ドーピング
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ドーピング(Doping)はスポーツなどの競技で好成績を挙げるためにステロイドなどの薬品を投与したり、その他の物理的方法をとる事。オリンピック、競馬などで使用が禁止され、違反行為となるものを指す。
英語Dopingは南アフリカの先住民のカフィール族が、Dope(ドープ)という刺激・興奮するドラッグを戦い前の出陣式などに疲労回復・士気向上のため使用していたことに由来する。
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[編集] 人間へのドーピング
ドーピング禁止薬物の中には、アルコールやカフェインのように、法律上服用が許容され、さらに、薬品ではなく通常の飲食物に含有されているものも多い。また、ドーピング検査による禁止薬物の検出を隠蔽するための薬品の使用もドーピングとみなされている。(なおカフェインについては、2004・2005年禁止リストで禁止物質から除外され、監視プログラムに移行した。[1])
競技成績向上のために薬物を使用するのは最近の風潮というわけではなく、競技者は数世紀にわたって様々な薬物を使ってきている。
[編集] ドーピング検査
現在のドーピング検査としては、尿検査や血液検査が行われている。
ドーピングは、たいてい競技に対する不正行為とみなされている。それに加えて、ドーピングの多くは選手の健康に対する脅威にもなりうる。ドーピングの副作用である健康への害を起こす症状は、現役を引退するまで出ないことも多い。
ドーピング行為には、何らかの権限を持つ機関によって、罰金が科せられることもある。これは、不正使用であっても、処方薬さらには麻酔薬である場合、すなわち医学的理由で使用された場合であっても同様である。
[編集] ドーピング事件
近代スポーツ史上初めて報告されたドーピングの事例は、1865年にアムステルダムの運河水泳におけるオランダの競泳選手による覚醒剤の使用である。1886年ボルドー-パリ間の600km自転車レースでイギリスの選手がオーナーから投与のトリメチルの過剰摂取により死亡、近代スポーツ初の死者となった。19世紀後半にはヨーロッパの自転車選手が痛みや疲労の抑制のためにカフェインやエーテル付き砂糖といった薬物を使用していた。
1904年のセントルイスオリンピックのマラソンではアメリカのトーマス・ヒックスが優勝し、そのまま倒れた。数時間かけて介抱され意識が戻ったが、ヒックスは金メダル獲得のためにコカイン入りのブランデーを飲んでいた。ただし、当時はルール違反ではなかったため今日まで金メダリストとされている。
1960年のローマオリンピックにおいては自転車のロードレース競技で選手1名が急死する事件が発生し、調査の結果興奮剤を服用していたことが判明する。
1988年、ソウルオリンピック100メートル走で当時の世界新記録を出したベン・ジョンソンがドーピング禁止薬物の検出により失格となり世界中に衝撃を与えた。
陸上女子におけるフローレンス・ジョイナー、マリタ・コッホ、中国の馬軍団(王軍霞ら)などの白々しくも驚異的な世界記録はドーピングによるものだということが確実視されている。
1980年代の旧ソ連や東ドイツなどでは、ドーピングが組織的に行われていたらしく、その残滓とも思われる世界記録が今でも多く破られずに残っている。
1998年、ツール・ド・フランスで広範囲なドーピング疑惑が噴出した。この問題となった通称EPO(エリスロポイエチン)と呼ばれるドーピングを行うと、赤血球の生成を促進する事で赤血球が増加し、血液の酸素運搬能力が向上させて持久力を上げる事が可能だが、血液が濃くなり過ぎる事で人体に重篤な障害を引き起こす可能性があり、ヘマトクリット(血液中に占める血球の容積率)の許容値を規定する事で規制しようとの動きが活発になった。
EPOドーピング問題は古くからサッカー界でも知られており、ヨーロッパの有力クラブチームが組織ぐるみで行っていたとも噂されている。1954年のワールドカップで優勝した西ドイツや、1966年のワールドカップでイングランド大会で旋風を巻き起こした北朝鮮の選手に対して、EPOドーピング使用の疑惑を訴えるジャーナリストも多い。1994年に1994 FIFAワールドカップで当時アルゼンチン代表だったディエゴ・マラドーナが、ドーピング検査でエフェドリンが摘出され、無期限の出場停止で大会から追放された。最近では、2004年にアーセナルのアーセン・ベンゲル監督が所属している外国人選手の中に、以前所属していたクラブでドーピングをしていた可能性のある選手が居ると発言し、世界中に波紋を投げ掛けた。
