ではないものの、いくつもの作品で類似した展開・描写が使用されるものがある。
物語の分類は、物語を研究する上で重要なものではあるが、何かを分類するという行為は、ストーリー性をもつものに限定された話ではなく、分類学の一つとも呼ぶことができる。
[編集] 研究史
物語を類型に分けるということは、神話や民話など「物語」を研究する上では基本、かつ重要なことであり、その歴史は古い。例えば、帝政ローマ期の著述家、プルタルコスが、オシリス・イシス神話をギリシア神話と比較して解釈しようとしたことが知られている。
日本においては、1936年に柳田國男が民話の分類を試み、『日本昔話名彙』にまとめた。また、1958年には関敬吾が『日本昔話集成』に1.動物昔話、2.本格昔話、3.笑話という大きく3つに分ける分類と、これとは別に「日本昔話の型」という分類を発表した。
世界的によく知られている研究としては、1910年にアァルネ・アンティが出した「The Types of the Folktale: A Classification and bibliography(FFC 184)」をスティス・トンプソンが増補して作られた分類、AT分類があり、これは今日でも物語研究者達の間で共通のインデックスとして認識されている。また、これとは別にトンプソンは、物語に含まれる要素(モチーフ)を細分化して分類したモチーフ・インデックス( Motif-index of folk-literature, 1955)全6巻を出版した。たとえば大分類F(Aから始まる)は「驚異(marvels)」で、その下位分類であるF500-F599は「驚くべき人物(remarkable persons)」、その下位のF510は「怪物的人物(monstrous persons)」、その下位のF511は「頭部が異常な人物(person unusual as to his head)」、その下位のF511.1は「顔が異常な人物(person unusual as to his face)」、その下位のF511.1.3は「獣顔の人物(person with animal face)」、その下位のF511.1.3.1は「猿の顔の人物(person with face o ape)」というように分類されている。それぞれの項目に一つ~数十の参照文献と(場合によっては)関連するが別の箇所にあるモチーフインデックス番号が記されている。日本でもこれを受け、1976年に池田弘子がAT分類に基づいて日本の昔話を分類した「A Type and Motif Index of Japanes Folk-Literature」を発表した。
物語を分類しようという試みは、神話学、民話学のジャンルのみならず、多くのジャンルにおいて展開されている。例えば、ミステリのジャンルにおいては、作品をトリックで分類する『類別トリック集成』が江戸川乱歩によって1953年に発表された。
[編集] 創作論
物語を読み、研究するという立場とは別に、物語を作り語る立場からも、物語の類型は論じられてきた。
各ジャンルには、共通するモチーフやプロットがあり、それらを用いることで比較的簡単に、その分野の世界を演出することができる。例えば、ドラゴンとの戦いを描けば、ヒロイック・ファンタジーの世界が、タイムマシーンを登場させれば、SF的世界を読者に容易に認識させることができる。
[編集] 具体例
基本的にここでは、我々の多くが日常生活を送る上では、まず普通は出会う事がない状況について解説する。物語はそれを観賞することにより、これら非日常を擬似体験でき、日常生活で味わうことのすくない強い喜怒哀楽の感情をわれわれ中に喚起し、異化作用をもたらす存在である。
