知能
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知能(intelligence)とは、ヒト・動物の脳において、情報を処理し、情報を記録・再生し、処理結果を適切に出力すること、またこれらの過程を活性化することをさす。この過程は同時進行的に行われる。一般には、この過程をより適応的に、効率よく、より速く行う場合に知能が高いと形容する。
- ここでいう情報とは、感覚情報、言語情報、内的思考、記憶から再生した情報などである。
- 情報の処理とは、情報の把握、取捨選択、分類、予測、情報と情報の間の論理的関連性の検証、外的・内的な問題への適応方法の産生などである。
- 情報の記録・再生とは、作業記憶、短期記憶、長期記憶、記憶の再生などである。
- 処理結果の適切な出力とは、適切なタイミング、適切な方法(発声や書字、顔の表情、動作など)で情報を外界に表現することである。
- これらの過程の活性化とは、すなわち創造性、活発さ、自律性、心の健康さなどである。
上記の過程のいずれかに問題があると、知能の一部に問題が生じる。例えば、情報の記憶・再生は得意でも情報の処理に問題があると、暗記は得意だが問題解決能力は低いであろう。また、情報の処理・記憶・出力に問題がなくても、それらを活性化する能力に問題がある場合、与えられた課題はこなせるが自発的に問題をすることはできない、いわゆる「指示待ち人間」になるであろう。このようなタイプの場合、知能検査という「課題を与えられるセッティング」では高い得点を得られるが、実際の社会適応はそれほどよくないかもしれない。他にも、例えば他人の表情を読む機能が低い場合には、他の情報処理機能は正常でも社会的な適応は悪くなるであろう。
ちなみに最後の例のように、いわゆる「社会性」という範疇に入る能力は「社会的知能(social intelligence)」と呼ばれ、子供の心の発達との関連で近年注目されている。もっとも、社会的知能は本質的にパーソナリティの問題であり、厳密な意味での知能とは区別する向きも多い。
このように、知能には実にさまざまな側面があるため、個人の知能を客観的に評価する場合には注意が必要である。各々の知能検査が考案されているが、一般社会で知的能力と考えられるものを全て計測することは、無論不可能である。しかしながら、ごく普通の人間集団に施行したときに、かなりの程度その人の社会的適応度と相関するのも、また事実である。(知能検査参照)。
知能検査の結果を表示するのによく使われるのが知能指数である。
一人の個人の中でも、言語的知能は高いが数学的知能は低いなど、ある程度のばらつきがあるのは正常である。しかしある種の発達障害(特に自閉症など)では、知能の下位領域ごとに大きくばらつきがあることが多い。
知能は生涯を通じて一定のものではなく、変化していく。成長に従い伸びる知能もあり、逆に衰える知能もある。精神・神経疾患のうち知能低下が最も顕著なのは痴呆性疾患である。また、知能の発達が社会的に不十分な場合は知的障害と呼ばれる。
[編集] 知能の分類
情報処理過程の性質による分類(主なもの)
- 学習:(教師がいる場合など)入力情報を整理・分類し記憶すること。あるいは(自力で学ぶときなど)外界との相互作用の中から解決方法を産出し、記憶することなど。
- 問題解決:外的・内的な問題を把握し、外的・内的に試行錯誤したり、関連する記憶を再生したりしながら解決方法をみつけること。
- 論理:情報と情報が正しく関連するかどうかを検討すること。
- 推論:情報から、通常より一般化できるような情報を導くこと。
- 演繹推論
- 帰納推論
- アブダクション推論
- 仮説推論
- 常識推論
- 発見:情報を整理したり推論したりして、記憶と照合した結果、新しい情報であることを認識すること。
- 連想:ある情報をもとにして、関連性のある情報を記憶から取り出すこと。
因子分析による分類 スピアマンは1914年に、知能には一般能力と特殊能力の2因子があると提唱した。エドワード・ソーンダイクは1927年に、CAVDという4検査によって知能が測れると提唱し、知能4因子説を唱えた。Cとは文章完成テストであり、Aとは算数テストであり、Vとは語彙テストであり、Dとはさしずテストである。サーストンは1938年に、57種類のテストを大学生に実施し、知能には9因子があるという説を提唱した。
ギルフォードは、180の因子があるとしている。
近年、アメリカのガードナーは多重知能というものを提案して、話題になっている。彼の提案する知能は、言語的知能・論理数学的知能・空間的知能・音楽的知能・運動的知能・社会的知能・博物的知能・実存的知能といったものである。前3者以外は、従前は能力であっても知能ではないと考えられたり、知能が具体的に適用された状態のことと考えられたりしたものである。ただ彼の提案する7つの知能は彼の主観によるものであって、テストや因子分析による裏づけはなく、話題になっている割に学問的基礎は弱い。おそらくガードナーは、知能を知能指数などといったひとつの尺度で測定しようとする向きへの政治的なアンチテーゼとして、あえてこのようなものを提案したとも考えられる。
一方、因子分析で提案されたスピアマンの一般知能gを、主として前頭前野にかかわるものとして捉えなおすことで、一般知能という概念に確固とした基礎付けを行おうとする研究もある。この観点からすれば、言語的知能、数学的知能、空間的知能は、それぞれ前頭前野を強く使用するゆえにお互いに能力的に相関するといえる。一方音楽や運動では熟練した状態ではむしろ前頭前野は使用されず、いわゆる「知能」とは異質かもしれない。
[編集] 知恵と知識
知恵と知識という言葉があるが、どちらも知能と関連した重要な概念だ。 知恵は目的と状況に応じて(言い変えれば動的に)問題への対処法を考案する能力である。 知識は過去あるいは他人の知恵の方法と結果を記憶もしくは伝達し、 また目的と状況に応じて有用であるその記憶を取り出す能力のことである。
知恵なくしては知識は形成され得ない。それゆえ知恵は知能にとってより根源的である。
しかし、必ずしも問題に対処するのに知恵がいつも有効であるとは限らない。
なぜなら知恵を用いて問題を解くのは一般的に言って困難であるから。
長い時間を必要とする場合もある。天才的な閃きが必要な場合もある。運が必要な場合もある。
結局のところ、知恵と知識をバランス良く使いこなすのが実用的な意味でより知能が高いといえる。
さらには、問題に対処するとき知恵により対処すべきか、あるいは知識をもって対処すべきかを判断する能力が重要になってくるが、これは経験に依るところも多い。