金賢姫
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金賢姫 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 김현희 |
漢字: | 金賢姬 |
平仮名: (日本語読み仮名): |
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片仮名: (現地語読み仮名): |
キム・ヒョニ |
ラテン文字転写: | Kim Hyeonhui |
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金賢姫(キム・ヒョンヒ、1961年1月27日 - )は、大韓航空機爆破事件を実行した朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の元工作員。この事件を実行する為「李恩恵」と呼ばれる女性(日本から拉致された田口八重子とみられている)に教育を受け、日本人になりすました。
日本語が堪能。この事件では北朝鮮で李恩恵という日本人と共に一緒に暮らし日本の文化や習慣、料理などを習得した。ちなみに、好きな歌手は山口百恵で日本の民謡だけでなく山口百恵の曲も多く歌える。
事件の折り警察に捕まる直前、日本人になりすましていた共犯の金勝一(キム・スンイル)と服毒自殺を図るが金賢姫は一命を取りとめた。その後、韓国警察に引き渡され尋問される際も日本語で返答し日本人と言い張ったが、隠し切れずに警察から日本で見ているテレビのメーカーを聞かれた際、北朝鮮のテレビの銘柄・チンダルレ(ツツジの意味)を言ってしまいばれてしまった。
- また、警察の尋問の際に、自分は日本人だと言い張っていたが、ある日、金賢姫がシャワーを浴びている時に見張りの女性警察官から、後ろから不意にお湯をかけられ、朝鮮語で「あつい!」と言ってしまいばれてしまったとの説もあるが、真偽の程は不明である。
[編集] 来歴
- 外交官の父と教師の母との長女として生まれる、生後間もなく父の赴任先であるキューバへ。4歳の時に北朝鮮の首都平壌に帰国
- 1989年、死刑判決が確定したが、翌1990年 韓国政府によって特赦される。この特赦は政治的配慮からで、北朝鮮当局からの強い要請によるもの、とされている。
- 特赦後、外交官であった実父を含む家族が強制収容所に収容されたことを知る。
- 1997年 日本テレビのスペシャル番組、あの人は今!?に出演。市川森一にコロッケなどをご馳走した。
- 1997年、ボディーガードであった元国家安全企画部員の男性と結婚した。その後名前を変え、男児を出産し、ソウル市内で普通の主婦として暮らしている。
- 2005年、国家情報院が事件の再捜査を決定。証人として金賢姫が証言する事になった。
その後の動静は不明とされる。後述の通り、後になって、事件は韓国の国家安全企画部(現・国家情報院)が仕組んだ謀略ではないのかという疑惑が浮上し、これについて2005年2月、国家情報院の「過去事件の真実究明をとおした発展委員会」が事件の再捜査を決定。だが、現時点では金賢姫本人の証言の見通しは立っておらず、実現の可能性は皆無と言う見解である。
[編集] 疑惑
事件直後に東ヨーロッパや中東における金賢姫と金勝一の足跡を丹念に追った日本人ジャーナリスト野田峯雄はバーレーンの病院で担当医師から金勝一は瀕死の状態だったが、金賢姫には何の異常もみられなかったとの証言を得るなど、金賢姫は本当に北朝鮮の工作員なのかと問いかけた『破壊工作―大韓航空機爆破事件、葬られたスパイたちの肖像』(JICC出版局)を1990年に発表している。このノンフィクションを参考にして韓国の作家が2003年、事件は韓国の国家安全企画部(現・国家情報院)が仕組んだ謀略ではないのかという疑問を呈した小説『背後』を発表、韓国でベストセラーとなった。これを契機に事件は再び関心を集めたが、この直後金賢姫はマスコミの前に姿を現さなくなった。
[編集] 著作・関連ビデオ
- いま、女として―金賢姫全告白(文春文庫)ISBN: 4167565013 上ISBN: 4167565021 下
- 政治犯・金賢姫 真由美 (ビデオ)ASIN: B00005H7MM
- 忘れられない女―李恩恵先生との二十ヵ月(文春文庫)ISBN: 4167565048
- 金賢姫 私と北朝鮮(ビデオ 文藝春秋)ISBN: 4169113136
- 金賢姫 北朝鮮を語る(ビデオ 文藝春秋)ISBN: 4169113209
- 背後―金賢姫の真実 徐 鉉佑 (著)金 載協 (原著)(幻冬舎)ISBN: 4344006267