厚木海軍飛行場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
厚木海軍飛行場 (厚木航空基地/United States Naval Air Facility Atsugi) |
|||
---|---|---|---|
IATA:N/A - ICAO:RJTA | |||
概略 | |||
空港種別 | 軍用 | ||
管理者 | ○○○ | ||
航空管制 | 海上自衛隊 | ||
使用者 | 海上自衛隊・アメリカ海軍 | ||
運用時間 | 24時間 | ||
海抜 | 62m | ||
位置 | 神奈川県綾瀬市・大和市北緯35度27分16.60秒東経139度27分00.60秒 | ||
滑走路 | |||
方向 | ILS | m×幅 | 表面 |
01/19 | YES | 2,438m×46m | 舗装 |
厚木海軍飛行場(あつぎかいぐんひこうじょう)は、神奈川県綾瀬市と大和市にまたがる飛行場で、在日米海軍と海上自衛隊が共同で使用している軍事基地。県内で唯一、ジェット機が離着陸できる飛行場である。
通称厚木飛行場(あつぎひこうじょう)、海上自衛隊では厚木航空基地(あつぎこうくうきち)と呼ばれるが、日本の公的資料では「厚木海軍飛行場」と呼称されている。米海軍は空母キティホーク艦載機の本拠地として使用しており、海上自衛隊は対潜哨戒機や救難ヘリコプターの基地として使用している。
米軍内における名称はUnited States Naval Air Facility Atsugi(合衆国海軍厚木航空施設)である。
目次 |
[編集] 沿革
幕僚機関 |
---|
海上幕僚監部 |
主要部隊 |
自衛艦隊 |
横須賀地方隊 |
舞鶴地方隊 |
大湊地方隊 |
佐世保地方隊 |
呉地方隊 |
教育航空集団 |
練習艦隊 |
海自の群一覧 |
海自の隊一覧 |
主要機関 |
海自幹部学校 |
海自幹候学校 |
海自補給本部 |
その他 |
海自の基地一覧 |
海自の装備品一覧 |
大日本帝国海軍が、主に東京防衛の拠点として1938年に着工、1942年に完成した。
太平洋戦争末期は海軍の東京防空拠点となり、米軍の空襲ごとに戦闘機が飛び立ち迎撃に向った。この戦闘機隊は第三〇二海軍航空隊(略称302空)と呼ばれ、人員・装備とも枯渇しきった大戦末期の海軍航空兵力の中にあって数少ない精鋭部隊の一つだった。1945年8月、日本がポツダム宣言を受諾し降伏を決定すると、米軍は東京占領の拠点として厚木飛行場に白羽の矢を立てた。これに対して302空司令の小園安名大佐は玉音放送の後も降伏を受け入れず徹底抗戦を主張し、若い隊員たちも数日にわたって戦闘機からビラ撒きをするなど、厚木飛行場の部隊には混乱がみられた。だが、米内光政海相や高松宮宣仁親王などの説得により、302空の暴走も数日のうちに沈静化し、8月28日には米軍の大規模な部隊が到着して飛行場の接収を行った。
その2日後の8月30日、連合軍総司令官ダグラス・マッカーサーの乗った輸送機「バターン号」が厚木飛行場に着陸。「メルボルンから東京へ、長い道のりだった」と第一声を放った。このとき、彼が細いコーンパイプを咥えてタラップを降りる写真はあまりにも有名である。
その後、厚木飛行場は米陸軍によって管理されるが、飛行場としてではなく専ら資材置場として、キャンプ座間の補助施設のような形で用いられ、不要となって解体された格納庫の鉄骨などが、蔵前国技館の建設資材として転用されている。1949年には一旦閉鎖され、接収解除も目前であった。しかし、翌1950年に朝鮮戦争が勃発すると、厚木飛行場は再認識され、米軍の極東における中核航空基地の一つとして復活、管轄も陸軍から海軍に移動する。朝鮮戦争の停戦後も飛行場は順次整備・拡張され、1960年代には現在とほぼ同じ姿になった。
