扇千景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
扇 千景(おおぎ ちかげ、本名林 寛子、はやし ひろこ旧姓・木村(きむら-)、昭和8年(1933年)5月10日 ‐ )は、昭和・平成期における日本の政治家。参議院議員(5期)。参議院議長(26代)。称号はフランス共和国のボージョレーワイン委員会とフランス食品振興会認定コンパニヨン・デュ・ボージョレー騎士。
宝塚歌劇団の元娘役から女優に転進した元テレビタレント。タレントの林寛子とは同姓同名の別人である。宝塚時代の愛称(本名の寛子から)カンコ、血液型B型。
生年月日 | 昭和8年(1933年)5月10日 |
---|---|
出生地 | 兵庫県神戸市須磨区 |
出身校 | 兵庫県立神戸高等学校卒業 |
学位・資格 | ‐ |
前職・院外役職(現在) | 女優 |
所属委員会 ・内閣役職(現在) |
参議院議長 |
世襲の有無 | 無 |
選出選挙区 (立候補選挙区) |
比例区 |
当選回数 | 5回 |
所属党派(現在) | 自由民主党(二階グループ) ※党籍離脱中 |
党役職(現在) | ‐ |
会館部屋番号 | 参・議員会館436号室 |
ウェブサイト | [ ‐ ] |
目次 |
[編集] 概要
[編集] 生い立ち
- 兵庫県神戸市須磨区に父・木村松太郎、母・みさゑの三女として生まれる。兵庫県立神戸高等学校卒業後、大学進学を望んでいたが、父親の強い希望により大学進学をあきらめる。その代わりに宝塚音楽学校にすすみ、1954年4月に宝塚歌劇団で初舞台に立つ。同年10月に映画『快傑鷹 第一篇 蛟竜風雲の巻』に出演。テレビでも活躍した。
- 1958年10月に歌舞伎役者・二代目中村扇雀(現・坂田藤十郎)との結婚のため退団後、しばらく芸能活動から遠ざかっていた。しかし、知人の薦めにより日本教育テレビ(現・テレビ朝日)が製作した芸術祭参加ドラマ『君はいま何を見つめている』(1959年10月29日午後8時放映の単発一時間番組)に出演(第14回芸術祭個人奨励賞を受賞)し再デビュー。芸能界に復帰して映画やテレビドラマなどに多数出演。
- フジテレビの主婦向けワイドショー長寿番組『3時のあなた』で司会を4年間担当したほかに、富士フイルムの8ミリカメラのCMで「わたしにも写せます!」のフレーズが人気を集めたことで知られる。これまでに出演した映画はおよそ50作品近くある。
- 1977年に自由民主党総裁・福田赳夫や幹事長・大平正芳などの要請を受け、自民党より参議院議員選挙全国区に立候補して初当選。1989年の選挙では次点で落選したが、1993年に繰上当選。1994年に同党を離党し新生党に入党、同年12月10日の新進党結党に参加した。
- 新進党解党後は、小沢一郎率いる自由党結党に参画。2000年4月、与党連立政権を離脱した小沢と袂を分かち保守党党首となった。第2次森内閣では建設大臣兼国土庁長官として初入閣、第2次森改造内閣では中央省庁再編に備え上記の両職に加えて運輸大臣、北海道開発庁長官も兼務し、中央省庁再編後は、そのまま国土交通大臣に就任した。初代国土交通大臣としての初会見では自らを扇の要であると発言。引き続き第1次小泉内閣から第1次小泉第1次改造内閣まで国土交通大臣を務めた。この間、参院選で再選し2001年9月17日に保守党党首の座を野田毅に譲った。
- その後、保守新党を経て2003年11月21日に保守新党が解党すると自民党に復党。2004年7月30日に女性初の参議院議長(衆参両院では土井たか子に次ぎ二番目)に選出された。
