瀬谷区
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瀬谷区(せやく)は横浜市を構成する18区のうちのひとつ。昭和44年10月、戸塚区より分区された。地名の由来は、瀬谷は[狭谷]で狭い川瀬の小谷のある土地。現在も南北に五つの川が流れている。
目次 |
[編集] 地理
[編集] 地勢
- 最高地 北町 海抜93.6m
- 最低地 阿久和南三丁目 海抜36.7m
[編集] 地形
- 横浜市の西端に位置し、区域は大和市との境界である境川に沿って南北に細長い。
- 北部は東京都町田市、横浜市緑区に接し南部は横浜市泉区に接し、東部は横浜市旭区に接している。
- 段丘上にあるが起伏はなだらかで平地となっている場所も多い。
[編集] 気象
- 横浜市内ながら、冬には氷点下も出す地域で、気象庁横浜地方気象台の情報や注意報・警報は横浜・川崎で、民間(ウェザーニューズ等)は、海老名市の天気情報になっており。気候は、夏暑く、冬寒いというギャップを持った気候である。
[編集] 河川
- 地理的には何といっても境川の存在が大きいが、他に大門川、相沢川、和泉川、阿久和川がある。和泉川と阿久和川は源流が区内にある。台風の襲来、大雨になると中小河川はもとより、境川があふれるとひどい時は床下浸水にしばしば遭う。特に平成3年の台風の時は鹿島橋を架け替えるほどであった。(鹿島橋の監理は大和市がおこなっている。)
[編集] 特徴
- 北部は在日米軍上瀬谷通信隊(旧海軍航空隊通信基地及び第二海軍航空廠瀬谷工場、受信施設であり、かつてプエブロ号事件の第一報を傍受した。)の敷地で占められているが、大部分の返還が内定している。現在は駐留関係者は少なくなってきているが、多い時にはスキーツアーなどでKamiseya Oursとかいたバスを所有していた。駐留関係者にはSeyaよりKamiseyaのほうがとおりがよかった。FEN(現:AFN 米軍向けFM放送)ではよくKamiseyaといっていた。以前はパラボラアンテナが設置されていたが、現在では撤去されている。
- 戦中は第二海軍航空廠瀬谷工場に毒ガス(イペリットやマスタード等)が保管されていたという記録が残されている。
- 厚木基地(大和市)を発着する飛行機による墜落事故が瀬谷でも起きている。市内では他に、小机駅上空(昭和27年)、旭区上白根町市営ひかりが丘団地近くの雑木林(昭和48年8月24日)、緑区荏田町(昭和52年)「横浜米軍機墜落事件」などの墜落事故がある。
- 駅のある瀬谷、三ツ境が開けているが、区役所や警察署は三ツ境にある。管轄税務署や社会保険事務所は保土ヶ谷、公共職業安定所(ハローワーク)は戸塚(求人の閲覧は全国共通・インターネットでも一部利用可能)、法務局は旭区柏町(相鉄線南万騎ヶ原)、休日急患診療所は瀬谷(郵便局本局前)、斎場は長津田(緑区)などである。
[編集] 自然環境
- 横浜市18区の中では、比較的自然環境に恵まれており、特に南部の宮沢や阿久和などでは、樹林も数多く残っており、畑も各地区に多く点在している。
- 平成16年度の瀬谷区の緑被率は35.9%で横浜市の31.0%を上回っている。
[編集] 歴史
[編集] 先土器
- 旧石器時代の遺跡が本郷・林の両遺跡で見つかった。本郷遺跡は、本郷二丁目にあり、石片等十数点出土。林遺跡は、下瀬谷中学校が建設されるにあたって発掘作業がおこなわれた。
[編集] 古代
[編集] 縄文時代
- 阿久和の大久保原、蟹沢、宮越等に縄文時代の遺跡がある。大久保原の遺跡は現在は埋め立てられているが住居跡や土器が発掘されている。蟹沢遺跡は、阿久和団地造成にあたって発掘作業がおこなわれ、竪穴住居、貯蔵穴は見つかっている。宮越遺跡は住居跡257軒が見つかり、大規模な環状集落であることが判明している。また墓穴も見つかっている。
- 小金が分譲される時(昭和40年代)にも発掘されている。
[編集] 弥生時代
- 区内からは9箇所で、遺跡が見つかっている。
[編集] 古墳時代
- 古墳時代の遺跡は区内に25箇所記録されている。
- 八幡上古墳跡・・・若宮八幡宮にあったとされる。円墳。直刀と勾玉が発掘されたと言う。