一方これらは、我々が経験する事はまず無いにもかかわらず、既に皆が知っているという既視感をもたらしやすいという矛盾を抱えた存在でもある。これらの手法は、いわゆる「ワンパターン」や「定形」に陥りやすく、ともすれば「どこかで見たのでその先を読む・観る気が起きない」という批判にもつながる。また、この状況を逆手にとった時代劇や西部劇のような勧善懲悪ものや水戸黄門やスケバン刑事シリーズに代表されるような「パターン芝居」という例もある。毎回おなじ物語展開を踏襲していくこの演出手法は、観客に確実にカタルシスを与え、固定視聴者を獲得する一定の効力を持っている。また、「リピート芝居(例:日本では『トムとジェリー』の間に挟まれた、MGMのテックス・アヴェリー(en:Tex Avery)演出作品の一部、また『スーパーミルクちゃん』の一部など)」も古くからある手法であり、繰り返しによって独特の演出効果を生み出すことができる。演出に趣向を凝らしたり、意表をついたパターンとすることで、名作・名演出になる場合も少なくない。また、これを受け手がその定型パターンを既知であることを前提にし、笑いをもたらすよう改変した表現をパロディと呼ぶ。
サイエンスフィクション、推理小説、歴史小説、ファンタジーなど様々なフィクションの分野の中には、その分野を特徴付ける独特の道具立て、ガジェットがある。それら固有のガジェットについては、各分野の記事に詳細は譲る。ここではそれら特有の分類、舞台設定でない作品や、それらジャンルを越えて普遍的に頻見されるプロット (物語)やストーリーについて解説する。物語で頻出する人物設定についてはストックキャラクターの項において解説される。マンガやアニメ、またそれらに影響をうけた映画を始めとする映像の世界では、現実世界ではあり得ないにもかかわらず頻出する演出パターンが知られているが、それらについてはマンガ物理学の項に詳しい。
[編集] ストーリー設定
- 母親を捜す少年の形になることが多い。親が伝説的な存在や逆に無実の咎人となっている形も見られる。この類型で物語を展開し、主人公の出自が明らかになると貴種流離譚としての結末を見せるものも多い。
- 動物や異界のものの力により主人公に最終的に富がもたらされる。
- 貴種流離譚
- ピカレスク
- 日本語には『悪漢譚』、『悪漢小説』、『悪者小説』と訳される。スペイン語で「悪漢・ならず者」を意味するピカロ(picaro)を語源とする。
- この様な人物が、暴力の現場や経済市場などにおいて、時に激しく時に華麗に、一般的に悪と言われる行為を行ってゆく内容。結末において主人公は破滅するのがこの類型の基本フォーマットと言えるが、巨悪と戦う悪漢という構図の物語の場合、生き残る事も少なくない。
- 見るなのタブー
- 宇宙人・異界のものとの日常生活
- 典型的なSFコメディに多く、藤子不二雄作品が典型。多くあるのが次の二つのパターンである。
- 人型(美少女)の宇宙人・異界のものが主人公(男性)【※】と同居すると言うパターン。作品の主題によっては異類婚姻譚と一部に共通する性質を持つ事もある。
- 『うる星やつら』(ラム)
- 『おねがい☆ティーチャー』(風見みずほ)
- 『成恵の世界』(七瀬成恵)
- 『おとぎストーリー 天使のしっぽ』(12人の守護天使)
- 動物型あるいは人間の子供型の宇宙人・異界のものが主人公【※】の家に居候して自分が持っているアイテムや超自然的能力(魔法など)を使うなどで騒動を起こすというパターン。ファンタジーにおけるエブリデイ・マジックの系統に属する。
- 『オバケのQ太郎』(Q太郎)
- 『ドラえもん』(ドラえもん)
- 『まじかる☆タルるートくん』(タルるート)
- 『わがまま☆フェアリー ミルモでポン!』(ミルモ)
- 『ケロロ軍曹』(ケロロ軍曹)
- 『おねがいマイメロディ』シリーズ(マイメロディ)
- 人型(美少女)の宇宙人・異界のものが主人公(男性)【※】と同居すると言うパターン。作品の主題によっては異類婚姻譚と一部に共通する性質を持つ事もある。
- 【※】同居・居候させられる側が唯一の主人公とされる場合もあるが、同居・居候する側とさせられる側が共に主人公とされる場合や、同居・居候する側が唯一の主人公とされる場合も多い。
- 前者が萌えアニメやハーレムアニメなどに多く、後者は幼年向けの漫画・アニメに多い。また厳密に定義していくと魔法少女物に出てくる守護妖精や動物もこれに入る。
- 貧乏人が突如として大金を手にする。富の追求という多くの人に内在する欲求を相対化することにより、登場人物の価値観を問い直す状況を生み出す事になる。浪費してしまい、元の木阿弥となるパターンや、夢オチになるパターンも多い。
