ガレージロック
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ガレージ・ロック(Garage Rock)とは、1960年代半ばに台頭したロックの一ジャンル。1980~1990年代に一旦廃れたが、2000年代に入って再評価された。
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[編集] 概要
『ガレージロック』とはガレージ(車庫)で練習するアマチュアバンドが多かったことに由来する名称である。現象的には、1960年代前半におけるビートルズ、ローリング・ストーンズ、ザ・フー、キンクスなどのイギリス出身バンドによるいわゆる「ブリティッシュ・インヴェイジョン」の強い影響を受けたアメリカの若いバンド群主導による草の根的ムーヴメントであるとされる。
[編集] 音の特徴と傾向
ガレージ・ロックの範ちゅうにくくられるバンドは雑多であるが、古典的なロックンロールのスタイルにのっとったシンプルなコード進行の曲が多く、ロックの原初的な衝動(初期衝動)がストレートに現れたものが多い。一方で忘れてならないのが、60年代当時流行し始めたLSD等の幻覚剤が音楽にもたらした効果である。ドラッグによるトリップ効果を表現しようという意図は、幻想的な曲作りや、ファズを多用したひずんだギター、シタール等のインド民俗楽器の使用につながる。そのためサイケデリック・ロックのほう芽を感じさせるバンドもあり、日本の音楽ジャーナリズムにおいては「ガレージサイケ」と一括して呼称されることも多い。
ガレージロック・リバイバルとして語られるバンドの音は更に雑多であり(一時は石を投げればガレージロックに当たると言う有様であった)ひとくくりには出来ないが、やはりロックの初期衝動をストレートにあらわしたものが殆どである。共通する特徴としては尊敬するバンド、影響を受けたバンドとしてビートルズやザ・フーなどの60年代のバンドを挙げると言う点であろう。
音的にはいわゆるオルタナティブ・ロックに非常に近く、その境界は曖昧である。そのため、度々「オルタナティブ・ロックの一ジャンル」として捉えられることがあるが、時系列的にはこちらの方が先である。
[編集] 1970年代パンクに与えた影響
1970年代後半にニューヨーク・パンク、続いてロンドン・パンクが流行。既存の商業主義化・肥大化したロックに反抗したパンク・ムーヴメントの中で、ロックの初期衝動に忠実ともいえる性急さを特徴としたガレージ・ロックの再評価がなされた。
ガレージロックのうち、特にパンクに影響を与えた、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、イギー・ポップ&ザ・ストゥージズ、ニューヨーク・ドールズ、MC5といったガレージバンドは、後の時代になってから「ルーツパンク」「ガレージパンク」などとも称されるようになった。
[編集] 主要な作品
ガレージ・ロックのバンドの多くは、全米的にブレイクすることはなく、その存在は泡まつ的なものであった。彼らはアルバムよりもシングルを中心にリリースすることが多かった。それらのシングルの多くはプレス枚数も少ないため現在となっては希少価値のあるもので、手軽に入手するのは困難である。いきおい現代の聴き手は、コンピレーション(オムニバス)・アルバムを通じてそれらのバンドに接することとなる。そのようなコンピレーション(オムニバス)・アルバムのうち代表的なものはNuggetsである。のち、パンク・ミュージシャンであるパティ・スミスのバックを勤めていたレニー・ケイが編集したそのオムニバスは、1960年代アメリカのガレージ・ロックがいかなるものであったかを伝えてくれる。
[編集] 1980年から1990年代の衰退とガレージロック・リバイバル
ガレージロックは70年代パンクシーンに大きな影響を与えたが、1980年に入りヘビーメタル、ニューウェイブ/テクノが全盛を迎え、ヘビーメタル人気が落ち着いた1990年代も多彩な機材を用いた凝った音作りが業界の主流となり、簡易なコード進行とシンプルな機材を用いるガレージロックは一旦下火となった。勿論この時期にもブラック・フラッグなどのガレージロックバンドは活躍していたわけではあるが、市場としてはさして大きなものではなく、また、1990年代にシアトルで起こったグランジムーブメントの旗手ニルヴァーナもガレージロックの影響を受けていたが、その後のオルタナティブロック・ムーブメントにおいての影響力はさして大きなものとはいえなかった。更に90年代後半にはヒップ・ホップ、R&Bが全盛を迎えロック自体が下火となる。
ところが2000年代になり、ストロークス、ホワイト・ストライプス、リバティーンズ、ジェット、ハイヴスなどの台頭によりガレージロックは主にイギリス、日本で再び日の目を見ることとなった。このことから2000年初頭の日英におけるガレージロックの再評価ブームは『ガレージロック・リバイバル』、または当時下火になっていたロックを復活させたことから『ロック・リバイバル』とも呼ばれる。この現象は1990年代の作りこみ過ぎた音楽へのアンチテーゼであるといわれ、ロックの初期衝動への回帰であると論じられたが、現実にはヒップ・ホップやR&Bの台頭で売り上げの落ちていたイギリスや日本のロック専門誌によって持ち上げられた側面もあった。
また、ガレージロック・リバイバルは世界的な現象であり(裏を返せばかなり無理やりにムーブメント化しているということも出来るが)、アメリカ、イギリスに限らず、オーストラリアやニュージーランドなどのオセアニアのバンドやスウェーデンなどの北欧のバンドが活躍したことも大きな特徴である。
[編集] ガレージロック・リバイバルにおける主要な作品
1960年代のガレージロック・ムーブメントとは異なり、リバイバルのバンドはセールスにも恵まれている。ストロークスは「Is This It」においてヴェルヴェット・アンダーグラウンドを髣髴とさせるローファイなサウンドで多くのアルバムを売り上げ、ガレージロックの復活を宣言した。イギリスではリバティーンズが「アップ・ザ・ブラケット」を発表、スキャンダラスな行動と共に大きな話題となった。2003年ホワイト・ストライプスが「Elephant」を発表、音楽賞を総なめにし、ガレージロックの金字塔となっている。オーストラリア出身のジェットは「Are You Gonna Be My Girl」がiPodのCMにも採用されるなど、メディアとも蜜月関係であった。