- 別太羅塚古墳(べったらつかこふん)・・・上瀬谷通信隊の基地内にあったというが、基地が造られるさい、米軍のブルドーザーで破壊されたと言う。
- 長天寺古墳跡・・・長天寺の北側には古墳跡があり、装飾品等の出土品(人骨3 体、直刀、金環、琥珀玉)は東京国立博物館に収められている。
- その他・・・南台3丁目に石塚山古墳、瀬谷中学校北側にもあったと言うが、詳細は不明。東野にも相沢川沿いに遺跡がある。瀬谷西高校の建設工事の際にも、横穴墓が発掘され、人骨が発掘された。同時に盗掘のあとも見つかっている。
[編集] 中世
[編集] 鎌倉時代
[編集] 室町・戦国時代
- 鎌倉に通じる道であるので合戦も多くあった。瀬谷原や楽老峰は上杉禅秀の乱、享徳の乱の古戦場であった。瀬谷市民の森周辺では中丸山の合戦があり、北条氏康と大森氏が闘っている。この時氏康は初陣をかざっている。
- 後北条氏の時代、瀬谷は御馬廻衆(旗本)の久米玄蕃の所領、阿久和は小机衆増田氏の所領であった。
[編集] 近世
[編集] 江戸時代
- 旭区の西部病院から三ツ境駅の側を通り横浜隼人中学校・高等学校に至る道が旭区との区界で相模・武蔵の相武国境であった。松並木が4本残されている。区内は北部には矢倉沢往還(大山道:現国道246号線)が南部には中原街道(現:丸子茅ヶ崎線・県道45号線)が通っている。
- 1578年(天正6年)瀬谷(現在の北新あたり)に問屋場を設ける。天正18年石川弥治右ヱ門重久に経営を委嘱した。
- 中原街道が通っているので、多くは天領や旗本の領地となる。徳川家康もこの街道を通って江戸いりした。途中二ツ橋では、「しみじみと 清き流れの清水川 かけ渡したる 二ツ橋かな」と詠んでいる。瀬谷に宿場が設けられた。赤穂浪士もこの道を通ったという。
- 三ツ境駅北部にある楽老峰という名前は、徳川家康が訪れた際に命名したと言われ、家康が駿河に行く途中ここで休憩をし、住民が差し出した茶湯を飲んだという記念の碑が楽老峰南公園に存在する。
- 徳川家康が瀬谷を通過した際、瀬谷の絶景を「瀬谷八景」と命名した。二ツ橋の三叉路、中丸山北条氏康古戦場、上瀬谷の城山、五〆目、竹谷戸の鎌倉道、山田橋、別太郎塚の狩場、伊賀守の中屋敷。
- 江戸時代、泉区にある阿久和山観音寺が旗本安藤氏の菩提寺で、阿久和南にある通称お墓山が墓所である。瀬谷中学校通学区域では川口、守屋、平本,芝本という江戸期以前から続く姓が多い。原中学校区では北井姓が多い。明治以前は相模国鎌倉郡であった。
- 瀬谷村に知行地を持つ旗本は、後藤氏(島津氏の支族)、長田氏、本多氏。阿久和村は、安藤氏。宮沢村は、御家人石川氏が治めていた。
- 幕末になるとこの地域でも剣術が流行り、阿久和では北井家や相原家が天然理心流の道場を開いていた。
[編集] 近現代
[編集] 明治時代
1868年(明治元年)瀬谷村・宮沢村は神奈川府に、二ツ橋村は韮山県に編入し、同年12月に神奈川県に編入した。
1873年(明治6年)「地租御改正反対運動」が起こり、明治20年東京上等裁判所で村民が勝訴する。運動を支えた川口儀右ヱ門と平本平右ヱ門を讚えた義民の碑が徳善寺に残っている。
この頃、瀬谷学舎,二つ橋学舎,若宮学舎,新道学舎,阿久和学舎(現在で言う小学校)ができたといわれている。
1889年4月1日 市町村制施行により瀬谷村、宮沢村、二ツ橋村から鎌倉郡瀬谷村が誕生する。初代村長に守屋平輔が選出される。長天寺に役場が置かれる。また阿久和村は、尾勝村、上矢部村、秋葉村、名瀬村と合併して鎌倉郡中川村(中川の由来は、村の真ん中を阿久和川が流れていることから)になる。
明治期は養蚕が盛んであった。上瀬谷の野鳥館、中屋敷の石井製糸場。本郷の川口製糸場(後の本郷館)、北村の小沢製糸場。新道の守屋製糸場。下瀬谷の仙田製糸場。阿久和の北井製糸、大岡家の大剛館(長屋門公園前にある製糸場跡地)。区内最大の製糸工場は、昭和35年頃まで営業していた本郷館であった。阿久和の長屋門の前でも製糸工場が営まれ、長屋門で養蚕が行われていた。必要になる水は、現在長屋門公園になっている地下に横穴が掘られそこから水を引いていた。現在では鉄の柵で囲われている。当時は桑畑が多くあった。
[編集] 大正時代
