駒形神社
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駒形神社 | |
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所在地 | (本社)岩手県奥州市水沢区中上野町1-83 (奥宮)岩手県胆沢郡金ケ崎町西根字駒ヶ岳 |
位置 | -- |
主祭神 | 駒形大神 |
社格等 | 式内社(小)・国幣小社・別表神社 |
創建 | -- |
本殿の様式 | 三間社流造 |
例祭 | 9月19日 |
主な神事 | 勝善詣 神輿渡御祭 |
駒形神社(こまがたじんじゃ)は、岩手県にある神社である。本社が奥州市水沢区、奥宮が胆沢郡金ケ崎町の駒ヶ岳山頂にある。式内社で、旧社格は国幣小社。全国一の宮会が定めた陸中国一宮となっている。
目次 |
[編集] 祭神
祭神は「駒形大神」である。この神については、宇賀御魂大神・天照大神・天忍穂耳尊・毛野氏の祖神など多数の説があり、はっきりしない。現在は、天照大御神、天之常立尊、国之狭槌尊、吾勝尊、置瀬尊、彦火火出見尊の六柱の総称としている。
駒形大神は馬と蚕の守護神とされ、馬頭観音あるいは大日如来と習合し、東日本各地に勧請されて「おこま様」と呼ばれている。馬の守護神とされたのは、古代、この一帯が軍馬の産地であったためと考えられる。
[編集] 歴史
創建の年代は不詳である。社伝では、雄略天皇21年に、京都の籠神社から宇賀御魂大神を勧請して奥宮へ祀り、里宮に大宜津比売神と事代主神を配祀したとしている。他には、景行天皇40年、東征中の日本武尊が天照大神・置瀬命・彦火々出見尊・天常立尊・吾勝尊・国狭槌命を勧請して創建したとする伝承もある。国史では、『文徳天皇実録』の仁寿元年(851年)9月2日条に駒形神に正五位下の神階を贈った記事が初出であるが、それより前の延暦21年(802年)に坂上田村麻呂が東北平定の際に霊験を得た「陸奥三神」の一柱と見られている。なお、神階は貞観4年(862年)6月18日に従四位下に進んでおり、これは東北地方で最高位である。
元々は駒ヶ岳の南方の大日岳山頂に奥宮があり、近世になって駒ヶ岳山頂に遷座した。駒ヶ岳は仙台藩と盛岡藩の境界であり、20年ごとに両藩が費用を出しあって社殿を改修していたという。
奥宮は参拝が困難であり、かつ、女人禁制であったことから、仙台藩・盛岡藩それぞれが麓に里宮を作り、奥宮から神霊を勧請して祀っていた。仙台藩側の里宮は金ヶ崎町西根字雛子沢にあり、第二次大戦後は本社から分かれて独立の神社となっているが、現在も本社との関係を保っている。盛岡藩側の里宮は和賀郡岩崎村(現北上市)にあり、現存しているが本社との関係は絶たれている。
元々、現在の本社の所在地には鹽竈神社があった。鹽竈神社は、安倍貞任征伐のため源頼義・義家親子が宮城の鹽竈神社に祈願し、凱旋の後に鹽竈神社より当地に勧請して創建したものであった。
明治4年、駒形神社が国幣小社に列せられる際、奥宮・里宮とも参拝に不便であるとして、当時の水沢県の県庁に近い鹽竈神社の本殿(現在の駒形神社本殿)を仮遥拝所とした。明治7年、社殿を改修して正式な遥拝所とした。明治36年、奥宮の神霊を遥拝所に遷座し、元は鹽竈神社の社殿であったもの一切を駒形神社に編入した。鹽竈神社は境内別宮であった春日神社に合祀し、春日神社の社名を鹽竈神社に改めた。
[編集] 境内社
- 別宮 鹽竈神社((塩竈神)塩土老翁神・武甕槌神・経津主神、(相殿 春日神)天児屋根神・比賣神・藤原鎌足朝臣)
- 末社 山神社(大山祇神・木花開耶姫神)
- 水沢招魂社(郷土出身の1099柱の英霊)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 駒形神社(公式サイト)
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