軍用機の設計思想
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軍用機の設計思想(ぐんようきのせっけいしそう)として、軍用機の発達と共に生まれた様々な考え方について本稿で述べる。
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[編集] 重戦闘機と軽戦闘機
重戦闘機と軽戦闘機(じゅうせんとうきとけいせんとうき)とは、第二次世界大戦期の戦闘機の設計思想のひとつ。(以下重戦と軽戦と記載)
ある機体重量に対し翼面積が小さい機体を重戦と呼び、大きい物を軽戦と呼ぶ(この比率を翼面荷重という)。そのため基本的にエンジン出力が同じ場合、重戦は軽戦に対し垂直面での機動を得意とし、軽戦は水平面での機動を得意とする。また、速度も重戦の方が優速である。
第二次世界大戦時には、各国の戦闘機は陸海軍とも重戦化へと進んでいく。
重戦と軽戦の境界においては諸説あるが、第二次世界大戦前後の日本ではおおよそ130kg/㎡が境界と考えていた。
[編集] 海軍の機体要求
海軍は、軽戦的な戦闘機を求める傾向があるが、海軍では主に空母艦載機が戦力の中心であり、艦上機は狭い空母の甲板に離着艦することが必要となる。そのために、離艦重量/着艦重量を制限された状態で運用されることが多くなり、結果的に軽戦に近い性格の機体となってしまう。アメリカ海軍のF-14の可変翼は、高速時の衝撃波対策と着艦時の低速での安定性確保という矛盾を解決する方法として採用されている。
[編集] 日本軍
日本は、特に陸軍が軽戦を求めていると一般にいわれてる。 しかし、現実の試作時期を見ると
というようにほぼ同時期に軽戦と重戦の開発指示を出している。これはノモンハン事件に使用された九七式戦闘機の軽戦の実績と共に、ソ連空軍の重戦思想を陸軍が評価した結果といえるかもしれない。
疾風の登場した後、陸軍は戦闘機の分類をそれまでの「軽戦闘機/重戦闘機/夜間戦闘機」から「近戦/遠戦/夜戦」へと変更している。
[編集] 別項
戦後、ジェット機の発達と共に機体が大型化、高価格化するのに対し、「現有技術と資源を惜しみなく投入した場合」に比べれば限定した性能で現有主力戦闘機より安価に整備可能であることを目的とした簡易的戦闘機を軽戦闘機と呼ぶことがある。意識してこの方向に振った西側戦闘機はF-104スターファイターが最初である。F-104はM61機関砲+サイドワインダー2発(初期型は翼端増槽との交換式)のみに武装を留めた代わりに、高い加速性能、上昇性能を発揮し、NATO諸国における迎撃機の標準となった。
日本も航空自衛隊に採用しF-104Jとしてライセンス生産を行っている。しかし、米国ではSAGEシステムとのリンク能力に欠け、レーダー誘導ミサイルを装備できず、航続力も短いF-104はF-106の前に影の薄い存在となった。その後もF-5フリーダムファイター/F-5EタイガーIIは途上国向けに多くを輸出しヒット作となっている。
アメリカ空軍はF-15の調達を目論んで居たものの、コスト高騰にあえぐ議会の圧力によって1972年軽量戦闘機コンペを実施した。一位に選ばれたジェネラルダイナミックス案、二位に選ばれたノースロップ案に実用性有りと議会は判断し、ACF( Air Combat Fighter )として実用化が図られる。これはそのままF-15の調達数削減となるため国防総省は反対したが、議会に押し切られF-16を制式化した。
F-16は現在各国に輸出されたベストセラー戦闘機といえるが、輸出先において多くの場合最新鋭最強戦闘機であることと、F-16自体もその後の開発が進むにつれ昼間格闘戦戦闘機から多用途戦闘機へと変貌を遂げ、軽戦闘機というジャンルからは完全に脱却したと言ってよい。
[編集] 双発護衛戦闘機論
双発護衛戦闘機論(そうはつごえいせんとうきろん)とは、敵地に侵攻する爆撃機を護衛する戦闘機の必要性・有用性についての議論である。
1930年代半ばより爆撃機の航続距離が長大化し,迎撃戦闘機の発動機出力が追いつけない状況が一時的に生まれた。低出力発動機しかないということは上昇に時間のかかる邀撃側は、高度と速度を確保してやってくる侵攻側を捕捉できないということであり、ここから侵攻側には護衛戦闘機は不要であるとする戦闘機無用論が生まれた。
その一方で、やはり護衛機は必要であり,そのための戦闘機として前方や後方に機銃座をつけた双発の小型~中型機が必要・有用であるとする意見があった。発動機の低出力を双発とすることでカバーしつつ,重量物であるエンジンが翼に存在するための運動性の低下を複数の銃座で死角をなくすことでカバーしようとする考え方である。こうしてドイツでは Bf 110、日本では月光や屠龍が作られた。双発護衛戦闘機に影響を受けたアメリカ機としてはその後のXP-58、XP-67、P-82等が挙げられる。
しかし実戦においては、双発護衛戦闘機は軽快かつ、速度がほぼ同等な単発戦闘機には対抗できず、Bf 110についてはBf 109が護衛につくなどという事態となり、後に護衛任務から外された。月光や屠龍も偵察機や夜間戦闘機として使用されることになった。最終的にこの系統から出た機体は対爆撃機戦闘、地上洋上襲撃においてのみ成功とみなされるようになる。
結局,戦闘機搭載の発動機の性能が予想より早く向上し,爆撃機と同等の航続距離を持ち同一行動を取れる零戦や隼、P-47、P-51といった機種が出現したことで、この議論に終止符が打たれたことになる。なお、類似の「アイデア倒れ」に終わった機種として爆撃機をベースに多数の機銃座を装備した、翼端援護機がある。
なお,成功した双発戦闘機として知られるアメリカのP-38は,爆撃機に随伴する護衛機として必要な能力を備えていた。しかし同機はもともと陸軍が提示した迎撃機の要求に対し、必要な速力と大火力を確保するために双発機とされたものであり、由来において1930年代の双発護衛戦闘機論とは全く関係がない。