1912年(大正元年)国鉄程ヶ谷駅から旭区を通り、今井・又口・三ツ境を経由し二ツ橋を終点とする駅馬車が開通した。片道60銭。しかし資金が成り立たないため、廃止になったと言う。
1916年瀬谷村役場が長天寺客殿より新庁舎に移転した。
1923年関東大震災により瀬谷村で死者1名、行方不明1名、全壊戸数53戸が被害を受ける。
1926年神中鉄道が二俣川〜厚木間で営業開始。三ツ境、二ツ橋駅、瀬谷に停車場を設置。
[編集] 昭和時代
1939年4月1日 第6次横浜市拡張計画により瀬谷村と中川村が横浜市に編入、戸塚区の一部となる。
戦時中は、上瀬谷(横須賀海軍資材集結所・第二海軍航空廠・横須賀海軍軍需部)、南台(兵器工場=大日本兵器第五製作所、航空鉄砲弾を主として製造)などが軍に強制収容され、軍用地になった。戦後、上瀬谷はそのまま米軍に接収され、南台は米軍の通信基地にされようとしていたが住民の反対運動で回避、市営のアパートになった。また本郷には川口航空機、瀬谷6丁目付近には皆川酸素工場など、区内各地に軍需工場があった。
1945年1月 瀬谷駅構内に小型機の爆弾が投下される。貨車一両が延焼。 4月3日午後10時頃 米軍の重爆撃機一機が本郷原の上空に飛来、爆弾28個を投下。 その他 焼夷爆弾による家屋の焼失が相沢、二ツ橋、橋戸でもあり、中でも中村ではほとんどが灰と化したと伝わっている。
1962年5月 阿久和町の一部が三ツ境になる。
1969年10月1日 戸塚区から旧瀬谷村全域と阿久和町(旧阿久和村北部)が分立し瀬谷区が誕生する。
[編集] 経済・産業
[編集] 全般
- 瀬谷区を通っている駅のある鉄道は相模鉄道本線(横浜~海老名)であり、相模鉄道有数の乗降客の多い三ツ境駅(若葉台団地、区内南東部、いずみ野、戸塚駅などとバス路線があるため)、そして瀬谷駅(環状4号線の開通で開発が著しく、駅北口の旧西友跡地の再開発を除き再開発はいちおうの完成をみた。)の2駅がある。瀬谷駅周辺の再開発が遅れたため区内の南瀬谷へは大和駅から相鉄バスが、瀬谷駅から目と鼻の先の中原街道沿いの南台ハイツへは三ツ境駅から相鉄バスが運行している。漸く三ツ境駅にエレベーターが設置され、瀬谷区のバリアフリー化が整った。残すは待合室を瀬谷、三ツ境駅に設置することである。
- 場所は旭区であるが、中原街道と交差する野境道路沿いに聖マリアンナ医科大学横浜市西部病院(隣の区であるが、蛇足ながらフジテレビのドラマ「ナースのお仕事」のロケ地になった。)や名門のゴルフ場程ヶ谷カントリー倶楽部がある。近年では、北部五貫目町のシポレックスの工場跡地にオリックスが中心になって分譲などしたマークスプリングス(街づくりを海外風にしてTVドラマ「アットホームダッド」や「鬼嫁日記」のロケ地になったりした。クリニックやコンビニエンスストアを設けたり、また天然温泉が湧き、各戸にひかれている。)、県営上瀬谷団地が出来、上瀬谷小学校の教室が不足するなどの事態になっていたり、日常の買い物は近くにスーパーマーケットがないため、瀬谷駅周辺、鶴間のオークシティー、南町田駅周辺、つきみ野のサティーなどへバスかマイカーでどちらかというとまとめ買いをする傾向にある。
- 以前より、瀬谷区の問題点として「どこへ行くにも道路が狭く、幹線道路でさえ道路が狭い」と言われてきた。そこで横浜市では環状4号線の開通(現在の相鉄線をまたぐ橋は仮設である。将来的には相鉄線を地下架する計画である)を手始めに、県道厚木線(厚木街道)、瀬谷柏尾線、中原街道(丸子茅ヶ崎線)の大和市側、旧国道16号線などの拡幅計画に基づき整理事業を推進している。
- 明治40年、瀬谷銀行が開業。その後昭和10年鎌倉銀行と合併し、昭和16年横浜銀行と統合した。瀬谷4丁目に郵政公社の独身寮(さがみ野には女子寮がある。)また保土ヶ谷郵便局の上層部は寮になっている。現在の本局は瀬谷4丁目であるが、それ以前は現在の瀬谷小学校前の瀬谷北郵便局辺りにあった。
[編集] 工業団地
- かつて瀬谷区北部には国鉄が所有していた土地があり、今ではその跡地に工業団地が建てられている。横浜インナーパークとも言う。瀬谷の最北部にあり、東名高速横浜町田インターチェンジ(以前は横浜インターチェンジ)や国道16号に近いことから、横浜総合卸センター(卸本町)や各種の工場などが集中し、読売新聞・日本経済新聞・東京新聞(東京中日スポーツも含む)の工場、セコムのセンターなどがある。また、佐川急便、日本通運、西多摩運送などの拠点もある。
