わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線
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わたらせ渓谷線(わたらせけいこくせん)とは、群馬県桐生市の桐生駅から栃木県日光市の間藤駅に至るわたらせ渓谷鐵道が運営する鉄道路線。旧国鉄の特定地方交通線(足尾線)を引き継いだ路線である。通称は「わた渓(わたけい)」、「わてつ」。
目次 |
[編集] 路線データ
- 路線距離(営業キロ):44.1km(桐生~下新田信号場間(1.7km)は、JR両毛線と施設を共用)
- 軌間:1067mm
- 駅数:17駅(起終点駅含む)
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:なし(全線非電化)
- 閉塞方式:単線自動閉塞式(桐生~下新田信号場間)、自動閉塞式(特殊)(下新田信号場~相老間)、特殊自動閉塞式(電子符号照査式)(相老~間藤間)
[編集] 概要
わたらせ渓谷線は、その名の通り渡良瀬川の上流の美しい渓谷に沿って走る。ディーゼルカーが何度か渓谷を渡りながら、谷筋をさかのぼる路線で、特に初夏の新緑と秋の紅葉が絶品である。ハイシーズンにはトロッコ列車も運行され、渓谷美を堪能できる。しかし最上流部の足尾近辺は過去の鉱毒(足尾鉱毒事件参照)による影響が残り、禿山が続き異観を呈する。
銅山観光で訪れる観光客も多いが、日光側から細尾峠を経て足尾を訪れるハイカーもいる。
中間の水沼駅には温泉センターが併設されている。畳敷きの広い休憩所があり、近所の人やハイカーがくつろいでいるほか、物好きな観光客が訪れることもある。 また、富弘美術館は神戸駅からみどり市営バスで結ばれており、わたらせ渓谷線を利用して訪れる人も多い。
[編集] 運転
桐生~間藤間の全線通し(下り最終は足尾止まり)の運転と桐生~大間々間の区間列車が主で、早朝の下りと夜の上りに足尾~間藤間の区間列車が設定されている。ワンマン運転を実施している。
1998年10月10日から不定期であるがトロッコ列車「わたらせ渓谷号」が運転されている。
[編集] わたらせ渓谷号
運行時期は、4月下旬から11月までの間の(梅雨の時期は運休)土日祝日で、1ヶ月前から乗車予約できる。桐生駅では、わたらせ渓谷鐵道は1番線のみの使用であるため、機関車付け替えが出来ない事から、付け替えが出来る大間々駅を始発・終着駅としている。なお、桐生駅~大間々駅間は、普通列車が接続している。また、冬季の間は、お座敷列車「サロン・ド・わたらせ」による「料理列車」が団体専用列車として運行されている。
- 料金
- 普通旅客乗車券(切符)の他、トロッコ整理券が必要。整理券は大人片道500円、子供片道250円で団体利用の場合割引がある。なお、トロッコ整理券は大間々駅・相老駅・通洞駅・桐生駅及びJRみどりの窓口で販売される。
- 使用車両
- 先頭ディーゼル機関車を含む5両編成であるが、内4両が利用できる。先頭車両と最後尾車両が元JR12系客車で、中間の2両が京王5000系電車改造のトロッコ車両になっている。トロッコ車両自体には乗車口はなく、大間々からは最後尾の客車から乗車する。
[編集] 歴史
足尾銅山から産出される鉱石輸送のために足尾鉄道が敷設した路線である。鉱石輸送は国策上重要であったことから1913年には全線が国によって借上げられ、1918年には買収、国有化された。
最盛期には、国内の銅産出量の4割を誇った足尾銅山も資源の枯渇により1973年に閉山され、その後も輸入鉱石の製錬が継続されたものの、1986年にはそれも縮小され、足尾線による鉱石、精錬用の硫酸の輸送も廃止された。
銅山の衰退と歩調を合わせるように、足尾線の輸送量も減少を続け、1980年の国鉄再建法施行により1984年に第2次特定地方交通線に指定され、1989年にわたらせ渓谷鐵道に転換された。
- 1911年4月15日 足尾鉄道下新田連絡所~大間々町間開業(桐生~下新田連絡所間は、官設鉄道両毛線を借用)
- 1912年7月1日 相生駅を相老駅に改称
