葛西裕一
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葛西 裕一(かさい ゆういち、1969年11月17日 - )は、日本の元プロボクサー。神奈川県横浜市瀬谷区出身。
元々はサッカー少年だったが、大場政夫に憧れ中学時代からボクシングを始めた。1987年、横浜高等学校3年時に全日本高校バンタム級チャンピオン。専修大学法学部中退(アマチュア通算48戦44勝24RSC4敗)大場の属していた帝拳ボクシングジムからプロデビュー。WBA世界ジュニア・フェザー級(現・スーパーバンタム級)王座挑戦3回。現役時代はMDI(現在のレオパレス21)社員。現在は帝拳ジム・トレーナーとして後進の指導に当たる。
[編集] 戦歴
- 1989年8月12日に後楽園ホールでプロデビュー。アンチェイン梶(陽光アダチ)を1RKOで破る。
- 1992年9月5日、小泉秀司(角海老宝石)を2RKOで破り、プロ15戦目で日本ジュニア・フェザー級王座獲得。
- 1992年12月5日、阿部真一(ハッピー)を7RTKOで破り初防衛。
- 1993年4月3日、アブラハム・トーレス(ベネズエラ)と10R引き分け。デビュー戦からの連勝が16でストップ。
- 1993年7月3日、山岡正規(トクホン真闘)を10R判定で破り2度目の防衛。
- 1993年12月20日、日本ジュニア・フェザー級王座返上。
- 1994年3月2日、東京体育館WBA世界ジュニア・フェザー級王座初挑戦。ウィルフレド・バスケス(プエルトリコ)に、わずか125秒で屈辱の1RKO負け。(この試合はWOWOWでゴールデンタイム全国生中継。解説の浜田剛史とその日セミファイナルで7RTKOで圧勝した八尋史朗はジムの先輩)
- 1994年9月23日、ベネズエラで武者修行中に南米ジュニア・フェザー級王座に挑戦。ラモン・グスマン(ベネズエラ)を相手に6R負傷TKO負け。(日本人が南米タイトルに初めて挑戦した試合)
- 1995年2月4日、権熙允(韓国)を12R判定で破り、東洋太平洋ジュニア・フェザー級王座獲得。
- 1995年6月3日、ジュン・リヤノ(フィリピン)を10RKOで破り初防衛。
- 1996年10月14日、東洋太平洋ジュニア・フェザー級王座返上。
- 1996年12月21日、ラスベガスでWBA世界ジュニア・フェザー級王座挑戦(2度目、ランキング1位の指名挑戦者)。アントニオ・セルメニョ(ベネズエラ)に12R判定で敗れる。
- 1997年7月26日、横浜アリーナWBA世界ジュニア・フェザー級王座挑戦(3度目)。アントニオ・セルメニョ(ベネズエラ)に12RTKOで敗れる。
通算29戦24勝(16KO)4敗1分