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下総航空基地(しもふさこうくうきち)は、千葉県柏市と鎌ケ谷市にまたがる海上自衛隊の飛行場・航空基地。教育航空集団司令部、第3術科学校、航空補給処下総支処などが置かれており、対潜哨戒機P-3Cを使用した海上自衛隊航空要員の教育訓練を行っている。また、下総航空基地隊隷下に下総救難飛行隊があり、日本の太平洋東方海域から伊豆諸島に到る広大な海域の救難業務を行っている。
他には、近くに陸上自衛隊習志野駐屯地があるため、習志野駐屯地に駐屯している第1空挺団の落下傘降下訓練にも使われている。落下傘降下訓練を行う際は、航空自衛隊入間基地からC-1輸送機がやってきて、隊員を乗せて習志野駐屯地上空へ向けて飛び立つ。有事の際は、第1空挺団や特殊作戦群の隊員が、習志野駐屯地から速やかに下総航空基地へ移動し、ここから日本全国に緊急展開する可能性が高い。
[編集] 歴史
- 1932年(昭和7年)・・・武蔵野カントリークラブ「藤ヶ谷コース」として開発される(当時東洋一の規模のゴルフ場であった)
- 1945年(昭和20年)・・・陸軍省が接収し、旧日本陸軍藤ヶ谷飛行場となる。終戦後、アメリカ空軍白井基地としてGHQに接収される
- 1959年(昭和34年)・・・日米共用飛行場になる。海上自衛隊白井術科教育隊が編成される。同年末、アメリカ空軍が撤退
- 1961年(昭和36年)・・・白井術科教育隊が第3術科学校に改称
- 1962年(昭和37年)・・・滑走路、管制塔等の施設が改修され、第4航空群が下総航空基地にて編成
- 1973年(昭和48年)・・・教育航空集団司令部が下総に移転してくる。一方、 第4航空群が厚木航空基地に転出
- 1974年(昭和49年)・・・下総教育航空群を編成
- 1987年(昭和62年)・・・下総教育航空群にP-3Cが配備される
- 1993年(平成5年)・・・下総航空基地隊隷下に救難飛行隊が編成
- 1996年(平成8年)・・・教育航空集団司令部新庁舎が完成
- 1998年(平成10年)・・・下総航空工作所・航空補給処下総支処が開設
[編集] 所属部隊
- 航空教育集団
- システム通信隊群
- 移動通信隊
- 横須賀システム通信隊下総システム通信分遣隊
- 第3術科学校(教育内容については江田島基地を参照のこと)
- 補給本部航空補給処下総支処
- 海上自衛隊警務隊下総警務分遣隊
- 情報保全隊下総情報保全分遣隊
[編集] 周辺
[編集] 外部リンク