- 1912年9月15日 大間々町~神土(現在の神戸)間開業
- 1912年11月11日 神土~沢入間開業
- 1912年12月1日 大間々町駅を大間々駅に改称
- 1912年12月31日 沢入~足尾間開業
- 1913年10月13日 国が借入れ。足尾線(桐生~足尾)に改称
- 1914年8月15日 足尾~足尾本山間開業(貨物線。足尾線全通。同時に借入れ)
- 1914年11月1日 間藤駅開業。足尾~間藤間旅客営業開始
- 1918年6月1日 買収、国有化。足尾線(桐生~間藤、間藤~足尾本山(貨物線))
- 1959年9月8日 草木駅新設
- 1960年11月18日 小中駅新設
- 1973年6月27日 草木ダム建設に伴い、神土~沢入間を草木トンネル経由の新線に付け替え。草木駅廃止
- 1984年9月11日 廃止承認(第2次廃止対象特定地方交通線)
- 1987年4月1日 国鉄民営化により東日本旅客鉄道に承継(注1)。
- 1989年3月29日 JR足尾線廃止(注2)。わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線開業(44.1km)。運動公園駅、本宿駅、中野駅新設。神土駅を神戸駅に改称
- 1992年3月14日 下新田駅新設
- 1998年6月2日 間藤~足尾本山間の鉄道事業免許失効
- (注1) 東日本旅客鉄道(JR東日本)に承継されたため、名目上桐生~足尾本山間で旅客営業開始。ただし、実際の旅客営業は桐生~間藤間であった。同時に、下新田信号場~足尾本山間が日本貨物鉄道(JR貨物)の第2種鉄道事業区間(貨物扱い駅は足尾、足尾本山)となった。
- (注2) 転換と同時に日本貨物鉄道の第2種鉄道事業も廃止。間藤~足尾本山間(1.9km)は、わたらせ渓谷鐵道の免許線(未開業)となった。
[編集] 駅一覧・接続路線
- ●:停車、|:通過、空白:運行せず。
- *印は有人駅
駅名 | 普通 | わたらせ 渓谷号 |
接続路線 | 所在地 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|
*桐生駅 | ● | ● | ● | 東日本旅客鉄道:両毛線 上毛電気鉄道:上毛線 (西桐生駅:徒歩約5分) |
群馬県 | 桐生市 | |
(下新田信号場) | | | | | | | ||||
下新田駅 | ● | ● | ● | ||||
*相老駅 | ● | ● | ● | 東武鉄道:桐生線 | |||
運動公園駅 | ● | ● | ● | 上毛電気鉄道:上毛線 (桐生球場前駅:徒歩約5分) |
|||
大間々駅 | ● | ● | ● | ● | 東武鉄道:桐生線 上毛電気鉄道:上毛線 (赤城駅:徒歩約10分) |
みどり市 | |
上神梅駅 | ● | ● | | | ||||
本宿駅 | ● | ● | | | 桐生市 | |||
水沼駅 | ● | ● | ● | ||||
花輪駅 | ● | ● | | | みどり市 | |||
中野駅 | ● | ● | | | ||||
小中駅 | ● | ● | | | ||||
神戸駅 | ● | ● | ● | ||||
沢入駅 | ● | ● | ● | ||||
原向駅 | ● | ● | | | 栃木県 日光市 |
|||
通洞駅 | ● | ● | ● | ||||
足尾駅 | ● | ● | ● | ● | |||
間藤駅 | ● | ● |
[編集] 未成区間
間藤駅 - 足尾本山駅
- 1987年まで貨物線として営業。以後は実質的には廃線。
[編集] 廃止区間
神土駅 - 草木駅 - 沢入駅
- 駅名は廃止当時のもの。
[編集] その他
わたらせ渓谷鐵道は開業以来赤字に悩まされ続けており、基金も2003年に尽きたことにより、近年はたびたび存廃問題が取りざたされている。
国鉄足尾線時代の1977年5月28日、宮脇俊三がこの路線を最後に国鉄全線完乗を達成した路線としても知られている。2003年に宮脇氏が亡くなり、同年6月1日に間藤駅で追悼行事が行われた際には、「宮脇先生追悼号」という臨時列車が特製ヘッドマーク付きで運転された。