東海 (列車)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東海(とうかい)とは、東海旅客鉄道(JR東海)と東日本旅客鉄道(JR東日本)が東海道本線東京駅~静岡駅間を運転する特急列車の愛称。
なお、JR東海のワイドビュー車両(373系)を使用することから、「ひだ」「しなの」などと同様に、市販の時刻表では「(ワイドビュー)東海」と記される場合がある。
目次 |
[編集] 運転形態
- 1日2往復で、朝と夕方に1往復ずつ運転されている。
- 373系6両編成で運行される普通車のみの編成(いわゆるモノクラス編成)で、座席指定席を連結している。
- 東京駅~三島駅間は、同区間を走る「踊り子」号の設定時間帯の前後を走り、東海道本線の昼行特急列車群の一翼を担っている。「踊り子」号が通過する平塚駅へも停車する。
- JRの昼行特急列車では唯一、新幹線と完全並行しており、全区間を通して東海道新幹線の補完輸送をおこなうという意味合いも強い。
- 停車駅
[編集] 東京~静岡・名古屋間運転の優等列車の歴史
東京~熱海・伊豆間は踊り子を、名古屋~大阪間は近鉄特急史を、東京~大阪間については東海道本線優等列車沿革を、名古屋~九州間については山陽本線優等列車沿革を参照。
[編集] 戦前
- 1889年(明治22年)4月16日 静岡駅~浜松駅間の開業により、新橋駅~名古屋駅間の東海道本線が開通。同年7月1日には深谷(廃止)より長岡駅(現、近江長岡駅)を経由する関ヶ原駅~馬場駅(現、膳所駅)間も開通して、同区間を最後に新橋駅~神戸駅間が全通した。
- 1896年(明治29年)9月1日 新橋駅~神戸駅間に官営鉄道初の長距離急行列車を設定。下りは新橋駅~名古屋駅間を10時間55分、新橋駅~大阪駅間を16時間29分で走った。なお、当時の普通列車では前記区間をそれぞれ12時間~13時間、17時間~18時間を要していた(ちなみに日本初の長距離急行列車は、1894年(明治27年)10月10日に、現在の山陽本線を当時運営していた私鉄の「山陽鉄道」が、神戸駅~広島駅間で運行を開始したのが始まりである)。
- 1914年(大正3年)12月20日 東京駅が開業。新橋駅に変わる東京のターミナル駅となった。
- 1940年(昭和15年)10月1日 それまで東海道本線の急行列車は、東京~関西・山陽の区間で設定されていたが、この時の改正でそれまでの準急列車(現在の快速列車に相当)を格上げする形で、東京駅~名古屋駅間に急行1041・1040列車が設定された。当時としては比較的短距離の列車であるため、食堂車などは連結されなかった。東京~名古屋間の所要時間は下りが6時間45分、上りが6時間35分であった。
- 1942年(昭和17年)11月15日 急行1041・1040列車は列車番号を125・126列車に改める。
- 1943年(昭和18年)2月1日 急行125・126列車廃止。
[編集] 戦後
[編集] 東名間準急「東海」と周辺列車群
- 1949年(昭和24年)9月15日 東京駅~名古屋駅間に夜行準急列車31・32列車が設定される。戦後の「準急列車」は有料列車で、当初は急行より速度・設備が劣り、その代わりに追加料金を低廉にした列車として設定された
- 1950年(昭和25年)10月1日 31・32列車を格上げ・区間延長する形で、東京駅~湊町駅(現、JR難波駅)・鳥羽駅間に夜行急行列車を設定。翌月「大和」と名づけられた。ただ前述のような経緯もあって、関西本線沿線の乗客のみでなく東京~名古屋間の利用客も多かったので、編成の約半分は途中の名古屋駅で切り離された。
- 1953年(昭和28年)11月11日 「大和」の鳥羽駅行き編成を「伊勢」として分離。
- 1955年(昭和30年)7月20日 東京駅~名古屋駅間を結ぶ準急列車として「東海」の運行開始。
- 1957年(昭和32年)10月1日 それ以前は客車列車で運行されていたものを80系電車に変更し、3往復まで増発。
- 1958年(昭和33年)10月1日 当時の新型車両である153系電車に取り替え。同時に夜行列車1往復増発。「大和」は「伊勢」との併結運転となる。(東京駅~亀山駅間)
- ちなみに、153系電車以降の先頭車両の形状を以て「東海形」と称する場合があるが、これはこの列車に最初に導入されたことにちなむとされる。
- 1959年(昭和34年)9月22日 「東海」の補助列車として全車座席指定制の準急「新東海」を設定。東京駅~浜松駅間に準急「はまな」を設定。「大和」はまた単独運転となる。
