橋田壽賀子
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橋田 壽賀子(はしだ すがこ、1925年5月10日 - )は、日本を代表する脚本家、劇作家である。韓国の京城(ソウル)出身。大衆に受け入れられてこそ価値のある作品であるという信念のもと、数多くのヒットを飛ばした。おしん(1983年~1984年:NHK)、春日局(1989年:NHK)、渡る世間は鬼ばかり(1990年~:TBS)など、後世に残る作品を数多く残している。
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[編集] 来歴・人物
- 大阪府立泉陽高等学校、日本女子大学国文科を卒業後、早稲田大学文学部芸術科中退。
- 1949年松竹に入社し脚本部所属。1959年にフリーとなる。
- 1966年に岩崎嘉一(当時TBSプロデューサー)と結婚。夫は1989年9月死去(享年60)。
- 1992年には、橋田文化財団を設立し理事に就任。
- 現在は熱海に暮らしている。
[編集] 主な作品
[編集] ドラマ
- となりの芝生(1976年:NHK銀河テレビ小説)
- となりと私(1977年:NHK銀河テレビ小説)
- 幸せのとなり(1979年:NHK銀河テレビ小説)
- 女たちの忠臣蔵(1979年:TBS)
- おんな太閤記(1981年:NHK大河ドラマ)
- おしん(1983年-1984年:NHK朝の連続テレビ小説)
- 男が家を出るとき(1985年:NHK銀河テレビ小説)
- いのち(1986年:NHK大河ドラマ)
- お入学(1987年:NHK銀河テレビ小説)
- おんなは一生懸命(1987年:TBS)
- 春日局(1989年:NHK大河ドラマ)
- おんなは度胸(1992年:NHK朝の連続テレビ小説)
- 春よ、来い(1994年~1995年:NHK朝の連続テレビ小説)
- 番茶も出花(1997年:TBS)
- 百年の物語第1夜「大正編・愛と憎しみの嵐」(2000年8月28日:TBS)
- ハルとナツ 届かなかった手紙(2005年10月2日~6日:NHK)
- 涙そうそう この愛に生きて(2005年10月9日:TBS)
- 橋田壽賀子スペシャル・夫婦(2006年2月4日:テレビ朝日)
- 渡る世間は鬼ばかりシリーズ(1990年~:TBS)
[編集] 著書
- 橋田壽賀子と素敵な24人(1989年:家の光協会)
- 渡る世間に鬼千匹(1997年:PHP研究所)
- 渡る世間は… 橋田壽賀子石井ふく子対談エッセイ (2001年:ワニマガジン)※石井ふく子と共著
- ひとりが、いちばん! 頼らず、期待せず、ワガママに(2003年:大和書房)
[編集] 受賞
[編集] ドラマの特徴
[編集] 構成
女性脚本家らしく、ドラマの中の女性の視点から物語が展開されている。
現代劇(渡る世間は鬼ばかりなど)の中では、10代~20代の男性出演者は黒髪が多い(茶髪は不良の設定)こと、恋人同士でもお互いいつまでも敬語を使って話していること、恋人から結婚に至る過程が堅すぎる(できちゃった婚なんてありえない)など少々今の時代に即していない面も指摘される。また、結婚や生活に関して旧い価値観を持っており、若者と年配者、あるいは嫁姑の対立という内容が必ずある。
[編集] セリフ
ドラマの脚本執筆の際、役者に喋らせる台詞が長い事で有名。主役級の泉ピン子は「自分の台詞が台本1ページもある」と言っていた。
加えて助詞(いわゆる「てにをは」)一字の発音違いも許されず、アドリブも一切禁止と言われている。これは松竹時代、担当したドラマの脚本で作成した台詞が一切使われなかったことが原因と思われる。
橋田脚本の作品では最早死語となったような上品なセリフが多く発せられる。主なものに「作る」というところを必ず「拵える(こしらえる)」と言わせる、「味噌汁」を「御御御付(おみおつけ)」と言い換える、など。
[編集] 橋田ファミリー
橋田脚本のドラマには、泉ピン子などいわゆる「橋田ファミリー」と呼ばれる役者が決まって出演している。ベテランの役者が多く、橋田ドラマで鍛えられているため台詞や演技力は高いが、一方で橋田ドラマ以外ではあまり目にすることがない俳優もいる。
[編集] 出演
[編集] テレビ番組
- 森田一義アワー笑っていいとも!(1998 - 2001年 フジテレビジョン)
- 中居正広の金スマ ゲスト(2006年)