- 過去の記憶をなくした出自不明の謎の人物が突如現れ、だんだん記憶を取り戻していく過程で、謎の人物に隠された物語が明らかになるストーリーや、身近な人物の記憶がなくなり、これまで築いていた周囲との関係性が失われてしまい、記憶の回復と関係性の再構築をカップルさせるストーリーが多い。なお、記憶喪失とは異なるが、進化・退行を扱って不朽の名作になったダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』も特筆に値する。
- 『心の旅路』米映画(1942年)2度の記憶喪失をした男と女のラブストーリー。
- 『黒いカーテン』米小説(1940年)ウィリアム・アイリッシュ作。3年半の記憶をなくした主人公が見知らぬ男達に追われる。
- 『メメント』前向性健忘(一定時間前の記憶をなくしてしまう)を上手に利用した映画。ストーリーの終わりから遡るという斬新なシナリオで高い評価を受けた。
- 『あの、素晴らしい をもう一度』 日本のサウンドノベル(Windows用)。上記の映画より先に前向性健忘を扱っており、こちらはザッピングシステムとは違う斬新なゲームシステムが取り入れられている。
- 『月は東に日は西に ~Operation Sanctuary~』アダルトゲーム・アニメ。主人公は5年前の事故が原因で記憶失っているが、これが物語のキーポイントになる。
- 転校生(転入生)
- 学園物の退屈な日常を一転させるドラマが、転校生がやってくる事から始まる。転校生は特殊な能力を持っていたり、大変な家庭事情だったりして、主人公たちを騒動に巻き込む。ドラマが終わったら普通にクラスに溶け込む場合と、再び転校していく場合がある。
- また漫画にあっては冒頭でこの類型を体裁として見せる戦闘・格闘ものも少なくない(『覚悟のススメ』など)。
- 『炎の転校生』
- 『フルメタル・パニック!』
- 『ドラえもん』(「ぼくよりダメなやつがきた」)
- スポ魂
- スポーツに青春・人生を掛ける選手たちの物語(巨人の星など)。また 近年、並外れた才能を持つ主人公が いとも容易くライバルたちを追い抜いて行くストーリーが人気を博している。これは、読者層の 天才に対する憧れを反映していると云えるだろうか。
頭の切れる作家によって描かれる、頭の切れる人物たちが活躍するストーリー。読者にも、それなりの頭脳が要求される(DEATH NOTEなど)。
- まったく異なる性格が同一人物に同居するというもの。実際に存在する疾病だけに、上手に使えばリアリティーが増すが、その分作り手の構成力と知識を要求される難しいジャンル。人格は二重から多重まである。読み手・観客に穴を感じさせないために、綿密なストーリーチャートを構築する能力が要求される分野。
- 『ジキル博士とハイド氏』
- 『24人のビリー・ミリガン』(ダニエル・キイス)は、人格の多さもさることながら、実話であるが故に、最高峰と評価するに値する。
- 『多重人格探偵サイコ』
- 『まほらば』
- 『ファイナルファンタジーVII』の主人公クラウド・ストライフは憑依や自身による記憶の改変に因る変則的な例。
- 悪は滅びない
- どんなに負けようと悪はいつか必ず復活する。あるいは次から次へと新たな悪が発生し、そのたびに主人公は新たな戦いへと入る。往々にしてドラマをいつまでも続けるための手法とされることが多い。ファンタジー物では「人々にマイナスの感情が在る限り、魔物を生み出す力となる」パターンも多い。
- パワーインフレ
- 敵を倒したそばからさらに強い敵が登場する、対抗して主人公たちはさらなる練習・修行などでパワーアップする、あるいは戦闘をきっかけに眠っていた潜在能力が覚醒する、といった展開の繰り返し。この強さのインフレーションによって、敵味方共に最後は人間離れした能力の使い手になり、世界の命運を賭けて戦う事になるパターンも少なくない。別名『ドラゴンボール現象』。
