阿部裕幸
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基本情報 | |
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本名 | 阿部裕幸 |
あだ名 | 兄ィ |
階級 | ライト級(修斗) |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1970年2月9日 |
出身地 | 愛知県、一宮市 |
命日 | |
死地 | |
スタイル | 修斗 |
プロ総合格闘技戦績 | |
総試合数 | 12(修斗) |
勝ち | 5 |
KO勝ち | 2 |
一本勝ち | {{{sub}}} |
敗け | 5 |
引き分け | 2 |
無効試合 |
阿部・裕幸(あべ・ひろゆき、1970年2月9日)は、愛知県一宮市出身の総合格闘家。身長168cm。プロ修斗・環太平洋ライト級ランカー。弟の阿部マサトシはプロ修斗・世界バンタム級ランカー。愛称は「兄ィ」。
目次 |
[編集] 来歴
修斗を主戦場にしながら、K-1、PRIDE、キックボクシング、シュートボクシング、ブラジリアン柔術など、立ち技・寝技問わず幅広いジャンルで活躍する中・軽量級の実力者。国内だけでなく、KOTC、ユーフォリアMFC 、アブダビコンバットなど海外の格闘技イベントにも精力的に参戦している。レスリングベースの堅実な寝技だけでなく、打撃の強さにも定評がある。 格闘技歴はアマチュアレスリング(名古屋工業高等学校、拓殖大学)がある。その後、総合格闘技ジムのRJWセントラルを経て独立。現在は自身のジムAACCを主催、一般への格闘技の普及だけでなくプロ選手の育成も行っている
[編集] 戦績
- 1999年5月29日、修斗で高山義幸に判定(3-0)勝ち
- 1999年9月5日、修斗で大石真丈と判定(1-0)引分け
- 2000年5月22日、修斗で野中公人に判定(3-0)勝ち
- 2000年9月15日、修斗でステファン・パーリングに2RTKO負け
- 2001年4月12日、アブダビコンバット一回戦でホブソン・モウラに一本(チョークスリーパー)負け
- 2001年6月15日、MAキックボクシングで佐藤堅一(士道館)に1本(腕ひしぎ十字固め)勝ち(後楽園ホール)※サムライルール(ラウンドごとにキックとグラップリングのルールが変わるミックスルール)を適用
- 2001年8月15日、クラブコンテンダーズで所英男と時間切れ引分け
- 2001年11月25日、修斗で井上和浩に1RTKO勝ち
- 2002年2月1日、シュートボクシングでダニー・バッテン(リングス・イギリス)に5R判定(3-0)勝ち(後楽園ホール)
- 2002年3月15日、修斗でバレット・ヨシダと判定(1-1)引分け
- 2002年7月19日、修斗でアレッシャンドリ・フランカ・ノゲイラに1RKO勝ち
- 2002年12月14日、修斗の世界ライト級チャンピオンシップでアレッシャンドリ・フランカ・ノゲイラに1R一本(チョークスリーパー)負け
- 2003年2月11日、プロ柔術Gi-02・第2回プロフェッショナル柔術リーグ一回戦で梅村寛(ALIVE小牧)に判定(6-2)勝ち。二回戦でアギナルド・タバ(INFIGHT)にポイント(2-8)負け。
- 2003年3月1日、K-1 WORLDMAX2003日本代表決定トーナメントで村浜武洋(大阪プロレス)に2RKO負け(有明コロシアム)
- 2003年9月21日、修斗でジョン・ホーキに2R一本(腕ひしぎ十字固め)負け
- 2003年11月1日、プロ柔術DESAFIOで小野瀬龍也(RUREBREAD大宮)にポイント(0-2)負け(六本木ベルファーレ)
- 2004年1月24日、IKUSAでDAVIDに判定(0-3)負け※シュートボクシングルールを適用
- 2004年7月19日、PRIDE武士道 其の四でルイス・ブスカペに1R一本(肩固め)負け(名古屋レインボーホール)
- 2004年9月19日、プロ柔術Gi-05で片岡誠人(RUREBREAD大宮)にポイント(0-2)負け(ディファ有明)
- 2004年11月14日、KOTCでルス・ミウラに反則負け
- 2004年12月14日、修斗で石川真に3RTKO負け(国立代々木競技場)
- 2005年2月26日、ユーフォリアMFC3でライアン・シュルツに2RTKO負け(アメリカ トランプ・タージ・マハール・カジノ)
- 2005年5月7日、KOTC52フェザー級タイトルマッチでユリジャ・フェイバーに3RTKO負け(アメリカ バッファロー・ビルズ・カジノ)
- 2005年9月16日、全日本キックボクシングで山本優弥に2RKO負け(後楽園ホール)
- 2005年11月5日、ユーフォリアMFC5でジョーイ・“ノックダウン”・ブラウンに1R一本(ヒールホールド)勝ち(アメリカ トランプ・タージ・マハール・カジノ)
- 2006年2月17日、修斗で不死身夜天慶に判定(0-3)負け(国立代々木競技場)
- 2006年4月22日、Cage Rage16でブラッド・ピケットに判定(0-3)負け
- 2006年5月12日、修斗でデイビッド・パディーリャに1R一本(腕ひしぎ十字固め)勝ち(後楽園ホール)
- 2006年7月8日、clubDEEP東京でファブリシオ“ピットブル”モンテイロに2R一本(アンクルホールド)負け(新宿FACE)※モンテイロは契約体重オーバーでイエローカード2枚のペナルティ
[編集] ノゲイラ戦
格闘技キャリアで最大のエポックは2002年7月19日の対アレッシャンドリ・フランカ・ノゲイラ戦。当時、修斗ライト級の絶対王者として君臨していたペケーニョ(ノゲイラの愛称)にノンタイトル戦で挑んだ阿部は1R4分37秒、左フックで鮮やかなKO勝ちを納めた。絶対的不利の下馬評を覆す勝利で一躍王者挑戦者の一番手に名乗りを上げた。続く2002年12月14日、挑戦者として同タイトル戦に挑んだ阿部だったが、1R3分53秒チョークスリーパーで一本負けを喫した。結局タイトルには手が届かなかったものの、中・軽量級の中での存在感を印象付けた。
[編集] AACC
主催する総合格闘技クラブ。「Abe Ani Combat Club」の略。世界的な寝技の大会として有名なADCC(Abu Dhabi Combat Club=アブダビコンバット)をもじった命名だと思われる。開設当初はUFCのような六角金網のある常設施設があったが、現在はなく、大森、原宿、行徳のゴールドジム内などでクラスを開設している。一般会員向けに総合格闘技、キックボクシング、ブラジリアン柔術を指導する一方で、プロ選手のプロモーションや育成も行っている。
- 所属選手
- 阿部マサトシ
- BJ
- 藤井恵
- 赤野仁美
[編集] 外部リンク
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