陳武
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陳武(ちんぶ、? - 215年)は、三国時代の呉の武将。字は子烈。子は陳脩。庶子に陳表。
楊州櫨江郡松滋の人。孫策が劉繇を攻めたとき、曲阿城にて孫策軍に協力し、その家臣となった。武勇に優れ、孫策・孫権に従って主だった戦いのほとんどに参加し、武功を挙げた。孫権の代には五校尉(首都防衛機動隊長官)に任命され、その機動隊は精鋭揃いで、孫権から大いに信任を受けた。215年、曹操軍との合肥の戦いで敗走中、孫権を守るため殿を努めて壊滅状態にもなりながらも獅子奮迅の働きをしていた凌統と甘寧を助けるため部隊を率いて突入するが、凌統と甘寧を助け出した直後に乱戦の中、戦死した。陳武の死を孫権は大いに悲しんだという。なお、『三国志演義』では、枝に服が引っ掛かって身動きが取れなくなったところをホウ徳に斬られ戦死することになっている。
黄色い顔に赤い瞳という醜い容貌であったが、思いやりがあり、人に対する気前も良かったため、呉の人々からの人望は厚かった。なお、息子の陳脩が早世した為に庶子である陳表が呉に仕えて活躍している。