ベトナム戦争の終息に伴い米軍航空隊は次第に撤退し、代わりとして1971年には海上自衛隊が使用を始めた。その後、1973年に米第7艦隊の空母ミッドウェイが横須賀港を事実上の母港にすると、ミッドウェイの艦載機が厚木に駐留するようになり、ここに「米空母艦載機の基地兼海上自衛隊の基地」という位置づけが成立した。この位置づけは1970年代末期以降の冷戦再燃に伴って固定化し、空母がミッドウェイからインディペンデンス (CV-62)を経てキティホークに代替わりした現在も基本的に変わっていない。 尚、西暦2008年度中には、ニミッツ級航空母艦ジョージ・ワシントン(George Washington、CVN-73)が、キティーホークに換わり、横須賀に配備される予定である。
[編集] 航空管制
種類 | 周波数 | 運用時間 |
GND | 141.2MHz,299.7MHz | |
TWR | 126.2MHz,236.8MHz,340.2MHz,360.2MHz | 6:00~2200 |
YOKOTA DEP | 122.1MHz,363.8MHz | |
YOKOTA APP | 118.3MHz,123.8MHz,261.4MHz,270.6MHz,367.0MHz | |
BIDDY ATSUGI | 3050.0KHz,8981.5KHz | |
MET | 306MHz | 6:00~22:00 |
ATIS | 246.8MHz | 6:00~22:00 |
RESCUE | 123.1MHz |
- 運用時間の空欄は、24時間運用
[編集] 航空保安無線施設
局名 | 種類 | 周波数 | 識別信号 |
厚木 | TACAN | 1185.0MHz | NJA |
厚木 | ILS | 111.3MHz | IAG |
- 運用時間は、24時間
[編集] 名前の由来
敷地は大和市と綾瀬市にまたがっているが、両市とも名前の由来となっている厚木市との間は海老名市や相模川によって隔てられており、地理的に「厚木」との関連性が全くない。なぜこの飛行場に「厚木」の名がつけられたのかについては昔から様々に論じられており、比較的知られているものとしては、
- 「大和」は当時の最高軍機であった「戦艦大和」に通じ海軍飛行場の名前には適さないとして、近隣の地名で大山街道の宿場として比較的名の通った「愛甲郡厚木町」から名前を取ったとする説
- 海軍が防諜の目的で所在地を欺瞞するため、意図的に違う場所の名前をつけたとする説
などがあり、とりわけ前者については広く人口に膾炙され半ば通説と化しているが、厚木飛行場完成後の1944年、海軍が奈良県で実際に「大和飛行場」を建設しているため、この説には矛盾が生じる。また後者については、飛行場という施設の特徴上、異なった土地の名前をつけたところで敵機が空から見れば一目瞭然のため効果は疑わしく、他の飛行場でも同様の例が殆ど見られないことからこちらも信憑性が低い。一方、比較的妥当性が認められるものとしては、
- 完成当時の飛行場所在地の地名は「高座郡大和村・綾瀬村・渋谷村」であるが、「大和」「綾瀬」「渋谷」のいずれも他の有名な土地(大和國・つまり奈良県、東京市足立区綾瀬、東京市渋谷区)と重複する名称で紛らわしいため、「戦艦大和重複回避説」と同じく「愛甲郡厚木町」から名前を取ったとする説
- 建設当時は「大和村・綾瀬村・渋谷村」は農村地帯で、飛行場の所在地は当時神奈川県の中でも交通の便が悪いところであるため飛行場へ案内する都合上、大山街道の宿場町であり、商店や料理屋・旅館が立ち並んでいた「愛甲郡厚木町」から名前を取ったとする説
があるが、実際に命名に関与した者がことごとく他界しており、現在では真相を知り得る可能性はほぼ完全に消失している。
[編集] 墜落事故
周辺では離着陸する飛行機の墜落事故が多数発生しており、そのうち重大なものだけでも以下のような事故がある:
