新田恵利
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新田 恵利(にった えり、1968年3月17日 - )は、1985年におニャン子クラブの会員番号4番としてデビューした日本の女性タレント。本名、長山 恵利。ソロデビューした時に歌った『冬のオペラグラス』がヒットした。
埼玉県上福岡市(現・ふじみ野市)出身。埼玉県立福岡高等学校卒業。
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[編集] 来歴
- 1986年1月1日、シングル『冬のオペラグラス』でソロデビュー。当時は公式に女性初のデビュー曲オリコン初登場1位と発表されたが、その後オリコンの規定が変更されグループからのソロの場合はデビュー曲と見做さないことになったため、現在のオリコンの公式記録では女性初のデビュー曲オリコン初登場1位は内田有紀となっている。
- 1996年(平成8年)8月8日、『フジテレビの日』(8が3つ揃った日)で一日だけ再結成したおニャン子クラブのイベント担当だったフジテレビ社員と知り合い、後に結婚。これには、おニャン子クラブのファンクラブ「こニャン子クラブ」元会員でもあり、熱烈ファンだった岡村隆史は悔し涙を流した(らしい)。
- 1987年におニャン子クラブが解散した次の年の1988年以降、人気が下火になったこともあり、1990年に一度芸能界を引退し、作詞家として活動する。だが、1996年に芸能界復帰する。
- その後は女優、作家・エッセイストとして文筆活動を行っているほか、東京のコミュニティFM局「Ginza'RADIOCITY」のパーソナリティーもしている。
- 2002年、期間限定で復活したおニャン子クラブのメンバーの一人。
[編集] 評価
- 初期のおニャン子クラブにおいては国生さゆり、河合その子と共に人気を博した。
- その中でも、同グループは「素人らしさ」を売りにしており、これをもっとも具現化していたのが新田であり、当時を知るものは「おニャン子クラブ=新田恵利」とする向きも多い。
- 逆にこのごく普通の雰囲気を前面に出し、人気が得たことが、同時期の岡田有希子の自殺と共に、1980年代のアイドル黄金時代を終焉させ、1990年代の「アイドル冬の時代」を招いたきっかけとも言われる。
- 新田人気の根源は、番組内で見せる笑顔にあり、この「新田スマイル」こそが彼女の真骨頂である。
- しかし、アイドルとしての素材面では一段も二段も劣っていたことは否めない。
- 従い、番組内での新田を知らない世代には訴えるものがなく、なぜ人気が高かったのか、理解し難い面がある。
- このような背景からか、1980年代以降に生まれた世代には知名度が低く、「おニャン子クラブ」は知っていても「新田恵利」は知らないものも多いようで、1998年12月放送の「あの人は今!?」で取り上げられた彼女について、レポーター役の稲川淳二が渋谷109の前で高校生達に質問したところ、その中のひとりが「誰この人…?」と答える場面があった。
- 一方でグループ解散後、比較的早い段階で(一旦)引退したことから、「おニャン子クラブ・芸能界から消えた」という印象が強く、「消えた元アイドル」の代名詞にもなっている。
[編集] 音楽
[編集] シングル
- 冬のオペラグラス/ロマンスは偶然のしわざ (1986.1.1)
- 恋のロープをほどかないで/ピンクのリポン (1986.4.10)
- 不思議な手品のように/星の手紙 (1986.8.1)
- 内緒で浪漫映画/銀色のスーベニール (1986.11.14)
- 若草の招待状/夕日と風とメロディ (1987.2.14)
- サーカス・ロマンス/パナマのシャポー (1987.6.17)
- Deja Vu~デジャ・ヴ~/茅ヶ崎に背を向けて (1987.9.5)
- WHO?/彼をあきらめて (1988.1.21)
- ロックンロールラブレター/夏の恋風 (1988.7.21)
- さよならの風/メビウスの二人 (1988.11.21)
- プロローグ~いいだせなくて~/真冬のペニーレーン (1990.2.21)
- 真夏のアルバイト(茂木淳一とのデュエット)
[編集] アルバム
- ERI (1986.5.2)
- E-AREA (1986.9.5)
- ritardand (1987.4.24)
- 新田恵利ベスト (1987.7.21)
- Image~イマージュ~ (1987.11.21)
- 新田恵利ベスト16 (1989.6.21)
- ラストメッセージ (1990.3.21)
- MY これ!クション 新田恵利BEST (2002.7.17)
- MY これ!クション 新田恵利BEST2 (2003.7.16)