楊尚昆
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中華人民共和国 |
主な出来事 人物 理念 統治機構 |
この欄を編集 |
楊尚昆(よう しょうこん、ヤン・シャンクン、Yáng Shàngkūn。1907年5月25日 - 1998年9月14日)は中国の政治家で軍人。重慶市潼南県双江鎮生まれ。国家主席、党中央政治局委員、中央軍事委員会副主席。長征経験者。
1926年に共産党に入党。30年代に中央軍事委員会総政治部副主任、第3軍団政治委員を歴任し、長征を経験。1934年党中央委員候補に選出。抗日戦争期は党中央北方局副書記、後に書記を努め、華北におけるゲリラ戦を指導した。解放戦争期は中央軍事委員会秘書長として、軍高級幹部に命令を伝達する立場に。
建国後の1949年からは、中央弁公庁主任として党の日常業務を処理。1956年に鄧小平が党総書記に就任すると、業務的に密接な関係を持つようになり、彼の信頼を得たとされる。
1965年頃に中央弁公庁主任を解任され、広東省党委員会書記に降格。文化大革命が開始されると、「彭真・陸定一・羅瑞卿・楊尚昆反革命集団」の一員とされ、また毛沢東から「楊は魏延だ」と批判され、失脚した。
鄧小平とともに1989年の天安門広場の民主化デモに対する軍による鎮圧において重要な役割を果たしたとされる。
彼の甥は河北省から招集された極めて錬度の高い第27集団軍を指揮してデモを鎮圧した。
人民解放軍における影響力が大き過ぎたため、党指導者を江沢民と交替させるために1992年に鄧小平により政治局員の座から取り除かれる。楊と楊の弟(楊白冰)は軍内にあまりに多くの支持者と盟友がいたため、彼の辞職が最高レベルの軍高官の半分の退役に繋がったことはよく知られた事実である。
中共八大元老の一人。
カテゴリ: 中華人民共和国の政治家 | 1907年生 | 1998年没