二子新地駅
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二子新地駅(ふたこしんちえき)は、神奈川県川崎市高津区二子2丁目にある東京急行電鉄田園都市線の駅である。
駅名は「ふたこしんち」と濁らず読むが、地名の二子は「ふたご」と濁って読む。
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[編集] 駅構造
- のりば
- ■鷺沼・長津田・中央林間 方面
- ■二子玉川・渋谷・押上・春日部・久喜・南栗橋 方面
- バリアフリー
エレベーター・エスカレーター・ワイド改札口が設置されている。
- エスカレーターに関しては、下りホームへは上りのみ設置され、上りホームへは上下とも設置されている。
- 多機能トイレはない。
[編集] 駅構内設備
かつて、トイレ・売店ともに改札外にあったが、売店のみ2006年10月に改札内に移動した。
[編集] 複々線化工事・駅改良工事
二子新地駅は田園都市線複々線化(東急大井町線の溝の口延伸)事業に伴い、大規模工事中である。
2006年8月現在、上下ホームが新ホームに切り替えられ、上下ホームと改札を結ぶ階段にはエレベーター・エレベーターが設置され、積年の課題であったバリアフリー化が完了している。ただし、駅舎は依然建設中。トイレ等は改札外に仮設トイレが設置されている。
大井町線が溝の口駅まで延伸された際には、現行の田園都市線各駅停車に加え、大井町線の各駅停車のうち1時間あたり4本が当駅に停車する予定である。(日中の数字。朝夕は不明。)
[編集] その他
上りホームには二子玉川寄りの位置に世田谷区たまがわ花火大会・川崎市制記念多摩川花火大会当日のみ下車客専用階段として使用される階段がある(花火大会当日以外の日は仕切りが立てられ、使用できない。)。この階段からは、二子橋西詰脇の高架下に設けられた臨時改札口から花火会場にアクセスできる。
[編集] 利用状況
- 1日平均乗降者数 16,193人(2004年度、田園都市線内第23位)
近年、駅周辺でのマンション開発もあり、駅の利用者は増加傾向にある。
[編集] 駅周辺
駅周辺は住宅街が広がる。
- 多摩川
駅から河川敷まで至近のため、週末になるとバーベキューなど行楽で訪れる人々で賑わう。 - 二子橋
- 岡本かの子文学碑「誇り」(岡本太郎制作、二子神社内)
- 川崎歴史ガイド
当駅が大山街道コースの出発地になっており、駅前に総合案内パネルが設置されている(現在は改良工事に伴い駐輪場付近に移設されている)。 - 川崎諏訪郵便局(特定局)
- 小黒恵子童謡記念館
当駅より徒歩約13分。土・日曜日のみ開館。 - 高津スポーツセンター
当駅より徒歩約8分。利用案内は[1]にある。 - 川崎市制記念多摩川花火大会
高津区諏訪地先で開催される様になって以降、当駅が最寄り駅となったため、大会当日は大変混雑し、臨時出札の設置や入場規制などが行われる。なお、一時期は二子玉川緑地にて「世田谷区たまがわ花火大会」が同日に開催されていたが、現在は中止されている(2007年より再開予定、外部リンク先を参照の事。)。 - 高津区民祭
大山街道沿いを練り歩くパレードが、当駅近くの高津スポーツセンターより出発し、当駅前を通過する。当日近くになると沿道には提灯が灯り、当日には大山街道沿いに露店が立ち並び、近隣から人が繰り出して賑わう。 - 相次ぐ工場跡地のマンション建設
多摩川沿いにはかつて大小様々な工場が点在していたが、それらの移転などにより、跡地を東京など他地方のディベロッパが買い付けるなどしての大規模マンション建設が相次いでいる。しかし、当駅周辺には戸建て住宅が建ち並ぶ閑静な住宅街が広がっており、最近まで田園都市線高架よりも高い建築物がほとんどなかった街並みのため、景観や日照などの問題が起こり、既存住民との折り合いがつかない例も見られる。なお、最近当駅周辺に建てられているマンションには、隣の二子玉川駅や多摩川が注目されているためか、それらを連想させる「二子多摩川」と冠するものが目立つ特徴がある。
