アクセント
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アクセントとは、きわだって聞こえたり見えたりする部分のこと。
音声学でアクセントは単語の音節またはモーラの間で強くまたは高さを変えて発音される現象のことをさす。各言語で単語ごとに決まっている強弱や高低に関する法則性をもっている。音の強弱による強勢アクセント(ストレスアクセント)と音の高低による高低アクセント(ピッチアクセント)に分けられる。なお、文末や文の区切れ目の直前の1音節内部での高低の変化はイントネーションという。アクセントが単語ごとに決まっているのに対し、イントネーションは場合によって変化して平叙文・疑問文の区別などを表す。
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[編集] 強勢アクセント
英語では、音節を強く読むか弱く読むかという強弱アクセント (stress accent) である。例えば、subject という単語では、「題名」などの意味をもつ名詞の場合は最初の sub- を強く発音する。また、「服従させる」という動詞の場合には -ject の方を強く発音する。そして、英語では強勢を持つ破裂音は帯気する。
[編集] 高低アクセント
高低アクセント (pitch accent) によって語の意味を区別する言語の代表例は日本語である。日本語では語内の音の高低(ピッチ)の位置的な違いによって語の意味が区別されている。ギリシャ語のように、古代には高低アクセントであったが強勢アクセントに変化した言語もある。
[編集] 声調
中国語では、四声と呼ばれ、一つの音節内に4種類の音の高低の違いがある。これを声調(トーン)という(詳しくは、声調を参照)。声調も広義では高低アクセントの中に含まれるが、単語内での音の際だつ場所ではなく、高低の違いのパターンに視点が置かれるため、高低アクセントとは区別される。中国語(北京語)は声調を基本にしつつ強勢も用いている言語であり、逆にスウェーデン語は強勢を基本にしつつ声調(単語全体でのパターンを識別する「単語声調」)も用いた言語である。
日本でも関西弁や一部の九州方言、伊予弁、讃岐弁などは声調が使われている。これは日本語古来の性質とされているが、一説には渡来人の移動に起因するものだとも言われている。
[編集] 日本語のアクセント
日本語のアクセントは高低アクセントである。アクセントの表記法は辞書によってまちまちであるが、代表的なアクセント辞典では「-」と「¬」で表記する。 方言によってアクセントも変わる。代表的な2つの系統は東京式アクセントと京阪式アクセントである。東京式アクセントは、旧東京市街地区および東海道によく似ているもので、東京、名古屋、横浜、静岡、浜松、甲府、長野、前橋、岐阜、岡山、広島、山口、鳥取、豊岡、丹後、北九州、大分などに分布する。東京式アクセントにやや似ているものが札幌、青森、秋田、盛岡、新潟、千葉、松江、博多などに分布する。京阪式アクセントは京都市およびそれによく似ているもので、京都、大阪、奈良、和歌山、大津、神戸、津、姫路、淡路、徳島、高知、松山などに分布。京阪式アクセントにやや似ているものが富山、金沢、若狭、南勢、東近江、丹波、下津井、玉野、高松、宇和島、佐渡などに分布し、垂井式アクセントと呼ばれている。東京式アクセントと京阪式アクセントの地域の境目は厳密に特定できないが、それぞれのアクセントにかなり似ているものや変種が存在する。近年ではテレビなどの影響で京阪式アクセントを使用する地域でも共通語に近いアクセントに移行している地域が出てきており、垂井式アクセントの地域ではとりわけ顕著になってきている。 他には、特殊式アクセント(二型式アクセントなど)、一型式アクセント、崩壊と分類され、特殊式アクセントは、東京式から変化したもので、九州西南部や沖縄本島南部、かつての埼玉県及び東京都の葛飾郡・埼玉郡域などに分布する。一型式アクセントは宮崎県都城、鹿児島県志布志などに分布する。 さらには、曖昧化が究極に達し、型の崩壊したものが、宇都宮、水戸、山形、仙台、福島、福井、宮崎、佐賀、五島、伊豆諸島などに分布する。これは「崩壊アクセント」とか「無アクセント」などと呼ばれている。
[編集] 共通語のアクセント
共通語とは、以前標準語と呼ばれていたものにほぼ等しい。 共通語のアクセントは東京式であり、理念的には東京方言そのものとは考えられていないが、実際にはごく少数の例外を除いてほぼ東京地方のアクセントそのものと言ってよい。
[編集] 名詞
共通語のアクセントでは、頭高型、中高型、尾高型、平板型の4種類のパターンが存在する。この内、平板型以外のアクセントを起伏型とも呼ぶ。
- 頭高型(あたまだかがた):最初の音節が高く、それ以降の音節が低い場合。例:「カラス」(\_)
- 中高型(なかだかがた):最初の音節は低く、次以降の音節が高くなり、単語の終わりまでにまた低くなる場合。例:「タマゴ」(/\)
