韓信の股くぐり
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韓信の股くぐり(かんしんのまたくぐり)は中国の秦末から漢の時代にかけて活躍した武将、韓信が残した故事。「大きな志を持った者は、ささいな恥辱を意に介さない」という意味の教訓となっている。
[編集] 股くぐり
韓信は若いころ、淮陰に住んでいたが、貧乏だった。あまりの様子を見かねた老婆に飯をおごられたというほどであった。しかし、常に剣だけは身につけていた。ある日、韓信が河で釣った魚を市場で売ろうとして大通りを歩いていると、ごろつきたちが集まってきて、「お前はいつも剣を偉そうに差し、大通りを我が物顔で歩いているが、勇気があるなら俺を刺して見ろ」と韓信を挑発した。韓信は、罪を犯してもいない人を殺すわけにはいかないといって断った。するとごろつきたちは「臆病者め。それなら俺の股をくぐれ」とさらに挑発した。すると韓信はいわれるまま男の股をくぐりぬけ、そのまま市場に向かった。これを見ていた者たちは韓信を臆病者と大笑いし、この噂はたちまち広まった。
[編集] 楚から漢へ
韓信はそのころ中国でいちばん勢いがある楚に仕官しようとして楚の項梁(項羽の叔父)に面会した。韓信が臆病者だという噂があるため、項梁は士官をなかなか承諾しなかった。その場にいた軍師の范増が韓信を見てただ者ではないと見抜いたために仕官を認められた。しかし、韓信の献策が採り上げられることはなく、韓信は楚を去る。
その後韓信は漢に仕えたが、劉邦も韓信を天下の笑い者だとして用いようとしなかった。しかし、蕭何が韓信を「国士無双」と評価してとりなしたことで、韓信は劉邦のもとで才能を発揮し、やがて楚を滅亡させる立役者となる。
その後、出世を重ねて故郷の淮陰に駐屯した韓信は、かつて飯を恵んでくれた老婆と股をくぐらせたごろつきを呼び出し、老婆には屋敷と大金を与え、ごろつきには「あのときおまえを斬ってしまえば罪人となり、私の人生も終わってしまっただろう。大志を抱く者は小さな事でつまずくわけにはいかず、おかげで我慢することを覚えた。」と感謝し、警備役に取り立てたという。
[編集] 股くぐりの影響
竜且のように股くぐりの話から韓信を侮ったため、油断を衝かれて敗北する者もあった。「股くぐり」は韓信の戦果を上げさせる効果をもたらすことにもなった。一方で韓信が股くぐりをしたことで、その後の仕官が困難になり、味方に献策が容れられなかっただけでなく、敵将からは「股扶(こふ)」と馬鹿にされ、敵の城が降伏しない理由の一つにもなった。「臆病者」の評判は韓信に大きな困難も又もたらしたといえる。