[編集] 農業
- 区内には開発されてない土地もあり農業も盛んである。
- 上瀬谷の農業専用地区は、横浜市内にある農業専用地区の中でも一番広く、92.0haある。
- 農業協同組合時代(現:JA)、横浜南農協(現:JA横浜)は県内有数の優良組合であった。余談ながら、瀬谷駅前のJAより海軍道路沿いのJAのほうが格が上である。
- 北部を中心にウド栽培が行われ、その産地は海軍道路周辺に集中する。これは上瀬谷通信隊の周辺で建築物の高さ制限があったこと(現在は撤廃されている)、同地に旧帝国海軍の弾薬庫の遺構が多数残されていたことなどの理由によって、農作物として半地下で栽培できるウドが選ばれたためである。下瀬谷地区では、露地野菜やハウス栽培が中心。
- 阿久和地区を中心に芝の栽培が盛んである。阿久和・宮沢地区では、酪農、肉牛、養鶏の農家がある。また各地に直売所がある。
[編集] 瀬谷区における株式公開(をしたことのある)企業
- 瀬谷区に本店または本社(工場)機能を置く上場企業
- 日本アビオニクス - 東証2部(6946)NECグループであるが、以前の社名は日本アビオトロニクスであった。米ヒューズエアクラフト社との防衛関連の企業でもあった。瀬谷4丁目に寮があったが現在はマンションになっている。
- 瀬谷区にかつて本店または本社(工場)機能があった上場企業
- 東洋端子(会社更生法の適用をうけるが再生) - 現在の住鉱テック。現在非上場。
- 大門(酒類の小売販売) - 現在のマインマート。本社を横浜市中区に移転。現在非上場。日本アジアホールディングス傘下
[編集] 横浜市の西の玄関である瀬谷区の位置づけ
- 1969年 瀬谷区が戸塚区より分区される際区名の応募をおこなったところ、「西浜」が「瀬谷」より上回ったが、親しまれている等の理由により「瀬谷」が採用された。
- 高秀秀信市長の時代に策定された「ゆめはま2010プラン[1]」において、瀬谷駅周辺地区は地域拠点に位置づけられ、瀬谷駅の南北での一体となった発展が望まれている。現状は、北地区の再開発が完了するなど一定の進歩はあるが、南口地区の再開発が進んでいないなど、当初の計画とはギャップがある。
[編集] 行政
- 区長:市原正博(2006年4月1日就任)
- 区役所についてはここ10年位老朽化と狭さから建て替え案がいわれてきた。財政難のため立ち消えになってきているが、PFIを用いた建て替え案が台頭してきている。二ツ橋公園に新庁舎、公会堂は建て直しで計画されている。綾瀬市、伊勢原市の公会堂のようにコンサートなどを常時行うことができるものが期待される。
- 瀬谷駅区民窓口サービスセンター・・・瀬谷駅にあり、区役所に行かなくてもサービスを受けることができる。住民票の写し、印鑑登録証明書、戸籍謄本・抄本(瀬谷区内に本籍のある人)、戸籍の附票の写し(市内に本籍のある人)、住民票記載事項証明書等。
[編集] 行政機関
[編集] 警察
- 瀬谷警察署
- 目黒交番
- 瀬谷駅前交番
- 南台交番
- 阿久和町交番
- 北新駐在所
- 細谷戸駐在所
- 竹村町駐在所
[編集] 消防
- 瀬谷消防署
- 中瀬谷出張所
- 下瀬谷出張所
- 阿久和出張所
[編集] 地域
[編集] 健康
- 平均年齢 41.16歳(2004年8月1日)
[編集] 主な病院
- 三ツ境病院 三ツ境23ー8 TEL.391ー000 救急あり 内科、小児科、耳鼻咽喉科、整形外科、皮膚科、 循環器科、消化器科
- 横浜桐峰会病院 瀬谷1ー29ー1 TEL.303ー1151 救急あり 内科、外科、胃腸科、整形外科、脳神経外科、皮膚科、肛門科、リハビリテーション科、放射線科、麻酔科
- 堀病院 二ツ橋町292 TEL.391ー2561 産科、小児科、婦人科
- 横浜甦生病院 瀬谷4ー30ー30 TEL.302ー5001 内科、小児科、外科、耳鼻咽喉科、消化器科、循環器科、整形外科
- 横浜相原病院 阿久和南2ー3ー12 TEL.362ー7111 精神科、内科、神経科、心療内科
[編集] 休日・夜間の診療所
