P-2J (航空機)
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概要 | |
分類 | 対潜哨戒機 |
乗員 | 12名 |
製造者 | 川崎重工業 |
寸法 | |
全長 | 29.7 m |
全幅 | 30.9 m |
全高 | 8.9 m |
翼面積 | ? |
重量 | |
全備重量 | 36,288kg |
機関 | |
エンジン | GE T64-IHI-10 ターボプロップ ×2 IHI製 J3-IHI-7D ターボジェット ×2 |
出力 | GE:3,060馬力×2 IHI:1,550 kgf ×2 |
性能 | |
最大速度 | 635km/h(高度3,050m) |
航続距離 | km |
実用上昇限度 | m |
武装 | Mk.34ホーミング魚雷 ×4 150kg対潜爆弾×16 128mm ロケット弾×8 |
初飛行 | 1966年7月21日(P2V-7改) |
P-2J(ぴーにじぇい)は、日本の海上自衛隊が採用した対潜哨戒機。原型はアメリカ合衆国の航空機メーカー、ロッキード社が開発したP2V-7で、川崎重工業が改造開発した。愛称はP2Vと同じく「おおわし」。
目次 |
[編集] 開発経緯
海上自衛隊では1956年(昭和31)から米海軍に供与されたロッキードP2V-7ネプチューン対潜哨戒機60機を使用してきたが、飛行性能は優秀であったものの、すでに米国では、脅威を増しつつあったソ連の原子力潜水艦に対抗出来ないとして、1962年(昭和37)からP-3Aへ更新を行っていた。
海上自衛隊部内に於いても昭和30年代中頃(1960年頃)から次期対潜哨戒機P-Xの研究と機種選定を開始し、P2V-7のエンジンをタービン化し、日本の状況に合わせて対潜機器を更新した機体を開発することに決定、ロッキードにライセンス料を支払って日本が独自に開発・生産を行うことになった。
P2V-7の4637号機から改造されたP2V-7改は1966年(昭和41)7月21日に初飛行、各種試験を経て、P-2Jとして制式採用された。量産1号機は1969年(昭和44)8月8日に初飛行、10月7日に海上自衛隊に納入され、実用試験を経て1971年(昭和46)2月に部隊配備が始まった。なお、同時期に新明和工業が独自開発したPS-1哨戒飛行艇も海上自衛隊に配備されている。
[編集] 運用
P-2JはP2V-7より大幅に性能が向上し、同時期の米海軍のP-3B対潜哨戒機と同程度の能力を有していたが、原子力潜水艦への対処能力は不足しており、1968年(昭和43)から選考が始まった次期対潜哨戒機PX-Lを導入するまでの繋ぎと見なされていた。しかし、PX-Lの選定に手間取ったことや、PX-Lに最有力視されていたP-3Cの導入がロッキード事件の煽りを受けて白紙に戻されたこともあり、主力対潜哨戒機として1979年(昭和54)3月14日までに82機が生産(1号機はP2V-7から改造、計83機)され、7個対潜航空隊に配属された。
1981年(昭和56)からはP-3Cが導入され始めたが、その後も能力向上を図り改造が加えられ、P-3Cの戦力が整備されるまで第一線で使用された。1994年(平成6)5月26日付で全機退役したが、軍用機としては珍しく、生産・配備された全機が無事故で無事に退役した。
[編集] 配備部隊
- P-2J
- 第1航空群 - 第1航空隊、第7航空隊
- 第2航空群 - 第2航空隊、第4航空隊
- 第4航空群 - 第3航空隊
- 第5航空群 - 臨時沖縄航空隊→沖縄航空隊→第5航空隊
- 航空集団 - 第51航空隊第511飛行隊
- 第203教育航空隊 鹿屋教育航空群
- 第205教育航空隊 下総教育航空群
- UP-2J
- 航空集団 - 第51航空隊→第61航空隊→第31航空群 - 第81航空隊
- VSA 可変特性実験機
- 航空集団 - 第51航空隊 - 第511飛行隊
[編集] 改良点
[編集] エンジン転換
P-2Jは、P2V-7が搭載していたライト R-3350 レシプロエンジンから ジェネラル・エレクトリック T64-IHI-10 ターボプロップエンジンに換装してタービン化を図り、プロペラも4翅から3翅のものに変更、補助ジェットエンジンはJ34から石川島播磨重工業のJ3(T-1B練習機搭載)に転換した。これにより巡航速度が上昇、性能も向上した。なお、P-2J退役後にエンジンは再利用され、航空自衛隊のYS-11EA/EBに搭載された(スーパーYS)。
[編集] 機体の改造
機体はP2V-7に比べ1.3メートル延長して、機内の空間拡大に努め対潜機器を換装し、P2V-7には無かったTACCO(戦術航空士)席が新設されより効率的に対潜任務がこなせる様になった。また、ラダーの増積に伴って垂直尾翼の形状を変更、重量増に対応して主車輪のダブル化を行った。
[編集] 発展型
派生型である多用途機 UP-2J は用途の違う機体が2機ずつ計4機ある。最初に、標的曳航型の多用途機S2F-Uの後継機として1機のP-2Jが改造を受け、1979年(昭和54)12月19日に UP-2J として納入された。この機体は後に1機が改造されて2機となった。続いて別の2機が電子戦データ収集(ELINT)機に改造されたが、こちらも名称はUP-2Jであった。標的曳航機はU-36Aへ、ELINT機はEP-3に更新され、1991年(平成3)12月に全機が退役した。これら4機は全て第51航空隊で試験を受けた後に第61航空隊に配備され、1983年(昭和58)3月30日に第81航空隊が編成される共に移動した。
これらとは別に、1機が可変特性実験機(VSA:Variable Stability Test Aircraft)に改造されたが、機首に試験用の標準ピトー管が設置された以外に外見上の違いは無く、P2V-7によるVSAのような派手さや宣伝は無かった。
[編集] 登場作品
- 西部警察 PART-III(地方ロケ福島編にて「防衛隊」の哨戒機としてライブフィルムで登場)