金錯銘鉄剣
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金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん、きんしゃくめいてつけん)は、埼玉県行田市のさきたま古墳群にある稲荷山古墳から出土した鉄剣。国宝。「金錯」は「金象嵌(きんぞうがん)」と同じ。金象嵌の鉄剣が今後出土しないとは限らないので、研究者は「稲荷山古墳出土鉄剣(銘)」を使うことが多い。因みに、剣は両刃で真っ直ぐなものをいい、刀は片刃のものをいう。
現在はさきたま古墳群近くの埼玉県立さきたま史跡の博物館内で、窒素ガスを封入したケースに保管・展示されている。
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[編集] 文字発見の経緯
1968年に稲荷山古墳の後円部分の発掘調査で、画文帯環状乳神獣鏡や多量の埴輪とともに出土された。1978年、腐食の進む鉄剣の保護処理のためX線による検査が行われた。その際、鉄剣の両面に115文字の漢字が刻まれていることが判明する。その歴史的価値から、同時に出土されたものと共に同年、国宝に指定された。
[編集] 銘文の意味・内容
書かれている文字を解釈すると、
「私の祖先は代々、杖刀人首を務めてまいりました。私は獲加多支鹵大王に仕え、天下を治めるのを補佐してきました。そこで辛亥年七月に、これまでの輝かしい功績を剣に刻んで記念とします。」
辛亥年は471年説が有力視されており、そうすると獲加多支鹵大王は、日本書紀の大泊瀬幼武(オオハツセワカタケ)天皇、すなわち雄略天皇となる。この説が正しいとすると、少なくとも5世紀後半には、大和の権力が北関東まで及んでいたことになる。
[編集] 関連事項
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