斎藤了
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斎藤了(さいとう りょう、1979年8月15日-)は日本のプロレスラー。所属団体はDRAGON GATE。山形県山形市出身。身長170cm、体重80kg。現インストラクター?のSAITOとの混同を避けるため選手やファンからは斎了(さいりょう)と呼ばれる。
[編集] 経歴
闘龍門に第4期生として加入後メキシコに渡り、1999年5月15日メキシコのアレナ・ナウカルパンで神田裕之戦でデビュー。同期にはレフェリーの玉岡金太がいる。
自転車に乗りながら入場するというメッセンジャーのギミックで日本逆上陸後、自転車を盗まれた事から始まったドン・フジイとの抗争で好青年かつ天然キャラを確立し人気を博す。1年近く抗争は続き、自転車を奪還するとフジイにラブコールをしてタッグ結成を呼びかけた。フジイはしばらく渋っていたものの熱意に折れ、自転車兄弟としてタッグを組み、二人乗り自転車で入場するようになった。その後はアンソニー・W・森にもラブコールを送ってタッグを組んだりと、正規軍にいながらユニットを越えた動きを見せていた。しかし望月成晃との抗争から2002年以降Do FIXERに所属、2005年からはマグナムTOKYOによりメンバーでは最年少ながら最も積極的なプレーを認められ2代目リーダーに指名されている。この頃から肉体改造に成功しており、昔に比べてからだが一回り大きくなっている。第1回KING OF GATEで優勝を果たし、余勢を駆って翌2006年にマグニチュード岸和田を下しオープン・ザ・ドリーム・ゲート王座に戴冠。KING OF GATE決勝で対戦し、ドリーム・ゲート王座防衛戦で敗れた横須賀享とのライバルストーリーが展開され共に次代のエースとして期待を寄せられている。ルチャ主体のドラゲーマットにおいて比較的オーソドックスなレスリングスタイルを得意としている。
[編集] 得意技
- ダンシング・ヤッホー(旧・サイクリング・ヤッホー)
- 腕極式片エビ固め。技に入るとき「サイクリング、ヤッホ~!」と言ってから入るためか、成功率が非常に低い。Do Fixer入りして、「ダンシング・ヤッホー」と名前が変わってからは決め台詞すら満足に言えないまま脱出されてしまい、次第に使われなくなっていった。
- メッセンジャー
- 変形のスモールパッケージホールド。斎藤の奥の手で、未だ脱出した選手はいない恐怖の丸め込み。
- フィッシャーマンエクスプレス
- フィッシャーマンスープレックスをしたあと、クラッチを放さずに連続してきめる。フィッシャーマンスープレックスを2回決めた後にフィッシャーマンバスターをするのがお決まりのムーブ。
- プレミアム・ブリッジ
- 相手の両手首を掴んだまま投げるドラゴンスープレックスホールド。お台場毎日プロレスのプレミアム・マッチで生まれたことによる。
- フルネルソンスープレックス。この技を使い出してから一気にトップ戦線に踊り出た、いわば上に行くチャンスを生んだ技。
[編集] その他
- Do Fixerに加入する際の条件として、マグナムのダンスをマスターすることを言い渡されたが、マグナムダンスに加え自分用のダンスまで習得してきた。トップ戦線に踊り出てからはコミカルな部分を封印しているせいか、ダンスをしなくなっている。
- アンソニーと菅原拓也のカベジェラ・コントラ・カベジェラにおいて、何故か敗れたアンソニーの身代わりに丸坊主になったことがある。