鎮台
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鎮台(ちんだい)は、1871年から1888年まで置かれた日本陸軍の編成単位である。常設されるものとしては最大の部隊単位であった。兵制としては御親兵の後を継ぐもので、鎮台の設置とその後の徴兵制実施をもって日本の近代陸軍の始まりとする。師団への改組で廃止された。
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[編集] 概要
[編集] 略史
- 1871年(明治4年)4月 - 東山鎮台(石巻)、西海鎮台(小倉)設置。
- 同年8月 - 東山鎮台、西海鎮台を廃止。東京鎮台、大坂鎮台、鎮西鎮台(熊本)及び東北鎮台(石巻)を置く。
- 1872年(明治5年)4月1日 - 鎮西鎮台が熊本鎮台に改称。
- 1873年(明治6年)1月9日 - 東北鎮台が仙台鎮台に改称。
- 同年7月 - 名古屋鎮台、広島鎮台を設置。
- 1879年(明治12年)9月 - 鎮台司令長官の呼称を鎮台司令官に変更。
- 1888年(明治21年)5月12日 - 鎮台を廃し、師団に改組。
[編集] 歴史
鎮台はフランス陸軍に範をとった陸軍編成である。当初日本における陸軍の役割は、外征ではなく、国内の治安維持であった。そのため、平時の編成としては鎮台のみ置くこととして、戦時には機動性に欠ける鎮台を旅団(明治18年以降は師団)に臨時改組することにした。
鎮台の数は設置時2ですぐに4に拡大された。このときの鎮台は、御親兵から転じた者と、士族からの志願者で編成された。
1873年に2つの鎮台が増設され、北海道を除く地域を、6軍管区、14師管区に分けた。軍管区には鎮台、師団管区には営所が置かれた。新たに設けられたのは名古屋鎮台と広島鎮台で、大阪鎮台から北陸地方が名古屋鎮台に、中国・四国地方が広島鎮台にそれぞれ移管された。この年徴兵令施行とともに、徴兵された兵士が鎮台に入隊するようになった。北海道には徴兵令が施行されず、かわりに屯田兵が置かれた。
徴兵の比率はしだいに高くなったが、士族中心の軍隊から急激に変化したわけではない。鎮台時代最大の戦争だった西南戦争では、正規の鎮台兵に加えて近衛兵、屯田兵、警察巡査、追加募集の兵が士族出身兵として加わり、あわせて士族が官軍将兵の半数を占めた。
[編集] 明治6年7月当時の軍管区・営所
- 第1軍管区(東京・佐倉・新潟営所)
- 第2軍管区(仙台・青森営所)
- 第3軍管区(名古屋・金沢営所)
- 第4軍管区(大阪・大津・姫路営所)
- 第5軍管区(広島・丸亀営所)
- 第6軍管区(熊本・小倉営所)
[編集] 師団への改組
[編集] 戦時の役割
- 明治11年12月10日
- 監軍部長(東部・中部・西部) - 戦時には師団司令長官。
- 鎮台司令長官 - 戦時には旅団司令長官。
- 明治18年5月18日
- 監軍部長 - 軍団長
- 鎮台司令官 - 師団長。
- 明治19年
- 監軍が廃止される。
[編集] 各鎮台歴代幹部
- 明治12年9月24日から司令長官を司令官と改称
- 明治21年5月14日から各鎮台を師団に改編
[編集] 仙台鎮台
- 東北鎮台司令長官
- 明治5年3月-明治6年1月:三好重臣(大佐)
- 司令長官(明治6年1月9日仙台鎮台と改称)
- 参謀長
[編集] 東京鎮台
- 司令長官
- 参謀長
[編集] 名古屋鎮台
- 司令長官
- (心得)明治6年11月-明治7年4月:揖斐章(大佐)
- 明治7年4月-明治13年4月:四条隆謌(少将)
- 明治13年4月-明治14年10月:揖斐章(少将)
- 明治15年2月-明治18年5月:滋野清彦(少将)
- 明治18年5月-明治21年5月:黒川通軌(中将、明治21年5月14日第3師団長)
- 参謀長
- 明治7年4月-明治7年9月:揖斐章(大佐)
- 明治7年9月-明治11年12月:長屋重名(中佐)
- 明治15年3月-明治19年5月:西寛二郎(大佐)
[編集] 大阪鎮台
- 司令長官
- 参謀長
[編集] 熊本鎮台
- 司令長官
- 明治5年4月-明治6年4月:桐野利秋(少将)
- 明治6年4月-明治7年4月:谷干城(少将)
- (代理)明治7年4月-明治7年11月:野津鎮雄(少将、陸軍省第4局長の兼任)
- 明治8年6月-明治9年6月:野津鎮雄(少将)
- 明治9年6月-明治9年10月:種田政明(少将)
- 明治9年10月-明治9年11月:大山巌(少将、陸軍少輔兼第1局長の兼任)
- 明治9年11月-明治11年12月:谷干城(少将)
- 明治11年12月-明治13年4月:曾我祐準(少将)
- 明治13年4月-明治14年2月:高島鞆之助(少将)
- 明治14年2月-明治15年2月:山地元治(少将)
- 明治15年2月-明治18年5月:国司順正(少将)
- 明治18年5月-明治19年7月:三好重臣(中将)
- 明治19年7月-明治19年8月:山田顕義(中将)
- 明治19年8月-明治21年5月:山地元治(中将、明治21年5月14日第6師団長)
- 参謀長
- 参謀副長
- 明治10年(1877年)頃:兒玉源太郎(少佐)
[編集] 広島鎮台
- 司令長官
- (心得)明治6年11月-明治7年2月:高橋勝政(大佐)
- 明治7年2月-明治7年10月:井田譲(少将)
- (心得)明治7年11月-明治9年11月:高橋勝政(大佐)
- 明治11年12月-:井田譲(少将)
- 明治12年9月-:井田譲(少将)
- 明治13年4月-明治15年2月:黒川通軌(少将)
- 明治15年2月-明治18年5月:野崎貞澄(少将)
- 明治18年5月-明治21年5月:野津道貫(中将、明治21年5月14日第5師団長)
- 参謀長
- 明治7年2月-明治7年11月:高橋勝政(大佐)
- 明治10年1月-明治10年3月:中村重遠(中佐)
- 明治13年4月-明治14年1月:国司順正(大佐)