- 1960年(昭和35年)4月1日 東京駅~静岡駅間に、臨時の行楽用準急列車「日本平」を設定。車両は臨時ということもあって近郊普通列車用の111系電車を使用。なお、上りは品川駅止まりであった。
- 1960年(昭和35年)6月1日 東京駅~大垣駅間に修学旅行列車「こまどり」の間合いで臨時準急「長良」を設定。沼津駅~名古屋駅間に準急「するが」を設定。
- 1961年(昭和36年)10月1日 準急「新東海」を特急「おおとり」に昇格。下りは東京駅~大阪駅間の特別急行列車群の終了後、上りは大阪駅発の特急到着前に到着するダイヤで「新東海」の速達化ではあるが、東京駅~名古屋駅間の特急設定は初めてであった。また、「東海」は昼行5往復・夜行1往復の6往復体制となる。「長良」はこの時、仮名書きの「ながら」へ改められた。
- 1962年(昭和37年)3月10日 「大和」に和歌山市駅行きの編成を連結開始。途中の王寺駅で本編成から切り離され、普通列車に併結されて和歌山市駅へ向かった。
[編集] 新幹線開業後の東名間準急・急行「東海」とその周辺列車群
- 1964年(昭和39年)10月1日 東海道新幹線開業に伴い、特急「おおとり」は新幹線「こだま」に移行する形で廃止。「東海」昼行1往復廃止。「大和」は再び「伊勢」と併結になる。なお、「おおとり」の愛称は、間髪なくこの改正を機に新設の北海道特急へ転用された。
- 1965年(昭和40年)10月1日 「東海」の昼行1往復・夜行1往復、「はまな」・「ながら」廃止。「東海」は昼行4往復体制となる。「大和」の併結列車は「鳥羽」から、東京駅~米原駅~金沢駅間運転の「能登」に変更となる(東京駅~名古屋駅間)。「するが」は、修善寺駅(伊豆箱根鉄道駿豆線)~三島駅~大垣駅間運転の臨時準急へ格下げとなる。しかし、臨時ではあるが毎日運転された。
- 1966年(昭和41年)3月5日 準急制度の改変に伴い、「東海」・「するが」・「日本平」は急行列車に昇格。
- 1966年(昭和41年)3月25日 「するが」は再び定期列車に格上げられ、同時に「中伊豆」と改称。「するが」は急行に格上げられてからわずか20日で消滅することとなった。
- 1966年(昭和41年)9月25日 「日本平」、この日の運転をもって廃止。
[編集] 東京~静岡・御殿場間急行・特急「東海」・「ごてんば」
- 1968年(昭和43年)4月27日東京駅~御殿場駅間を運行する急行「ごてんば」を運行開始。165系3両編成。東京駅~国府津駅間で「東海」と併結した。
- この年10月1日 「東海」は、下り2,3号、上り2,4号の運転区間を東京駅~静岡駅間に短縮。「大和」・「伊勢」・「能登」が廃止され、代わりに東京駅~鳥羽駅・天王寺駅・紀伊勝浦駅間運転の「紀伊」が設定される。「紀伊」の名古屋発着は深夜となり、実質的に東京~名古屋間輸送を果たす夜行優等列車は消滅した。「中伊豆」も、臨時急行「しゅぜんじ」へ格下げされる(後に廃止されて消滅する)。
- 1972年(昭和47年)3月15日 急行「東海」は残る2往復も運行区間を東京駅~静岡駅間に変更。
以降、静岡以西の運転は、新幹線午前工事運休日の上り臨時列車のみとなる。 - 1973年(昭和48年)4月1日 「東海」は東京駅の東北新幹線乗り入れに伴う構内工事のため、下り2号を品川駅始発とする。
- 1980年(昭和55年)10月1日 「東海」3・4・7・8号廃止。同時に連結されていた「ごてんば」も減便。
- 1981年(昭和56年)10月1日 「東海」4号の始発駅を浜松駅とする。しかし、浜松駅~静岡駅間は普通列車扱い。
- 1985年(昭和60年)3月14日 急行「ごてんば」廃止。
- 1986年(昭和61年)11月1日 急行「東海」4号、浜松駅始発の列車を静岡駅始発とする。12両編成から11両編成となる。
- 1993年(平成5年)3月15日 急行「東海」4号以外は11両編成から8両編成となる。4号は東京駅~大垣駅間を運行していた夜行普通列車(通称“大垣夜行”)と組み合わせ運用だったため11両編成のまま存置された。
- 1996年(平成8年)3月16日 「東海」、特急列車に昇格。
- 2000年(平成12年)12月2日 従来の停車駅に川崎駅、平塚駅を復帰。同時に2号と3号の時刻を大幅に変更。ともに現在に至る。
[編集] 関連項目
カテゴリ: 鉄道関連のスタブ項目 | 日本の列車 | 東海旅客鉄道