アルトゥル・ショーペンハウアー
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アルトゥル・ショーペンハウアー (Arthur Schopenhauer, 1788年2月22日 ダンツィヒ - 1860年9月21日 フランクフルト)は、ドイツの哲学者。世界は自己の表象であり、世界の本質は生きんとする盲目の意志であるとし、19世紀ドイツ哲学界の注目を一身に集めていたヘーゲルに強力な批判を加えた。主著は『意志と表象としての世界』「Die Welt als Wille und Vorstellung(1819年)。
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[編集] 生涯
父は富裕な商人、母(ヨハンナ・ショーペンハウアー)は女流作家。父に伴われて幼少時からヨーロッパ各国を旅行する。17歳のとき、父が死亡。父の遺志に従って商人の見習いを始めたが、学問への情熱を捨てきれず大学へ進学し、ゲッティンゲン大学・イエナ大学で医学・哲学(カント・プラトン)を修める。このころ母の友人であったゲーテとも親交を結ぶが、ゲーテが「彼はいずれ大成するよ」と言ったこともあり、(一家に偉人は一人しか出ないと考えていた)母との仲が険悪化した。
1819年、『意志と表象としての世界』を完成、ベルリン大学講師の地位を得るが、当時ベルリン大学正教授であったヘーゲルの人気に抗することができず、フランクフルト・アム・マインに隠棲。同地で余生を過ごす。長い間の不遇の時期を経て、晩年にようやく認められはじめ、エドゥアルト・フォン・ハルトマン、ニーチェ、ヴァーグナー、トルストイ、フロイト、プルースト、トーマス・マン、エルンスト・ユンガー、ベルクソン、ヴィトゲンシュタイン、ユング、ジッド、ホルクハイマー、アインシュタイン、といった、19世紀後半から20世紀にかけて活躍した多くの哲学者、芸術家、作家に重要な影響を与えた。 わが国でも森鴎外をはじめ、堀辰雄、萩原朔太郎など多くの作家に影響を与えた。
[編集] 哲学
ショーペンハウアー哲学の源泉は、カントの認識論、プラトンのイデア論、ヴェーダのウパニシャッド哲学に大別できる。
[編集] 第一部「表象としての世界の第一考察」の概要
世界はわたしの表象である。換言すれば、いかなる客観も主観による制約を受ける。その制約は必然性を意味し、以下の四類に分かたれる。
1.先天的な時間空間ないしは「存在の根拠」。 2.原因と結果の法則あるいは「生成の根拠」。 3.概念論理的判断ないしは「認識の根拠」。 4.行為の動機づけの法則ないしは「行為の根拠」。
[編集] 第二部「意志としての世界の第一考察」の概要
世界はわたしの意志である。換言すれば、表象においては身体の動作として知られるもの、それが自己意識においては意志として知られる。身体は、いわば表象において表現された意志である。ここで独我論を避けるため、自己から類推し、他の本質も意志とみなすべきである。
意志は盲目である。あるいは最終の目標を有しない。その努力に完成はない。満足は一時的であり、無為は退屈にすぎない。あくまでも積極的なのは欠乏である。
尚、自己意識においては意志として知られたものは、「主観に対する客観」という根本の形式ならびに「時間」の制約のみを受けている点、主観の制約を脱した物自体に極めて接近したものと「続編」において説かれる。
[編集] 第三部「表象としての世界の第二考察」の概要
イデアは、表象となった意志の典型である。個体は変遷するがイデアは不変である。イデアにあたるのは、無機界では自然力。有機界では動植物の種族、部分的には人間の個性である。
未完成な現実の世界は矛盾が支配するが、完成したイデアの世界には調和がある。そこでイデアの世界において芸術に沈潜した人は、苦痛なき喜びを一時的には得るであろう。
尚、イデアは模倣の対象として憧れを呼び覚まし未来をはらむ点、概念は死んでいるがイデアは生きているといえる。
[編集] 第四部「意志としての世界の第二考察」の概要
生きようとする意志は、自由である。意志が肯定された場合、この世界で「ある」ものが生ずる。意志が否定された場合における、この世界で「ない」ものについては、哲学者は沈黙する他ない。
抽象的知性は格律を与え、その人間の行為を首尾一貫させる。しかし首尾一貫した悪人も存在しうる。あくまでも意志の転換を成し遂げるのは、「汝はそれなり」という直覚的な知のみである。この知に達して、個体化の原理であるマーヤーのヴェールを切断し、自他の区別を捨てた者は、同情ないし同苦の段階に達する。このとき意志は、自発的に再生を絶つ。そこでショーペンハウアーの聖者は、利己心・種族繁殖の否定に徹し、清貧・純潔・粗食に甘んじ、個体の死とともに解脱する。
この厳粛な思想をペシミズムと排撃することは可能であるものの、あくまでも自他の区別を前提とした反論といえる。また、最悪の苦痛を忍ぶよりは自殺を推奨するストア派に対する共感を語っている反面、自殺のもたらす個体の死は、自殺の意志を達するものではあっても、意志の否定による解脱を達するものではない点、自殺は愚行にすぎないと説く。かつ、いったん成立した生命は促進されねばならない以上、赤子殺しは論外と説く。
[編集] その他
ショーペンハウアーは卓絶した表現力と幅広い教養の持ち主であった。芸術論・自殺論が有名であるが、実際は法律学から自然学まであらゆるジャンルを網羅した総合哲学である。主著の序論「根拠律の四つの根について」、主著「意志と表象としての世界正編」「カント哲学の批判」のほかには、壮年期の「続編」「自然における意志について」「倫理学の二つの根本問題」、晩年の「余録と補遺」がある。
意志を直接に表現した時間の芸術たる音楽では、ロッシーニを終生愛した。ワーグナーに対しては「音楽家というよりは詩人としての才能がある」という微妙な言葉を残した。