- 兵庫県有数の進学校である県立神戸高等学校の出身であるが、扇の入学した年度は終戦直後の小学区制の時期であり、入学難易度はさほど高くはなかったといわれる。自身の履歴紹介における最終学歴は「宝塚音楽学校」である。
- 夫である歌舞伎役者の四代目坂田藤十郎(本名: 林宏太郎)との間に、長男・歌舞伎役者の五代目中村翫雀(本名: 林智太郎=はやし ともたろう)、次男・三代目中村扇雀(本名: 林浩太郎=はやし ひろたろう)、2人の男子がいる。義妹(夫の妹)に中村玉緒がいる。
[編集] 公的場面での通名(芸名)使用
国会議員は国民の代表として立法に参画して行政にもの申す立場であり、行政機関の一員ではないため通名使用が認められているが、大臣・政務次官等に任ぜられた場合は、議員としての立場とは別に行政機関の一員として公文書を発し、時に大臣等の肩書きで国民の権利・義務・許認可を左右することがあるため、責任明確化の観点から芸名の使用は認められていない。このため、参議院議長としては公式にも芸名の扇千景が用いられ、国土交通大臣等の行政官としても記者会見・ウェブサイト・テレビ出演等一般広報のような権力行使が直接伴わない場面では芸名が用いられたが、大臣任命の官記、大臣名義の公文書等の発出・署名など権力・権限に関連する部分ではすべて本名(林寛子)が用いられた。
- 閣議口頭了解(2000年7月4日)は次のとおりである。
- 建設大臣・国土庁長官である扇千景(本名 林寛子)国務大臣の名前については、今後、政府代表等への任命行為及び許可等対外的な法律上の行為については林寛子名を使用し、それ以外は扇千景名を使用することとする。
[編集] エピソード
- 第2次森内閣で、建設大臣、国土庁長官、研究・学園都市担当大臣、土地対策担当大臣、首都機能移転担当大臣に任命され、皇居宮殿での認証式に臨んだが、その際の服装にマスコミや服飾評論家から批判が挙がった。これは当時香淳皇后崩御により皇室は喪中であったにも関わらず、扇が華麗なイブニングドレスを着用したため。
- 2005年、参議院議長公邸において『週刊アサ秘ジャーナル』(東京放送)の取材が行われた。話題が「紀宮さまのご婚約」に及ぶと、扇は面識がないにも関わらず黒田慶樹を「クロちゃん」と愛称で呼び、「私は三権の長だからお二人の結婚式に出席できる」などと嬉々として語ったが、紀宮清子内親王と黒田慶樹の結婚式当日、天皇家からも黒田家からも扇は招かれなかった。
- ふたりの愛息とその嫁、そして内孫たちには自分のことを『ママ』とよばせている。嫁は第三者に姑のことをきかれるとき、(聞き手に)扇のことは『扇のママ』とよぶ。
- いまでも宝塚音楽学校への絶対的尊敬感情はアツく、変わらないといわれる。数年前(当時当世・扇雀の長女が出生前)「私の心残りは息子二人、孫も男児二人だったので、娘(孫娘)を宝塚に行かせてやれなかったことだ。」と語っていた。2002年、次男・扇雀に第二子となる長女(扇にとって3人目の孫)が出生した時の扇の喜びようは相当なものであったと伝えられる(扇雀の長女は「歌舞伎役者の娘なので、今後和服を着る機会は多くなる」という理由で、洋装のベビードレスを着せて宮参りをした)。
[編集] 文献
[編集] 著書
- 『泣いて笑って3時のわたし』サンケイ出版、1977年4月
- 『できることできないこと』世界文化社、2001年5月、ISBN 4418015094
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 北海道開発庁長官
- 74代: 2000 ‐ 2001
-
- 先代:
- 森田一
- 次代:
- 廃止
- 国土庁長官
- 37代: 2000 ‐ 2001
-
- 先代:
- 中山正暉
- 次代:
- 廃止