- 尾高型(おだかがた):最初の音節は低く、それ以降の音節は高いが、後に続く助詞が低くなる場合。例:「オトコ(が)」(/ ̄(\))
- 平板型(へいばんがた):最初の音節が低く、助詞も含めそれ以降の音節が高くなる場合。例:「オトナ(が)」(/ ̄( ̄))
高低2段階に分けるのはあくまでも模式的なものであり、日本語の音節が2種類のピッチしか持たないわけではない。例えば、平板アクセントの語で最初の音節が低く以降が高く発音されるといっても、実際には第一音節が低く、第二音節で際立って高くなり、その後は僅かずつ低くなっていく。ただ、単語のアクセントを考えるときには単純化のため際立った変化だけを捉えて2段階で考えるわけである。
共通語のアクセントでは語頭の音節と次の音節は必ずピッチが異なる。このことにより語の始まりが聴覚上明らかになる。この法則はすべての日本語方言で成り立つわけではない。京阪式アクセントでは成り立たないし、東京式アクセントに分類される名古屋弁、美濃弁でも成り立たない。
また、一度下がったピッチが語中で再び上がることはない。こちらの法則はほぼすべての日本語方言で成り立つ。
複合名詞のアクセントは中高型になり、アクセントの核は後ろの語の頭に置かれることが多い。例えば「アクセント辞典」を例にすると、
- ア\クセント
- じ/てん
- ↓
- ア/クセントじ\てん
[編集] 動詞
共通語の動詞はアクセントの点で2つに分類できる。これは活用の種類による分類や、自動詞・他動詞の区別とはなんら関係ない。(以下執筆予定)
[編集] 文におけるアクセント
単語のアクセントは2段階で考えられるが、文になるとそうは行かない。
文として発音した場合は、文頭、意味のまとまりの先頭、および話者が強調した語の先頭以外ではピッチの上がり目が失われる。例えば、「単語のアクセントは2段階で考えられるが、文となるとそうは行かない」という文を文節ごとに区切ってそれぞれのピッチの動きを示してみる。「/」「\」の表示は際立った変化だけを取り出したものであり、表示のないところで一切ピッチが動かないわけではない。
- た/んごの
- /あ\くせんとは
- に/だ\んかいで
- か/んがえられ\るが
- /ぶ\んと
- /な\ると
- /そ\うは
- い/かない
しかし、文として自然に発音した場合は、
- た/んごのあ\くせんとはにだ\んかいでかんがえられ\るが
- /ぶ\んとな\るとそ\うはいかない
のように意味のまとまりの途中ではピッチの上がり目が失われる。失われるというと悪いことのようだが、このことにより意味のまとまりを示す機能を果たしている。全ての上がり目をきちんと発音すると、不自然であるだけでなく文がブツ切りになってしまい意味が取りにくくなる。共通語のアクセントで同音異義語の弁別に役立っているのはピッチの下がり目だけなので、ピッチの上がり目が無くなっても同音異義語の弁別が失われることはない。
まとまりの中にピッチの下がり目が複数あるのは誤記ではない。2つめのまとまりを例にとると「ぶ」は高く、「んとな」はそれより低く、「るとそ」さらに低く、「うはいかない」はさらに低くと順番に低くなっていく。人間の発声能力上ピッチを下げるにも限度があるので、あまりにまとまりが長いと途中比較的意味の切れる場所で区切ることになる。
強調される語の頭ではピッチがひときわ高くなる。例えば「2段階」という語を強調すれば、
- た/んごのあ\くせんとは
- に/だ\んかいでかんがえられ\るが
のように、ひとつだったまとまりが2つに別れて「2段階」の音の上がり目が復活し、ひときわ高く発音される。「文となると」や「そうはいかない」のような表現は意味上の結びつきが強いので2つに別れることは通常は無い。
アクセントの区切れ目によって意味のまとまりを伝える機能は、文の構造を伝える機能を果たしている。日常会話では無意識に適切に区切っているが、文章を朗読する際には朗読者が読む文をきちんと理解していないと適切に区切ることができず、聞き手としては意味が取りにくくなる。
直前の文を縮めた「朗読者が読む文をきちんと理解していないと意味が取りにくくなる」を例にとる。この文の構造を図示すると下記のようになる。なお、細部は省いてある。
朗読者が 読む 文を きちんと 理解していないと 意味が 取りにくくなる │ │ ↑ │ ↑ │ ↑ │ └─┬┘ │ │ │ │ └─────┴────┴─────┬┘ │ │ └───────┴────┘
この文を朗読する際に問題になるのは「朗読者が」が直後の「読む」でなく少し離れた「理解していない」に掛かっていることである。文の意味を理解して読んでいれば無意識にここでアクセントの上がり目を入れて直前の文節と直接繋がらないことを示す。しかし、「朗読者」と「読む」は一見馴染みの良い言葉なので、ただ字面だけを追って読んでいると上がり目を入れることができず、聞き手としては「朗読者の読む文を理解していないのは誰だろう」と戸惑わされることになる。