- 瀬谷区休日急患診療所 瀬谷区橋戸1ー36ー1 TEL.302ー5115 内科・小児科 日曜・祝日・12月30日〜1月3日 診療時間10時〜16時
- 横浜市南西部夜間急病センター 泉区中田北1ー9ー8 TEL.806ー0921 内科・小児科 診療時間20時〜24時
[編集] 防災拠点
地域防災拠点は、学区の小中学校が割り当てられていることが多く、まずそこに非難する。広域避難場所は、ほぼ相鉄線を境に北部は米軍上瀬谷通信施設一帯、南部は下瀬谷入口一帯耕地が指定されている。
また地震だけでなく水害に対する備えも必要である。
[編集] 団地
- 区北部に、細谷戸団地・上瀬谷団地。
- 東部には、楽老峰ハイツ。
- 西部には、市営南台ハイツ・公団橋戸団地(アーバンドエル瀬谷)・県営橋戸原ハイツ。
- 南部には、県営阿久和団地・瀬谷南住宅などがあり多くの団地がある。
[編集] 教育
[編集] 高等学校
現在は全県一区である。
- 公立
- 神奈川県立瀬谷高等学校
- 神奈川県立瀬谷西高等学校
[編集] 中高併設校
[編集] 中学校
- 横浜市立下瀬谷中学校
- 横浜市立原中学校
- 横浜市立南瀬谷中学校
- 横浜市立東野中学校
- 横浜市立瀬谷中学校
- 横浜市立いずみ野中学校(泉区)
[編集] 小学校
小学校を卒業した生徒の公立中学校進学率は、90.8%(2004年度)で横浜市内で一番高い。
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[編集] その他の学校
- 横浜市立高等養護学校二ツ橋分教室
- 神奈川県立瀬谷養護学校
- 神奈川県立三ツ境養護学校
[編集] 文化施設
公会堂
- 瀬谷公会堂(二ツ橋)
図書館
- 瀬谷図書館(本郷)・・・蔵書約10万冊。
- 移動図書館・・・三ツ境大原第二公園に、中央図書館の移動図書館「はまかぜ号」が月一回来る。
地区センター
- 瀬谷センター(瀬谷)
- 阿久和地区センター(阿久和南)
- 中屋敷地区センター(中屋敷)
コミュニティ・スクール
- 下瀬谷小学校
- 南瀬谷小学校
- 東野中学校
- 原中学校
[編集] 博物館・美術館・資料館
- 横浜旧軍無線通信資料館(南台)・・・見学は事前予約が必要。
- 瀬谷郷土資料館・・・瀬谷小学校内。一般公開はしていない。事前予約が必要。
[編集] スポーツ施設
野球場
- 瀬谷本郷公園(本郷)・・・申し込みは、市民利用施設予約システムから行う。両翼97m、センター120m。内野土、外野天然芝、照明施設あり。
- 上瀬谷球場(上瀬谷)・・・区役所で利用の抽選を行う。
- 神明台処分地スポーツ施設(泉区)・・・泉区にあるが、阿久和や瀬谷南部はこちらの方が近い時もある。神明台スポーツ施設管理事務所で受付、抽選。
- コロナフットボールクラブ横浜瀬谷(中屋敷)・・・瀬谷西高校の近く。フットサルができる。有料。
- 瀬谷本郷公園(本郷)・・・平成17年度にサッカーのできる球技場が整備される予定である。
- 宮沢町第二公園プール(宮沢)・・・夏季営業。25mプールと幼児プール。
- アシェンダ乗馬学校(阿久和西)
- 瀬谷スポーツセンター(南台)
- 瀬谷センター(瀬谷)・・・瀬谷地区センターとも言う。
- 阿久和地区センター(阿久和南)
- 中屋敷地区センター(中屋敷)
- 瀬谷本郷公園テニスコート(本郷)
- 瀬谷グリーンテニスクラブ(橋戸)・・・ビジターの利用可。
- 瀬谷ゴルフセンター (橋戸)・・・バッティングもできる。
- 一里山ゴルフセンター (瀬谷)
- 三ツ境パーフェクトボール(三ツ境)・・・2005年閉鎖。同地に2007年3月コナミスポーツクラブがオープンする予定。
- 藤沢大和自転車道・・・境川を挟んで大和市側になるが江ノ島まで続くサイクリングロードがある。途中途切れる箇所もあるので注意が必要。
その他
- 区内多くの小中高校の体育館や校庭が休日・夜間に一般開放されている。
- 夏休みに限り、一部の小中学校のプールが一般開放されている。
- 剣道や柔道も盛んであり、区内の中学校の部活動における剣道は、全国大会に出場した経験もある。
