日向神ダム
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日向神ダム(ひゅうがみ-)は福岡県八女郡黒木町大字大渕字松瀬向地先、一級水系矢部川本川上流部に建設されたダムである。
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[編集] 沿革
筑後平野南部を流れる矢部川は1914年(大正3年)より堤防築堤を中心とする『第一次矢部川改修工事事業』が行われ、最大の支川である星野川合流点までは改修が完了していた。ところが1953年(昭和28年)6月に北部九州を襲った梅雨前線豪雨はこうした改修を嘲うかのように各地で堤防決壊や堤防越流を惹き起こし、矢部川流域の被害総額は当時の額で約12億円に上り、敗戦でダメージを受けたこの地域に更に追い討ちを掛けた。
一方、八女茶の名産地である矢部川流域は古来より穀倉地帯として、約12,000haに及ぶ水田の水源ともなっていたが、旱魃時には容易に水量は減少し干害が頻発していた。この為本流各所に固定堰を設け取水していたが農地面積の拡大により需要が更に逼迫していた。これに加え下流の大牟田市は三井グループの工場が進出するに及んで電力不足を呈するようになり、矢部川を利用した治水・利水の総合対策が必要となった。
これを踏まえて福岡県は当時建設省(現・国土交通省)が行っていた『第三次矢部川改修工事事業』との整合性を図りながら治水対策を計画し、筑後市船小屋地点での計画高水流量(計画する河川改修限界の洪水流量)を3,000トン/秒に抑える為に矢部川本川上流にダムを建設し、併せて既得水利権分の用水確保と大牟田工業地域への発電を目的に『矢部川総合開発事業』を1953年に策定、その中心事業として日向神ダムを計画した。
日向神ダムは福岡県が初めて手掛けた補助多目的ダムであり、初めて運営を行った県営ダムでもある。
[編集] 概要
ダムは堤高79.5mの重力式コンクリートダムとして計画された。目的は矢部川の洪水調節、八女市・筑後市・柳川市・大川市・八女郡・山門郡・三池郡・三潴郡といった4市4郡の既得農地約12,000haへの水利権分の用水補給を行う不特定利水、及び大牟田方面への電力供給を行う為の県営水力発電である。
ダム建設に伴い黒木町及び矢部村の216世帯(内訳民家195戸、公共施設13棟)が水没する為、住民は「ダム建設絶対反対」を掲げ漁業権を持つ矢部川漁業協同組合と共に強力な反対運動を繰り広げた。これに対し事業者である福岡県は1955年(昭和30年)12月に「矢部川総合開発事業補償審議会」を設置し、水没者一人毎に詳細な補償内容を作成すべく約一年間審議を行った。翌1956年(昭和36年)10月5日、補償基準の最終要綱が作成され各水没者に送られ、水没者全体の85%が補償に応じた。だが頑強に反対する一部住民52名は「公正会」を結成し、公正証書を作成して敢然と補償基準に反対した。これ以降約4年に亘り福岡県と公正会の間の補償交渉が行われ、試験的に貯水を行う「試験湛水」中の1960年(昭和35年)11月7日に全員との補償交渉が妥結した。
一方漁業権を巡る矢部川漁業協同組合との交渉は、当初約2億1千万円(当時の価格)での補償額が要求され、これも又難航したが数年間の交渉と調査によって最終的に約3千3百万円で妥結した。だが、この間工事中に発生した水質汚濁が起こり、ダム工事中断の仮処分申請が福岡地方裁判所に提訴された。但し仮処分申請は却下されている。
ダム工事は途中1958年(昭和33年)8月の豪雨で工事施設に被害が出るなど難航したが、1959年(昭和34年)には本体が完成。その後試験湛水を経て1960年5月に運用が開始された。これ以降矢部川の水害は軽減されているがより治水安全度を高める事と福岡市などへの利水機能の充実を図る為、建設省は1970年(昭和45年)より支流の星野川中流部に「真名子ダム建設計画」を進めていた。だが地元である上陽町や星野村等流域住民の猛烈な反対運動を受け、1978年(昭和53年)の『第二次マスタープラン』において事実上の休止状態になっている。これは日向神ダム完成後矢部村の過疎が急激に進行した事を受けてであり、『ダムで栄えた村はない』として土地共有運動などを駆使した反対運動を繰り広げている。但し国土交通省はダム事業自体の中止は発表していない。
[編集] 観光
ダムは名勝である日向神峡に建設された。この日向神峡は切り立った安山岩が険阻な峡谷を形成しており、岩山に洞穴が開いており『神馬が蹴り飛ばした』と地元に伝えられている「蹴洞岩」を始め「黒岩」・「天戸岩」・「正面岩」等の奇岩群がダム湖である日向神湖と見事な景観を作り出している。日向神湖沿いはサクラの名所として知られ、「千本桜」として花見の名所となっている。この他シャクナゲやツツジも有名である。上流の矢部村ではサワガニの味噌漬けやユズが特産である。1977年(昭和52年)からはダム周辺環境整備事業の一環として湖岸公園の整備等が行われ、1982年(昭和57年)に完成している。
交通としては国道442号が唯一のルートであるが、国道昇格以前までは福岡県道・大分県道・熊本県道115号八女小国線が主要地方道3号線として扱われていた。沿線には国の特別天然記念物である「黒木の大藤」や西筑後の要衝であり落城に纏わる伝説もある猫尾城跡といった名所・旧跡もある。又、矢部川を遡り竹原峠を越えると鯛生金山跡や松原ダム・下筌ダム、杖立温泉へ至り、日田市・阿蘇山・竹田市方面への重要なルートでもある。以前は細く曲がりくねった峠道であったが、近年竹原峠トンネルが開通し阿蘇・大分方面へのアクセスが格段に整備された。公共交通機関では黒木バスターミナルより堀川バスで矢部村方面行で約1時間の所要時間である。
[編集] 関連項目
- 国道442号昇格以前までは主要地方道3号として併用していた。
[編集] 外部リンク・参考資料
- ダム便覧(財団法人日本ダム協会) 日向神ダム
- 『日本の多目的ダム』1963年版 建設省河川局監修・全国河川総合開発促進期成同盟会編
- 福岡県 ホームページ