薬師如来
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薬師如来(やくしにょらい、サンスクリット:Bhaisajyaguru)は、大乗仏教における如来の1つ。薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)とも称する。サンスクリットではバイシャジャグル。
[編集] 概要
東方浄瑠璃世界の教主であり、12の大願を発し、瑠璃光を以て衆生の病苦を救うとされている。無明の病を直す法薬を与える医薬の仏として信仰を集める。顕教系の如来であって、密教の曼荼羅類には一切登場しない。しかし伝統的に天皇家と結びつきが強かった天台宗での密教では、薬師如来が東方浄瑠璃世界の教主であることから、東の国の王たる天皇と結び付けられもした。また密教では、胎蔵大日如来と同体とする説があるが、これには天台密教において、顕教での妙法蓮華経に説かれる久遠実成の釈迦如来=密教の大日如来との解釈と、釈迦如来の衆生救済の姿という二つの見方による。
像容は、立像、坐像ともにあり、印相は右手を施無畏(せむい)印、左手を与願印とし、左手に薬壺(やくこ)を持つのが通例である。ただし、日本での造像例を見ると、奈良・薬師寺金堂像、奈良・唐招提寺金堂像のように、古代の像では薬壷を持たないものも多い。単独像として祀られる場合と、日光菩薩・月光菩薩を脇侍とした薬師三尊像として安置される場合がある。また、眷属として十二神将像をともに安置することが多い。
薬師如来の縁日は毎月8日である。これは、薬師如来の徳を講讃する「薬師講」に由来すると考えられている。
[編集] 日本における造像例
現世利益的信仰が有力な日本においては、薬師如来は病気平癒などを祈願しての造像例が多い。極楽往生を約束する仏である阿弥陀如来とともに、日本においてはもっとも信仰されてきた如来である。奈良・法隆寺金堂の薬師如来坐像は光背に推古天皇15年(607年)の銘があるが、銘文中の用語や像自体の鋳造技法等から、実際の制作は7世紀後半と言われている。薬師如来は密教の曼荼羅には登場しない顕教系の仏であるが、延暦寺、神護寺、東寺、寛永寺のような典型的な密教寺院においても、本尊に薬師如来を祀るところが多いのは注目すべきである。
[編集] 日本における著名な薬師如来像
(作例多数につき、国宝指定像のほか、仏教彫刻史上著名な作例を挙げるにとどめる)
- 奈良・法隆寺金堂像(坐像、飛鳥~奈良時代、国宝)
- 奈良・唐招提寺金堂像(立像、奈良時代~平安時代初期、国宝)
- 奈良・薬師寺像(薬師三尊の中尊、坐像、奈良時代、国宝)
- 京都・神護寺像(立像、平安時代初期、国宝)
- 奈良・新薬師寺像(坐像、平安時代初期、国宝)
- 京都・醍醐寺(上醍醐)薬師堂像(薬師三尊の中尊、坐像、平安時代前期、国宝)
- 京都・仁和寺(旧北院)像(坐像、平安時代、国宝)
- 大阪・獅子窟寺像(坐像、平安時代前期、国宝)
- 奈良国立博物館像(坐像、平安時代前期、国宝)
- 奈良・元興寺(奈良市芝新屋町)像(立像、平安時代前期、国宝)
- 福島・勝常寺像(薬師三尊の中尊、坐像、平安時代前期、国宝)
- 岩手・黒石寺像(坐像、平安時代初期、国重文)
- 和歌山・浄妙寺(薬師三尊の中尊、坐像、国重文)
- 大阪・孝恩寺像(坐像、平安時代中期、国重文)
- 大阪・勝尾寺像(薬師三尊の中尊、坐像、平安時代前期、国重文)
- 奈良・秋篠寺(薬師三尊の中尊、坐像、鎌倉時代、国重文)
- 兵庫・斑鳩寺(坐像、鎌倉時代、国重文)
- 長野・福満寺(坐像、平安時代、国重文)