アーセン・ベンゲル
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アーセン・ベンゲル(Arsène Wenger、1949年10月22日 - )は、ドイツ(アルザス)系フランス人のサッカー指導者。
日本では、低迷していた名古屋グランパス(現名古屋グランパスエイト)で天皇杯を獲得したことで知られる。現在はイングランド・FAプレミアリーグのアーセナル監督。ポゼッション志向が強く攻撃的でスペクタクルなサッカーが身上。
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[編集] 経歴
ドイツ(アルザス)系フランス人。「アーセン」はアルザス語で、フランス語の「アルセーヌ」にあたる。英語表記では「アーセン・ウェンガー」が正確な発音になる。
サッカー選手としてキャリアをスタート。アマチュアを経て、ストラスブールでプロデビューを果たすも大成することはなかった。引退後は監督としての道を歩み始めることとなる。
ASモナコ時代に7年も監督を務め、現在もアーセナルで10年に渡って指揮を執っている。ヨーロッパのクラブ監督としては異例とも言える長期政権を敷く事からも、彼が集める信頼の厚さが窺える。マルセイユ八百長事件の際は、さまざまなしがらみの中、告発するかどうか悩んでいたクロアチア人監督のボロ・プリモラツの相談を受け、強く後押しした。
その後契約した名古屋ではチーム構成に関する全権を委ねられ、それを余すところ無く活用。ドラガン・ストイコビッチ、小倉隆史、浅野哲也など代表級の選手を抱えながら最下位争いを続け自信を失っていたチームに対し、ベンゲルは「常に長所だけを生かすようにする」(著書『勝者のエスプリ』p.110)という勝者の精神を植えつけ、1年で天皇杯優勝に導いた。この日本における経験(欧州とは全く違った環境において積んだ指導者経験)は、その後、多国籍軍団として名を馳せるアーセナルでの指揮に寄与する事となる。
日本に10年留まるかヨーロッパに戻るかを選択肢として持っていたが、ヨーロッパチームからのオファー内容が、ヨーロッパでの実績のみを基にしたものであったことから、日本でのキャリアに限界を感じヨーロッパに戻った。イングランドの名門アーセナルを新天地に定めた彼は、ここでも成功を収めイングランドに外国人監督の新風を吹き込む。なお名古屋時代からアーセナルに至るまで、ヘッドコーチにはボロ・プリモラツを置いている。
なおベンゲルがフィリップ・トルシエを日本代表監督へ推薦したといわれることがあるが、トルシエを日本サッカー協会へ推薦・紹介したのは当時のフランスサッカー協会副会長であり、ベンゲルは直接には関与していない。ただしベンゲルはトルシエと知り合いであったことから、その人物・性格などに関する情報を日本協会へ与えたとも言われる。
日本・イギリス両国内で、日本代表監督就任の噂が立っては消える中、それを否定する記者会見で日本サッカーへの豊富な知識を披露したことで逆に騒がれてしまったり、アーセナル就任早々根拠の無いホモ疑惑が持ち上がったりと、イギリスメディアには苦労させられているように見える。また自分のチームの選手に対するラフプレーなど危険なプレーに対する批判や自分のチームに対する不利な判定に対して過剰な反応を示し、相手チームの監督や選手、審判なども巻き込んだ論争を呼ぶ事も彼の特徴の一つ。逆に自チームの選手が犯した微妙なプレーには何も見ていないと黙認する姿勢が他チームのコーチから批判されている。特に、マンチェスター・ユナイテッドのサー・アレックス・ファガーソン監督やチェルシーのジョゼ・モウリーニョ監督と始終舌戦を繰り広げている。
「スペクタクル」なフットボールが身上。堅守がウリで、カウンター頼みの退屈なサッカーと批判のあったアーセナルのスタイルを一転させ、ショートパスを多用し、流れるようなパスワークを展開しゴールを量産するスタイルを確立した手腕を称える声は多い。中盤をフラットにしたベーシックな4-4-2のフォーメーションを好むが、近年では、特にUEFAチャンピオンズリーグにおいて、4-5-1をしばしば用いている。
若手や他チームで燻っている選手の長所を見抜き、時に大胆なコンバートをさせて、選手を一流に育て上げる点も高く評価されている。代表例としてティエリ・アンリやパトリック・ヴィエラなど、枚挙にいとまない。チームの財政事情もあり、ビッグネームではなく若く有望な選手を獲得するアーセナルの方針に最適な監督であるともいえる。
時おり眼鏡をかけ、明晰な頭脳をもつことから、ついたニックネームは「ウィンドウズ」。
[編集] 選手経歴
[編集] 指導者経歴
- カンヌ(フランス) 1983
- ナンシー(フランス) 1985-1986
- モナコ(フランス)1987-1994
- 名古屋グランパスエイト(日本) 1995-1996
- アーセナル(イングランド) 1996-
[編集] タイトル
[編集] 著書
- 『勝者のエスプリ』日本放送出版協会(1997年)ISBN 4140803215
- 『勝者のヴィジョン』日本放送出版協会(1999年)ISBN 4140804335
アーセナル - 2006-2007 |
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- 名古屋グランパスエイト監督
- 1995-1996途中
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- 先代:
- 三浦哲郎
- 次代:
- カルロス・ケイロス
カテゴリ: フランスのサッカー選手 | ストラスブールの選手 | フランスのサッカー指導者 | 1949年生