- 現象自体は古くから存在するが、今日的意味で意識されたのは、『サルでも描けるまんが教室』における「強い奴のインフレ」という指摘の影響が強い。上記の項目と同じく、ドラマを続けるための手法として使われるが、「物語維持の為には主人公は強敵と戦い続けなければならない」ため、以前の敵が雑魚や味方になったり、あり得ないところから(死後の世界、別次元など)も敵を作らなければならなかったりする。現実に則した場合には、その道のトッププロが登場し(その相手に勝った場合)物語上の敵が作れなくなることが起こる。
- 入れ替わり
- 二人の人物が入れ替わる。役割の入れ替わりから、体が入れ替わるまで色々なパターンがある。男と女、親と子、貧者と金持ち等、それ以前にはお互いに分かり合えなかった相手の立場の理解という気付きの物語であることが多い。
- 役割・立場の入れ替わり
- 『とりかへばや物語』
- 『王子と乞食』マーク・トウェーン作
- 『ふたりのロッテ』エーリッヒ・ケストナー作
- 『大逆転』米映画(1983年)大富豪のいたずらで立場を入れ替えられた二人の男。
- 体の入れ替わり
- 『転校生』大林宣彦監督の映画 山中恒原作『おれがあいつであいつがおれで』にもとづく。
- 『秘密』東野圭吾作
- 『チェンジ!』浅野温子、野村佑香主演のテレビドラマ(1998年)
- 世にも奇妙な物語 秋の特別編 (2006年) 「部長OL」(2006年10月2日)
- 役割・立場の入れ替わり
- 曲がり角で相手と激突
- 出会いの黄金パターンのひとつ。基本パターンは、何らかの理由で急いでいる登場人物が、曲がり角で相手と衝突しそこで口論。その後再会して口論が再開すると言う物。
- これは『サルでも描けるまんが教室』で広まったとされており、『新世紀エヴァンゲリオン』テレビ版の最終話で、「食パンをくわえ「遅刻遅刻ー」と言いながら急ぐ途中曲がり角で激突。その後、転校生として教室に入ってきて、お互いに指を指しながら「あーっ!今朝の!」」というパターンが使われた。
- デウス・エクス・マキナ(機械仕掛けの神)
- 「御都合主義」の代表的なパターン。物語が錯綜して風呂敷をたたみきれなくなった時に、いきなり絶対的な力を持つ存在(神など)が現れ、偉力をもって強引に解決を下すというものである。もとはギリシア悲劇などで用いられた作劇手法。
- ストーリーの締めに使うと読後感が最悪になることが多いが、冒頭や劇中の効果的な地点で使う分には、伏線としての利用ができたりするので、暴走せず抑制の利いた描写を心がければ悪くはない。また、夢オチとは違うが、夢による状況のほのめかしなどではかなり有効な演出になる。
- 劇場版『攻殻機動隊』で、オープニングの「メイキング・オブ・サイボーグ」の直後、草薙が起きてから、自分の手を握ってみるシーン。
- ストーリーの締めに使われるパターンとしては、『邯鄲の枕』の系統がある(夢の中で人生を疑似体験する。多くのパターンで、夢の中の人生はよくない方向へ転がり、目を覚ましてから別の人生を選ぶようになる)。
- 物語そのものが、物語の中でさらに展開される物語である、というパターン。1話完結の様式を持つシリーズ作品の途中の1エピソードの締めとして用いられる場合はそうでもないが、最終話などシリーズ全体の締めとしてこれを使うと、作品全体が劇中劇という事になってしまい、上記の夢オチと大差の無い状態になるため読後感が極めて悪くなる事が多い。
- 『つよきす Cool×Sweet(アニメ)』まさに最終話の最後の締めで使用した例。原作ゲームのファンから強い不評を蒙った。
- 人体という実体から、フィクション上の霊魂なりエクトプラズムなりといった、「魂」または「精神」が離脱する状態。これをストーリーに持ち込んだ場合は、普段通り抜けられないところを通れたり、空中をそのまま移動できたりと便利な点が多い。幽体離脱している間に実体が危機に晒されるというパターンもある。
- また、近似例では主人公の「影」に魂が乗り移り実体化するというものもある(『ザ・カゲスター』)。
[編集] 環境/舞台設定
[編集] 関連項目
[編集] 関連リンク
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