- 陸上競技場は隣接している大和市の大和市営大和スポーツセンター競技場があり、瀬谷区民でも利用できる。(大和スポーツセンター)
[編集] 隣接している自治体
神奈川県
[編集] 交通
[編集] 鉄道
[編集] 路線バス
区内へは三ツ境駅・瀬谷駅からのアクセスと、戸塚駅・いずみ野駅・立場駅・大和駅・鶴間駅・南町田駅・横浜駅からの路線がある。マークスプリングへは、南町田からのバスのほうが頻繁にアクセスしている。
[編集] 道路
- 東名高速道路(北部を通過)
- 国道16号(八王子街道)・・・神奈川宿から八王子を経て甲州街道へと通じていたこの道は、年貢の輸送や村の産物を運び交換するなど、生活上必要な道であった。元禄・享保期の頃から街道として使用されていた。また、江戸時代から明治の頃は、津久井の生糸、絹織物を買い付けに往来する外国商人の姿も多かったという。「日本のシルクロード」とも呼ばれている。
- 国道246号
- 神奈川県道40号横浜厚木線(厚木街道)・・・よく厚木基地関係の米軍車両(パトカー、救急車、スクールバス、バス)が通っている。
- 神奈川県道45号丸子中山茅ヶ崎線(中原街道)・・・下瀬谷で三菱自動車の大型トレーラーのハブ破損事故による、親子が巻き込まれた事故があった。
- 神奈川県道401号瀬谷柏尾線・・・通称瀬谷柏尾道路起点 目黒町(瀬谷入口交差点)、終点 戸塚区柏尾町(不動坂交差点)・・・目黒の交差点同様路線バスを利用するときは渋滞に注意が必要。
- 神奈川県道402号阿久和鎌倉線・・・通称かまくらみち。起点 阿久和東4丁目(阿久和交差点) 、終点 神奈川県鎌倉市岡本(山崎跨線橋北)
- 環状4号
[編集] 名所
- 鷹見塚・・・江戸幕府開幕の頃におかれ、犬公方こと5代将軍綱吉の時に一時廃れたが、8代将軍徳川吉宗の代に復活した鷹狩りを行う際に用いた物見塚。瀬谷区4丁目の環状4号線沿いに残る。
- 白鳳庵・・・個人の私邸に、30種約3,000株のあじさいが植えられており、開花時期に合わせて一般開放されている。入り口の門は、横浜税関、神奈川県庁の正門を経て、現在の場所に移築された由緒のある門である。
[編集] さくらの名所
- 海軍道路・・・米軍上瀬谷通信隊基地の敷地内を通る、瀬谷駅近辺から国道16号まで2850mの直線道路。戦時中に滑走路の使用目的のために建設されたという話もある。また戦中の機材を運ぶための横須賀海軍資材集結所線が敷設されていたとも言われている。現在では、マラソンをする人も見受けられる。桜並木となっているため、花見の時期には多くの人が訪れ大渋滞する事で有名。桜の植樹は、瀬谷中学校側は昭和50~51年頃に、旧国道16号側は昭和57~58年頃にされた。現在、環状4号の一部として指定を受け拡幅工事が行われているが、上瀬谷通信隊の返還が内定したことにより、敷地内での施工開始が速まる可能性が出てきたため、桜の扱いについての動向が注目されている。毎年1月下旬、区民マラソンが開催される。道路の瀬谷西高の辺りが映画・女優浅野温子主演「スローなブギにしてくれ」のロケ地になった。
- 野境道路・・・三ツ境駅前から、西部病院に通じる野境道路が見事である。
- 相沢川ウォーク
[編集] 主な公園
- 長屋門公園・・・長屋門(大岡家、明治17年の建築)、住宅(安西家住宅、江戸期中期、泉区より移築、区内に現存する最古の建築物)市の文化財の指定をうけている。自然観察林、雑木広場は、個人の敷地を市が借り上げている。昭和50年代は蛍が自然生息していたが、近年の公園工事のために絶滅。三ツ境駅からプロムナードが延びている。過去、園内で結婚式を挙げたカップルもいる。意外なことに希望が丘駅からも割合近い。市内の古民家を巡るスタンプラリーの中継点の一つ。記録映画『ムカシが来た』に移築・復元作業が収められている。
- 瀬谷市民の森・・・18.7ha。
- 瀬谷本郷公園・・・野球場(照明あり)、テニスコート。サッカーのできる球技場も整備中。
- 瀬谷中央公園・・・こどもログハウス“まるたのしろ”、赤ちゃんから楽しめる。
- 瀬谷貉窪(むじなくぼ)公園
- 阿久和大久保原公園
- 南台こどものもり公園
[編集] 主な寺
