混血
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混血(こんけつ)とは、何がしかの分類上に於いて、異なると考えられている枠組み(人種・民族等)に属する親同士の交配ないし性交の結果によって子が生れる事。またはその生まれた子を指してこう呼ぶ。
- 特に人(人間)を指してこのように呼ぶ場合は蔑称である危険性が伴う。[1]
- 動物に於いてこのように言われる場合は交雑種(雑種)ないしあいのこといい、家畜の場合は人間にとって都合のいい形質を作るために、人為的に行われる。
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[編集] 概要
人間の場合は人種または民族の異なる父母の間に生まれた子を指してこのように呼ぶ。人種や民族といった形質や文化を、血液(遺伝子)に象徴的させた語で、「血と血が混ざり合う」というイメージで捉えられることが多い。違う人種や民族の父母の間から生まれた子供を混血児という。動物の場合も同様である。
一般に生物は、近隣種を除いては交雑できないか、子が生まれても不妊になる場合が多い。異種間の交配がこれは精子と卵子の表面にあるタンパク質によるカギ構造などに由来するとされ、遺伝的隔たりが大きい生物種間で交配を行うことは、単純な性交によっては不可能である。ただ亜種という極めて近いレベルの近隣種同士は交配が可能で、生まれた子には双方の遺伝的性質が現れる場合が多い。
[編集] 人間社会における混血
人間に於ける混血とは、上に挙げた通り人種や民族と言った単位で、異なるグループに属する者同士を親として持つ人々のことである。
人間の社会では古くから人種差別や民族紛争・民族差別(→民族問題)といった負の歴史も持っている訳だが、人種の違いは僅かな遺伝形質(皮膚の色や髪の色・顔付き・体格と言ったような物)の組み合わせによる差異であるに過ぎず、民族に至っては本質的に文化によって構築され、区別されているに過ぎない。このためヒトという分類範疇内においては、如何なる人種・民族にあっても、自由に交配可能であるため、人間は皆混血であると言える。
しかし人間という存在が社会的動物である以上、人は社会に依存しなければ生きてはいけない(→野生動物)。そして各々の人種・民族の単位で結束が固い社会にあっては、これら混血の人々が差別の対象とされやすい。どちらの人種・民族に固有の遺伝的性質をも持つという認識があるためである。特に双方の人種・民族の間に深い軋轢のある社会においては、彼ら混血の立場にある人の社会的地位は劣悪となるケースも少なくない(→ストリートチルドレン)。
その一方で、相互の人種・民族間において友好関係がある場合、この混血もさほど問題とされない場合が見られ、また一方の人種・民族にもう片方の人種・民族が憧憬(あこがれ)を抱いている場合、その憧憬を抱く側が、対象である人種・民族の遺伝的な形質を引き継いでいるとして、自社会内に居るこの混血の者をも尊重ないし憧憬の対象と見なす場合も見られる。
ただしこの混血というものは、双方の親が同一の生物種という極めて近しいレベルの存在で、また人にあっては社会から多くの影響を被るため、実質的に混血の影響よりも、育った社会の文化・風俗・教育システムの影響のほうが強いと考えられている。
混血の対義語は純血である。この表現もまた人種や民族の違いを血液に象徴させた語であるが、「純粋な人種・民族」という事柄の定義は困難であり、一様でない。民族主義・ナショナリズムと結びついた用い方がされる場合がある。
また、2種類の人種・民族だけではなく何種類の人種・民族から生まれる場合も混血という。特に古くから国際的な交流があった地域や、または他民族の流入が激しかった地域では、人種・民族といった区分の混乱も見られ、文化的な交雑すら発生し得る。この中では、自らの民族的ルーツを模索し、自分の中にある何分の一かの民族的源流の中から、自らの価値観(好み)に沿う民族文化を選択するケースも見られる。
混血は相互の文化・風俗を尊重しあう背景がある場合には、生まれた子も幸いであるが、相互が反目しあっている場合には、子は相互の社会の軋轢に揉まれる危険性も高い。とはいえ混血の立場にある者達が一定数に達している社会では、相互社会の緩衝役として機能する場合も見られる。