- 1964年4月5日、町田市中心街にF-8戦闘機が墜落、住民4人死亡。(町田米軍機墜落事故)
- 同年9月8日、大和市の鉄工所にF-8戦闘機が墜落、住民と従業員5人死亡。
- 1977年9月27日、横浜市緑区(現青葉区)荏田町の住宅街にRF-4Bファントム偵察機が墜落、幼児2人が死亡、母親も闘病4年後に死亡、その他多数が重軽傷を負う(横浜米軍機墜落事件)。
現在でもこのような事故が起こる可能性が解消されたわけではない。相模鉄道も過去に墜落事故の為不通となったことがあり、 リスク回避のため滑走路延長線部分に当たる区間はコンクリートによってトンネル化された。その後建設された東名高速道路の大和トンネルも同様の理由に拠る。
[編集] 騒音問題
住宅地のすぐ上を軍用機が飛ぶときの騒音はすさまじいもので、対策として大和市や藤沢市などで二重窓化などの住宅改造が公費で行われている。とくに米軍のNLP(Night Landing Practice 夜間発着訓練)が行われる場合、住民の苦情が多い。NLPは、米軍の空母艦載機が滑走路を空母の飛行甲板に見立てて、着陸と離陸を繰り返すものである。空母艦載機の発着訓練は、空母の入港期間中には空母甲板上で一切の離発着が出来ないため、パイロットの錬度を維持するために、常に行わなければならないものである。騒音対策のため、硫黄島通信所にも日本の税金でNLP用の基地施設が作られたが、横須賀に入港している空母から遠く離れていることと、近くに緊急着陸用の飛行場が存在せず、安全な訓練の実施が出来ないとして、アメリカ海軍は使用を避ける傾向がある。
世界的な米軍再編計画の一環として、厚木基地から山口県の岩国基地へ、艦載機の全面移転が計画されている。しかし日本国内の調整が終わっておらず、山口県側の反対もあり、実現は早くとも2013年以降になる見込みである。移転後には、厚木基地の民間利用の可能性もある。これが実現された際には羽田と成田空港の混雑緩和が可能であり、航空路線の増便による経済効果も大きく、日本経済にとっては大きなメリットがあるが、騒音問題に関する地元の反発は必至と見られる。ただし最近の民間機は騒音が小さく、軍用機ほどではないとの意見もある。またこの問題は、東京都が強く求めている米軍横田基地の民間利用問題や、自衛隊の下総航空基地や入間基地への自衛隊部隊移転等の動向に影響されると考えられる。いずれにせよ、この問題は、米軍再編計画の今後の動向に大きく左右されると考えられる。
[編集] 現在の主な常駐機
[編集] 米海軍
[編集] 米陸軍
UC-35A
[編集] 海上自衛隊
P-3C,UP-3,UH-60J,SH-60J,SH-60K,YS-11,TC-90など
[編集] 過去の主な常駐機
[編集] 旧日本海軍
[編集] 米海軍
F-8クルセイダー、F-4ファントムII、F-14トムキャット、A-4スカイホーク、A-6イントルーダー、A-7コルセアIIなど
[編集] 海上自衛隊
U/O/UP-3C、US-1、YS-11M、P-2V、P-2J、SH-60J など
[編集] 参考文献
- 岡本 喬『海軍厚木航空基地』(同成社、1987年) ISBN 4886210473
[編集] 外部リンク
- 厚木航空基地(海上自衛隊公式サイト)
- 大和市基地対策課
- 厚木基地(綾瀬市)
- Naval Air Facility Atsugi(米海軍厚木航空施設ホームページ、英語)
空港情報 (RJTA) |
空港情報(worldaerodata.com) | 定時航空気象(METAR) | 飛行用飛行場予報(TAF) | 定時航空気象 |
この「厚木海軍飛行場」は、軍事に関連した書きかけ項目です。この項目を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています。(関連: ウィキポータル 軍事 - ウィキプロジェクト 軍事) |