- 瀬谷八福神・・・近年では相模鉄道沿線に目立った観光スポットは動物園ズーラシア位しかなく、瀬谷区では行われてきた瀬谷八福神巡り(長天寺、妙光寺、善昌寺、徳善寺、宝蔵寺、西福寺、宗川寺、全通院勢至堂)を後援するようになった。通常は七福神であるが、ここは達磨大師を加えた珍しい八福神である。各お寺で御朱印帳(スタンプブック)が購入できる。相鉄の各駅でガイドブック兼御朱印帳が販売されていたこともあった。
- 妙光寺・・・大黒天。鎌倉時代の作の県指定の文化財の梵鐘がある。
- 善昌寺・・・恵比寿神。別名寅薬師、目の薬師。薬師如来が寅年だけご開帳される。
- 徳善寺・・・毘沙門天。
- 長天寺・・・達磨大師。
- 宝蔵寺・・・弁財天。
- 西福寺・・・布袋尊。千年椎の大木。文化の日に筆供養を行っている。
- 宗川寺・・・福禄寿。
- 全通院勢至堂・・・寿老人。
[編集] 主な神社
- 厄除けの七サバ巡り・・・瀬谷佐馬神社・上和田佐馬神社・下和田佐馬神社・上和田飯田神社・和泉佐婆神社・中和泉佐馬神社・下飯田佐馬神社
所在地、祭礼日、その他
- 神明社・・・二ツ橋、9/9
- 神明社・・・本郷、4/1
- 日枝社・・・本郷、9/22、けやき(樹齢300年以上、高さ40m、横浜市名木古木、かながわの名木100選)
- 八幡社・・・上瀬谷、9/18、岩崎丹後守により建立。境内に八幡上古墳跡。
- 諏訪社・・・相沢、9/7、源頼朝が鎌倉入りをした時に宿泊したと伝えられている。
- 左馬社・・・橋戸、9/10(9月第二日曜)、「さば」または「さま」と読む。源義朝=佐馬頭を祀っている。近隣にある左馬神社をめぐる「厄除けの七サバ巡り」がある。
- 神明社・・・宮沢、10月第一土曜日(9月第二日曜?)
- 熊野神社・・・阿久和、9/19、湯立て神楽(湯立の舞い)が奉納される。安和年間創建。本殿は明治6年建築。区内で建てられ現存する最古の建物と言われている。
- 白姫神社・・・三ツ境、8月第一土日曜日。縁日や神輿、山車が繰り広げられる。阿久和養蚕組合の守り神。現在ではそれにちなんで衣の神様でもある。
[編集] お囃子・音頭
- 橋戸囃子・・・横浜市無形民族文化財
- 阿久和囃子・・・横浜市民族芸能無形文化財に指定
- 瀬谷音頭・・・瀬谷祭りや区内の一部の小学校の運動会で披露される。瀬谷小唄もある。
[編集] 年間行事
- 1月
- 瀬谷区マラソン大会 -1月下旬、海軍道路周辺。
- 4月
- 桜祭り -4月上旬、海軍道路周辺・上瀬谷通信基地。
- 8月
- 三ツ境商店街夏祭り - 8月第一土日、三ツ境駅南口商店街。富士見通りでも行われる。神輿。2005年はサンバも行われた。
- 瀬谷谷米軍通信隊盆踊り -8月15日前後。米軍の事情により中止されることもある。
- 瀬谷銀座祭り -8月中旬、瀬谷駅南口商店街。駅から厚木街道まで屋台が建ち並ぶ。カラオケ大会等が催しされる。
- 10月
- 瀬谷フェスティバル - 10月最終日曜、上瀬谷通信隊はらっぱ。従来の「瀬谷祭り」から名称が変更された。
- 11月
[編集] 出身有名人
- 伊藤かずえ(女優)
- 堀江美都子(歌手)(声優)
- 嶋田久作(男優)
- 裕木奈江(女優)
- 加藤覚(専修大学陸上部監督、藤沢商業高等学校(現藤沢翔陵高等学校)卒、東野中学校卒)東野中学時代の校長が徳善寺住職(次の次の尾崎正善氏の父親)であった。
- 川口良平故人(前神奈川県医師会会長、慈恵会医科大学卒)
- 尾崎正善(徳善寺副住職、鶴見大学文化財学科助教授、横浜市立桜丘高等学校卒、駒澤大学大学院卒)
- 八木智哉(プロ野球選手)
- 雉牟田姉妹(テニスプレーヤー)
[編集] 瀬谷にゆかりのある有名人
- 葛西裕一(元プロボクサー)
- 山口百恵(東京都出身だが一時期暮らした)
- 矢口真里(神奈川県立瀬谷高等学校中退、元モーニング娘。)
- 小宮山慎二(阪神タイガース捕手、横浜隼人高等学校卒、厚木市出身)
- 長谷川真弓(女優)
[編集] 町名等
瀬谷1丁目~瀬谷6丁目 中央 相沢1丁目~7丁目 瀬谷町 本郷1丁目~3丁目 中屋敷1丁目~3丁目 上瀬谷町 竹村町 目黒町 五貫目町 卸本町 北町 東野 東野台 橋戸1丁目~3丁目 北新 下瀬谷1丁目~3丁目 南瀬谷1丁目~2丁目 南台1丁目~2丁目 宮沢1丁目~4丁目 二ツ橋町 三ツ境 阿久和東1丁目~4丁目 阿久和西1丁目~4丁目 阿久和南1丁目~4丁目
