PC/AT
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
PC/AT(ぴーしーえーてぃ)は1984年にIBMが発売したパーソナルコンピュータ「モデル5170」のことである。
目次 |
[編集] 概要
PC/ATは “The Personal Computer for Advanced Technologies” の頭文字。PC/XTの後継機種。
オープンアーキテクチャを採用し、内部仕様の多くが公開されたため、Compaq、Dellなど多くのメーカーからPC/AT互換機が発売された。
PC/AT及びその互換機のキラーアプリともいえるソフトが、表計算ソフト「Lotus 1-2-3」であった。アメリカ合衆国では、Apple II用アプリケーション「VisiCalc」などのヒットから、表計算ソフトが受け入れられる下地があった。「1-2-3」は、旧機種との互換性よりも性能を重視し、PC/AT以降に特化したソフトウェアとして作られた。PC/ATの性能をフルに引き出すことで、互換性を重視した「Microsoft Multiplan」をはるかに凌駕する再計算スピードや、豊富なアドオンによるカスタマイズ性の高さをセールスポイントとしてアピールし、大ベストセラーとなった。互換機メーカは、PC/ATとの互換性よりも「1-2-3が使える」ことを売りにするほどであった。
Microsoftは、IBMによるPC-DOSの権利譲渡の要求を頑なに拒んだ。逆に、自社ブランド(MS-DOS)でのOS単独販売を行うようになった。これにより、MS-DOSはCP/M-86との競争に勝利し、また互換機によるIBM純正機の市場シェア低下という結果をもたらしたのである。IBMは失った市場を取り戻す為、PS/2によりクローズドアーキテクチャ路線への方向転換を画策したのだが、時既に遅く、市場はAT一色に染まっていたのであった。
[編集] 基本仕様
- CPU: i80286 6MHz(後に8MHz)
- メモリ: 256KB~512KB(標準)
- 外部記憶: ハードディスク装置 20~30MB(標準)、フロッピーディスクドライブ 1.2MB×2基
- ディスプレイ: EGA
- 84または101キーボード
- シリアルポート
- パラレルポート
- AT拡張バス(後のISAバス)(XT互換バスも装備)
[編集] PC/ATまでのあゆみ
[編集] IBM-PC
1981年、IBM Personal Computer model 5150 として発売。パーソナルコンピュータの名称がまだ一般にはなじみが薄かったためもあり、「PCと言えばIBM-PC」という連想を生んだ。
IBM-PCの開発に当たったのはフロリダ州ボカラトンの社内ベンチャー組織で、後にEDS(Entry Systems Division: 端末機事業部)に発展した。当時のリーダーはフィリップ・エストリッジ(1937年-1985年)で、彼はEDS部門長を経て同社の製造担当副社長に昇格した。
当時、各メーカー独自のプロセッサやソフトウェアを搭載して構成されることが当然であった大型コンピュータ業界の雄であるにも関わらず、本機は一般市販部品で構成され、IBM製の半導体(IBMは当時も現在も世界的に最大手の電子デバイス製造業者のひとつである)を主要部において一切使っていなかった。加えてソフトウェアもすべて外部調達でまかなっていた。
カタログ上の機能・性能においては傑出したものとは言えず、当初は平凡と評されたこともあった。しかし拡張性を考慮してあり、しかも拡張バスなどの仕様が公開されていたことから、IBM自身の提供するオプション基板より優れた拡張カードを発売するサードパーティが相次ぎ、結果として本機の有用性を高めることとなった。
元々大型コンピュータの巨人として知られた同社がPC事業に参入したことで、PCが個人ユースから企業向け市場に進出するきっかけになった。これによりPC市場が活気付いただけでなく、その後他社がIBM-PC互換機を発売したこと、20年以上を経た今日でもそのハードウェアの名残が残存することを考慮すると、PCアーキテクチャ史上も画期的な機種のひとつであった。
当時の各社独自仕様のPCメーカーは、広告でIBM-PCとの比較表を提示して自分たちの製品の優位性をアピールしたが、最終的にはIBM-PC互換機に移行する。その要因としては、IBM-PC向けアプリケーションソフトウェアの品揃えが短期間で豊富になったことがあげられる。当時のMS-DOS環境ではハードウェアの相違を吸収しきれなかったため、DOS用のソフトウェアといえども機種ごとに個別対応が必要であった。このため、ソフトウェアベンダとしては市場からの絶大な信用を持つIBM機向けに製品ラインを絞ったほうが有利であり、PCメーカーとしてもこの現実に対応せざるを得なくなったのである。
[編集] 基本仕様
- CPU: i8088 4.77MHz 8087 FPU オプション
- メモリ: 16KB~256KB(標準)
- 外部記憶: フロッピーディスク 160KB×1基
- ディスプレイ: オプション(MDAまたはCGA)
- カセットテープインターフェース
- ROM BASIC(Microsoft GW-Basic)
- 84キーボード
- PC拡張バス 5スロット
[編集] PC XT
1983年、貧弱な外部記録装置しか持たなかった初代PCをアップグレードするため、基本設計はそのままにメモリ・ハードディスクなどを強化したIBM Personal Computer XT model 5160が発売された。
本機種に合わせ、ファイルシステムを階層ディレクトリを用いて管理可能にするなど多くの強化を施されたPC-DOS 2.0が発売された。
1986年、貧弱な演算能力を改善するためCPUを6MHzクロックのIntel 80286に変更したPC/XT 286(model 5162)が発売されたが、すでにPC/ATが市場に出ており、短期間で発売は中止された。
[編集] 基本仕様
- CPU: i8088 4.77MHz
- メモリ: 256KB~640KB(標準)
- 外部記憶: フロッピーディスク 360KB×2基、ハードディスク 10MBまたは20MB
- ディスプレイ: MDAまたはCGA
- ROM BASIC (Microsoft GW-Basic)
- 83キーボードまたは101キーボード
- XT拡張バス
[編集] PCjr
1984年に発売されたコンシューマ市場向けのローエンドPC。通常のIBM-PCとの互換性や拡張性の低さ、高い売価、とりわけ貧弱なラバースイッチ式キーボードなどの欠点のため失敗作となった。
[編集] JX
日本IBMがNEC・PC-9801に対抗した家庭用PC。PCjrをベースに日本語化し、イメージキャラクターに森進一を起用するなどしたが、これも失敗作に終わった。
[編集] PC Portable
1984年にコンパックのIBM-PC互換ポータブルPCの対抗のため発売したポータブルPC (model 5155)。当時の「ポータブル」は大き目のスーツケースほどもある、CRTディスプレイ一体型の筐体の装置であった。性能的にはPC/XTからHDDを除いた程度であった。
[編集] PC Convertible
1986年に発売されたモノクローム液晶ディスプレイと2台の3.5インチ720KBフロッピーディスクドライブを搭載したラップトップ型PC。CPUはCMOSプロセスの80C88を使用した。
[編集] XT 370
IBMのメインフレームであるシステム370のエミュレーションを行うPCで、モトローラのMC68000MPUとカスタマイズしたi8087を採用、メインフレーム用のVM/370 CMSのサブセットであるPC/CMSをオペレーティングシステムとした。
[編集] 3270 PC
IBMのメインフレームのインテリジェント端末であるmodel 3270のエミュレーション機能を強化したPC。