[編集] 路線バス
- 二子神社前
[編集] 歴史
- 1927年(昭和2年)7月15日 玉川電気鉄道溝ノ口線二子駅として開業。当時は軌道法による専用軌道駅。
- 1935年(昭和10年)頃 二子新地前駅に改称。
- 1943年(昭和18年)7月1日 東急大井町線に編入され、1,067mmに改軌し、鉄道駅となる。
- 1966年(昭和41年)3月18日 二子橋梁(専用橋梁)竣工に伴い高架駅化。
- 1977年(昭和52年)12月16日 二子新地駅に改称。
- 2005年(平成17年)1月31日 複々線化工事進捗により下り線切り替え、新下りホームを使用開始。同時に下りホームがバリアフリー化。
- 2005年(平成17年)8月27日 複々線化工事進捗により上り線切り替え、旧下りホームを仮設上りホームとして使用開始。
- 2006年7月29日深夜から30日早朝に掛けて、旧上りホームを改築の上、上り線を再度切り替えて新上りホームとして使用開始。同時に、上りホームのバリアフリー化を行い、当駅のバリアフリー化が完了。
今後、仮設上りホームは撤去され、通過線2本が設置される計画になっている。
[編集] 駅名の由来
かつて、江戸幕府が江戸護衛の最前線と位置付けていた多摩川には架橋が制限されていたため、長く渡船「二子の渡し」が両岸の大山街道をつないでいた。しかし、時代が流れ、ここに橋が架けられる事となった。
その際、この付近一帯には街道宿が数軒立地していた外は静かな田園地帯であり、繁華街がなかったため、役人接待のために芸者を呼び、歓楽街が開かれ、それが「二子新地」と呼ばれた。当駅はその前に立地していたため、「二子新地前(ふたごしんちまえ)」と名付けられた。
しかし、時が流れて歓楽街は姿を消し、また双子を持つ母親が聞いた車内案内放送の発音によっては「双子死んじまえ」と聞こえるとの批判もあった事から、「前」を取り去り、現駅名へと改称された。
当駅周辺が三業地として華やいだ時代の面影を今に伝える様に、当時から民家が建ち並んでいた地域のほぼ全域に「二子三業組合」の銘板が付いた街灯柱が建てられており、今も町内を明るく照らし続けてしている。また、その経緯故か、当駅周辺には居酒屋が多く立地し、近隣には料亭もいくつか残っており、往時を偲ばせる。
なお、開業当初の駅名は「二子」であったが、開業から概ね10年程度のうちに「二子新地前」に改称された。
[編集] その他
- 東急バス向02系統(現在:二子玉川駅~高津営業所~梅林~向ヶ丘遊園駅東口)のバス路線は、かつては当駅付近より着発し、旧大山街道を経由して走っていた(当時:二子新地前駅~大貫病院~高津(十字路)~梅林~向ヶ丘遊園駅東口)。しかし、東京・横浜バイパスが開通すると、同系統は隣の二子玉川駅(当時は二子玉川園駅)を着発し、その沿道にある東急バス(当時は東京急行電鉄バス)高津営業所の前を経由する経路に変更されて(当駅前は経由せず、当駅最寄りのバス停は「二子神社前」)以降、当駅前を着発するバス路線は消滅した。なお、当時のバス折返場跡には現在はマンションが建っており、往時の面影は見られない。
- 当駅は田園都市線の中では自動改札機の導入が遅い駅となった。自動改札機導入前までは、早朝・深夜は自動券売機が閉鎖され、当駅で乗車する場合は下車駅の改札口又は車内で精算しなければならなかった。なお、現在も早朝・夜間(朝7時以前及び夜21時以降)は無人となるが、現在は保安設備の向上により、無人時間帯も自動改札機及び自動券売機が稼働している。