人類史においては、コーカソイド、モンゴロイド、ネグロイド、オーストラロイドといった人種が相互に接触し、当該人種間で子孫が発生することはごく自然なこととされた。また、混血によって、新たな民族のアイデンティティが形成されることもあった。いわゆる「混血」が意識されるのは、大航海時代にヨーロッパを主体として、世界の一体化が進んだ時期である。
[編集] 日本社会における混血
現在、日本社会においては一般に「ハーフ」という呼称が与えられている。
人間の歴史において混血という現象は常に生じてきていることであるが、日本において社会的に注目されるようになったのは戦後、連合国軍との関係から生まれて来た人々である。そして、そのようにして生まれた人々は当時「混血児」や「あいのこ」と呼ばれていた。
しかし、連合国軍による占領政策の終結や朝鮮戦争休戦により社会が落着きを取り戻し、また数々の好景気に見舞われたことから戦争や占領を想起させる「混血児」という呼称の使用は避けられるようになった。もっとも1972年に沖縄が日本政府の施政下に戻ったとき(本土復帰)、「混血児」として再び注目されている。なお、日本政府の施政下になかった1972年以前も「混血児」は生まれていたのだが、沖縄が日本政府の施政下でなかったため注目されることはなかった。
現在の「ハーフ」という呼称は1970年代に活躍したゴールデンハーフというアイドルグループの名称に起源があるとされており、そのため「ハーフ」といえば初期は女性のみを指していると解する人もいた。戦後生まれの有名なアイドルとしては山本リンダが挙げられる。
1990年以降、この「ハーフ」という呼称の語源に「半人前」という意味があることから、この呼称が差別用語ではないかとの意見が登場した。そして、二つのルーツ(出自)を持つということから「ダブル」という呼称を採用しようとする動きが親たちの間から出始めた。
しかし、ダブルは二つ以上のルーツを持つ人を視野に入れていない表現であるため、英語圏で用いられるmixed-race/cultureを起源とする「ミックス(mixed)」を使用する人もいるのだが、呼称の変更については賛否両論ある。なお「ハーフ」と呼ばれる人を片親に持つ人は「クオーター(quarter)」とも呼ばれる。
なお、社会的に注目される例として沖縄という場において生まれる人がしばしば取り上げられている。しかし、それが社会問題とされるときは軍事基地との関わりで語られることが多いのだが、その文脈で語ることは、その社会に住む人にとって不名誉な烙印の原因ともなっている。
1980年代初頭に、無国籍問題などで注目されたが、84年の国籍法改正により、無国籍問題として注目されることは無くなった。また、1998年以降にも一時的に注目が集まったのだが、それが沖縄という文脈に限定されたものであったため、そこで当事者が提起していた問題は、広く日本社会の問題として注目されることはなかった。
[編集] 人間以外の混血
人間以外・特に家畜・作物では、混血は様々な優れた形質を家畜や作物に与えようとして、様々な実験的交配が繰り返されてきた。この中には生物学的な問題を無視して、異なる科や属に位置する種族どうしを掛け合わせようとした歴史もある。
掛け合せによって生まれる動物の中には、一世代限りで次世代が生まれない(交雑種同士では交配できない)というものも見られる。
古くからマガモとアヒルを掛け合わせたアイガモが家畜として知られており、また過去にはトラまたはヒョウとライオンを掛け合わせた動物が作られている(→レオポン)。近年ではバイオテクノロジーの発達も在って、遺伝子レベルで人為的に操作して結合させたキメラも、現実的な話として出るようになっている。
ただバイオテクノロジー発達以前より、フランケンシュタインコンプレックスに見られるようなテクノロジーに対する警戒論も強く、無闇な他種族間の交配を警戒する人も見られる。
その一方で予期せずして交雑が発生する場合もある。イエネコとヤマネコは極めて近い種であるために交雑が発生し得る。これらでは野猫の問題が良く知られており、野生動物・在来種としてのヤマネコを保護する観点から、人為的に持ち込まれたイエネコを捕獲・駆除しなければ成らないと云う状態に在り、捕獲後の扱いに関して、これに反対意見を述べる者もあって社会問題にもなっている。このように、在来種の遺伝的独自性が、外部から流入した外来種との交雑によって失われることを遺伝子汚染という。