- 阿久和・・・新羅の古語で水を意味する「アカ」にちなむともいい、また、「アクワ」は「川の流れの曲がった様」を意味する。字として、鎌取、東原、運上野、宮沢台、向原、狢久保、吉原、小金、宮腰、細川、宮下、西村、蟹沢、雨池、猪窪、馬場畑、赤松戸、隼人、榊山、藤ケ谷、中村、土橋、善光寺谷、大久保原、山王塚、岡本、慶林谷、日向山がある。
- 三ツ境・・・。『新篇武蔵風土記稿』の「二俣川村」に「密經(みつきょう)新田 小名(こな) 三經(みつきょう) 東北の方なり」の記録があります。「三ツ境」のいわれについては、二俣川村、都岡村川井分、中川村阿久和分の三村の境を意味するとか、三ツ境の「境」は「橋」であるとか、旭区東希望が丘の三経山長楽寺に関係した仏教の「密経」に因(ちな)む、とかの諸説がある。
- 北新・・・町名は、「北村」、「新道」の字名があり、通称の「北新」を地元の要望により採用。
- 相沢・・・。『新篇相模國(さがみのくに)風土記稿』の「鎌倉郡瀬谷村」の小名(こな)に「相邊澤(あいべのざわ)」の記録がある。
- 二ツ橋・・・町区域に二か所の小橋があったことから「二ツ橋」と呼ぶようになった。徳川家康が慶長18年に詠んだという和歌「しみじみと清き流れの清水川 かけわたしたる二ツ橋かな」の「二ツ橋地名の碑」がある。字として、棟窪、千駄野、戸塚道、神奈川道、鎌倉道、宮ノ町、宮町、二ツ橋、広町、中丸、大亀窪、連雀谷、二ツ橋谷。
- 瀬谷・・・昭和59年の町界町名地番整理事業の施行に伴い、瀬谷町から新設された町。町名は「瀬谷」の名称を残したいとの地元要望により「瀬谷」を採用。字として下原、坂上原 、下瀬谷、下谷、下田、林、元林、下干池、谷戸上、谷戸尻、谷戸、北村、北村原、橋戸原、橋戸、山野、中原、大塚原、中川下、本郷耕地、上河内、土河内、上河地下、上耕地、本郷、神明、神明下 、本郷原、竹生谷、竹生沢、相沢、下長谷戸、下長谷、細谷戸前、細谷戸、二ツ橋、細谷戸向、相沢原、廣町、広町、田向、横谷戸、新道下、東野、田切、中丸、松下、藪根、中屋敷原、中屋敷、中屋敷耕地、馬場屋敷、竹村耕地、竹村、竹村原、下村、上瀬谷、上瀬谷原、上瀬谷下村、上笹原、芦原、上長谷、長谷向、長谷戸向、中谷向 、八幡耕地 、稲荷坂、八幡上、堀合、水押、植込、植込下、上平池、上平地、上テ池、上千池、上平池渕、上平地淵、笹原、土橋、長谷向、大門、檜並、杉並、下テ池、下平池、下平池渕、平池向、平地、平地淵、中平地、二ツ野、長谷、五貫目、五貫目原、姥久保、目黒、鍵谷、西ノ脇、高山。
- 宮沢・・・字として、宮ノ脇、宮脇、戸塚道、碇、寺ノ脇、赤関、宮ノ上、関ケ原、東山、洲崎、州崎、上ノ原、境切、大神。
[編集] その他
- 瀬谷区のちょっとした特徴
瀬谷駅南北(特に南口側)に理容室や美容室が著しく多く、その数は相模鉄道沿線では有数であると思われる。
- 瀬谷区の家系ラーメン
環状4号線沿いを中心に家系ラーメンのお店が点在している。
細谷戸の銭湯が閉店し、一時期は三ツ境の桜湯だけになってしまったが、最近では橋戸に湯楽(ゆら)の里、北部の目黒町にスーパー銭湯ざぶんがオープンした。
- 瀬谷区にまつわる地名・名所の入っているお菓子
瀬谷プリン。瀬谷最中。長屋門まんじゅう。瀬谷八福神(餅菓子)。昔が来た(茶饅頭)。瀬谷餅。あじさい最中。瀬谷の里(パイ)。そしてなによりも瀬谷4丁目カステラ文のカステラ(横浜そごうにても販売されている。)
- 釣り堀・釣具
本郷2丁目に釣り堀「フィッシングセンター田園」がある。目黒町に釣具屋(上州屋系列のアウトドアワールドつきみ野店)がある。
- 埋蔵伝説
阿久和に伝わる昔話に、阿久和の善光寺谷というところに一遍上人ゆかりのものやその他仏具・宝物が埋められているという。『鎌倉郡中川村郷土誌』には「道下に古穴らしきものあり強く之(これ)を踏む時は地下に異様な音響を聞く」とある。また阿久和には小金山がある。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 神奈川県の自治体等
-
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