新・サンデートーク
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新・サンデートーク~ごきげんよう草柳です(しん・さんでーとーく~ごきげんようくさやなぎです)は、仙台放送をキー局として、東北6県と新潟県の民放7局で日曜日の午前に放送されていた東北電力一社提供のトーク番組である。
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[編集] 番組名の変遷
前身は、1974年度に祝日を中心に不定期に放送された『ホリデートーク』。(具体的な放送日は1974年4月29日、9月23日、10月10日、11月4日、1975年1月15日、2月11日、3月21日。放送時間はいずれも11:00~11:30。ただし一部局では別時間に放送の場合あり。) これがレギュラー化し、1975年7月6日、『サンデートーク』がスタートした。1980年5月4日よりタイトルが『新・サンデートーク』に改めた。いずれのタイトルにもサブタイトルとして『ごきげんよう草柳です』が付く。1994年9月11日、1000回の放送を以って20年の歴史に幕を下ろした。
[編集] 内容
司会は評論家の草柳大蔵が務めた。毎回一人のゲストを招き、社会問題などについて話を聞く。
基本的には仙台放送のスタジオで草柳とゲストが対談する形式だが、年に数回は放送エリア内(東北6県+新潟県)で公開録画が行われ、その模様を放送する回もあった。
『サンデートーク』第1回放送日の河北新報に掲載された新聞広告には、「東北にかかわりの深い人物を中心に毎回多彩なゲストを迎え、その話し合いのなかで、現代が抱える諸問題の核心をついていくユニークなトーク番組」と宣伝されている。『新・サンデートーク』と改題するにあたり、内容を人物本位からテーマ本位へ変化させている。
スポンサーの東北電力にとって(1971年ごろに仙台放送で『電力に生きる』という広報番組を制作しているが)本格的な番組提供はこれが初めてだった。そのため、この番組には、中央の価値ある情報を提供することで東北の文化水準の向上に貢献したい、という意図を込めていたようである。
[編集] ネット局
開始当初のネット局は、仙台放送、青森放送、岩手放送、秋田放送、山形放送、福島テレビ、新潟放送。FNS系列といったネットの仕方をしていない。ちなみに、キー局である仙台放送以外は各県の先発局である。
秋田県において、秋田放送がネットしたのは1975年9月まで。1975年10月からは秋田テレビ(FNS系列局)に切り替わった。
東北6県+新潟県という組み合わせは東北電力の営業区域であり、このあと他局で制作される東北電力提供のブロックネット番組もほとんどが7局ネットである。
放送時間は、仙台放送では一貫して毎週日曜日10:00~10:30。このため『笑っていいとも!増刊号』は12:00~の時差ネットだった。ネット局ではそれぞれ異なるが、主に日曜の午前に放送されていた。
[編集] 後続番組
仙台放送制作、東北電力提供の枠は以下のように変遷し、続いている。ただしネット局は途中チェンジされていることがある。詳しくはそれぞれの番組の項を参照のこと。
- 今、きらめいて(1994年9月~2001年3月) 草柳が「監修」という形でクレジットされていた。
- ぼくらの時代(2001年4月~2005年9月) この番組から月1回の放送になる。
- 情熱エンジン(2005年10月~)
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