愛子内親王
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愛子 内親王(あいこ ないしんのう、平成13年(2001年)12月1日 - )は、皇太子徳仁親王と同妃雅子夫妻の第1子・長女。今上天皇明仁には3人目の孫にあたる。称号は「敬宮(としのみや)」、お印はゴヨウツツジ。皇室典範に定める敬称は殿下。マスコミ等からは「愛子さま」と呼ばれている。
平成13年(2001年)12月1日、宮内庁病院で出生。12月7日、秋山虔、鎌田正、米山寅太郎の案を受けて、祖父の今上天皇が称号と名前を決定した。出典は『孟子』離婁章句下の「仁者は人を愛し、礼ある者は人を敬ふ。人を愛する者は人恒に之を愛し、人を敬ふ者は人恒に之を敬ふ」(仁者愛人、有禮者敬人、愛人者人恒愛之、敬人者人恒敬之)に拠る。両親からは「愛ちゃん」と呼ばれ、自分自身も「愛ちゃん」と呼んでいる。
平成18年(2006年)現在の趣味は大相撲の観戦。力士の四股名だけでなく下の名前も覚えており、父の徳仁親王をして「とてもかなわない」と言わしめるほど。2006年9月10日、両国国技館にて両親と共に秋場所を観戦し、「夢じゃなかったのかしら」との感想を述べたという。
平成18年(2006年)4月11日、学習院幼稚園に入園した。
平成18年(2006年)11月11日、東宮御所で着袴の儀を行った。その後皇居・賢所仮殿を参拝し、天皇皇后に挨拶をした。
内親王をめぐって
待望久しかった皇太子夫妻の第1子であったことから、誕生と同時に注目を集めた。しかし、その後メディアに露出することを控えたため、発達の遅れがあるのではないかといった憶測が女性週刊誌を中心に流れた。この状況を受け、宮内庁は2004年9月にスナップ写真や徳仁親王が東宮御所内で撮影したビデオを公開するなど、異例の措置に踏みきって事態の収束につとめた。ビデオの中には皇太子を「パパ」と呼びながら絵本を読む姿などが映されていた。
昭和40年(1965年)の秋篠宮文仁親王誕生以降、長く皇室に男子が誕生しなかったため皇室典範見直しの機運が高まり、皇太子夫妻に女子が誕生したこともまたこれを後押しした。そのため、2005年から2006年にかけて、「皇室典範に関する有識者会議」において愛子内親王の将来の天皇即位を念頭においた女性・女系天皇の可能性が検討された(皇位継承問題)。
だが平成18年(2006年)9月6日、秋篠宮妃紀子が皇室で41年ぶりの男子悠仁親王を出産したことで、今後のより慎重な議論が予想される。
外部リンク
- 愛子内親王殿下 (宮内庁)