朱舜水
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朱 舜水(しゅ しゅんすい、zhu1 shun4 shui3、1600年 - 1682年)は、明の儒学者。江戸時代の日本へ来日。舜水は号。諱は之瑜、字は楚嶼・魯璵。
浙江省に生まれる。台湾に拠って清に抵抗、日本やヴェトナムへも渡り貿易などを行う。南明政権の魯王や、明の復興運動を行っていた鄭成功を支援し、59年7月の南京攻略戦にも参加。
同年、復明運動を諦めて日本の長崎へ亡命する。柳川藩の儒者である安東省菴に援助され、65年に水戸藩主の徳川光圀に招かれて江戸に住む。水戸学へ思想的影響を与えたほか、『大日本史』の編纂に参加した安積澹泊や、木下道順、山鹿素行らの学者とも交友し、漢籍文化を伝える。
著作に『舜水先生文集』、『朱徴君集』ほか。東京大学農学部内には「朱舜水先生終焉之地」と記された碑がある。
水戸藩主累代の墓所瑞龍山(茨城県常陸太田市)に朱舜水の墓がある。