メジャーリーグではバリー・ボンズやマーク・マグワイア、サミー・ソーサなどが、筋肉増強系の薬物を使ってホームランを量産したと見られている。2004年のアテネオリンピックでも、24人がドーピングを行っていたとされる。その中には出場辞退したギリシャの2選手、ハンマー投げで渦中のアドリアン・アヌシュ(ハンガリー)や砲丸投げのイリーナ・コルジャネンコ(ロシア、1999年の世界室内選手権でも前科あり)なども含まれている。
2005年12月13日、スポーツ仲裁裁判所(CAS、Court of Arbitration for Sport)は陸上男子100メートルで米の元世界記録保持者ティム・モンゴメリ(30)に対し、2005年6月から2年間の資格停止とすると発表した。併せて、2001年3月以降の成績は全て抹消されることになり、2002年9月にマークした9秒78の世界記録(当時)も無効になった。
近年の遺伝子治療技術の発展により、新たな種類のドーピング「遺伝子ドーピング」につながるのではないかとの懸念が広がりつつある。この新種のドーピングは理論上、検出が非常に困難であり、長年にわたって不正利用が続けられる可能性がある。世界アンチ・ドーピング機構(WADA; World Anti-Doping Agency)は、遺伝子治療がドーピングの新たな手段となる前に、そのドーピング行為を発見するための研究を続けている。
2006年3月17日、国際野球連盟(IBAF)は、国別対抗戦「ワールドベースボールクラシック(WBC)」で準決勝に進出した韓国代表の朴明桓投手にドーピング検査で陽性反応が出たと発表した。WBC初めての違反者となった朴明桓は、登録枠30人から除外されることになった。
2006年4月28日、マイナーリーグ3Aノーフォークに所属する入来祐作投手が薬物検査に引っ掛かり、50試合の出場停止処分を科された。どのような薬物を使用したのかは不明。
[編集] 日本におけるドーピング問題
日本におけるドーピング問題は、近年に至るまであまり問題視されることはなかった。日本の医師の社会的地位の高さと、日本人の国民性から、他国に比べてドーピングという行為が『違法・卑怯』であるという思いが強く、ドーピングをしてまで競技パフォーマンスを向上させようと言う者が少なかった事もその要因であろう。
また、日本のドーピングの検査技術が世界でもトップクラスであったことも、ドーピングが一般化しなかった事に貢献していた。しかし、検査が義務付けられていない大相撲や一部総合格闘技では、ドーピング蔓延が噂にのぼっている。インターネットの普及によって、安易に海外からステロイド等の増強剤を、個人輸入の形で購入できるようになった事も問題視されている。
[編集] ドーピングによるダイエット
近年、欧米ではドーピングによるダイエットが普及しており、「日常生活の動きで、十分減量が出来るほどの代謝や筋肉を得よう」とする人などが愛用している。
この背景には、あまり運動に回せる時間が無い事と、食事制限のみの場合は人体は構造上、筋肉が栄養源として吸収されてから脂肪が吸収されるために、仮に体重が落とせても肌に張りが無く、「痩せた」というより「やつれた」感じになる上、筋肉が無いためリバウンドしやすい体質になるためであると考えられる。
なお、いくらダイエット目的であるとはいえ薬に頼ることに違いが無いわけであり、それ相応のリスク(コストや副作用)も当然あり、アレルギーなどで使用できない場合もある。
ただ医学的見地から言っても、用法、用量さえ正しく守れば上記の無運動ダイエットよりは安全であると言える。
[編集] 馬へのドーピング
古代ローマのチャリオット競技(二輪馬車競技)の馬にアルコール発酵させた蜂蜜を与えたり、敵の馬に薬物を与えたりしたという。世界初のドーピング検査は1911年、オーストラリア競馬協会がロシアに依頼したもので競走馬の唾液にアルカロイドが検出されたという。当時は競走馬、競争犬で問題であった。1930年代からドーピング検査体制が整う。
使用薬物
日本中央競馬会(JRA)でのドーピング検査
- 出走予定馬をトレセンで集中管理
- 出走馬の尿を検体採取し競走馬理化学研究所で薬物検査
- 外部リンク競走馬理化学研究所
[編集] 外部リンク
- 「現代スポーツとドーピング」
- ドーピング
- World Anti-Doping Agency
- 財団法人 日本アンチ・ドーピング機構
- オリンピックとフェアプレイについて
- ドーピング検査
- デットリーダイエット
[編集] 関連書
- カール‐ハインリッヒ ベッテ、ウヴェ シマンク 木村真知子 訳 『ドーピングの社会学―近代競技スポーツの臨界点』 不昧堂出版 ISBN 4829304057
- 高橋正人、河野俊彦、立木幸敏 『ドーピング』スポーツの底辺に広がる恐怖の薬物 ブルーバックス 講談社 ISBN 4062572990