広島交響楽団
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広島交響楽団(ひろしまこうきょうがくだん)は社団法人日本オーケストラ連盟に加盟している日本のプロ・オーケストラで、広島県広島市に本拠を置いている。中国地方に於ける唯一のプロ・オーケストラでもある。
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[編集] 指揮者・コンサートマスター
- 歴代音楽監督 渡邉暁雄 高関健 田中良和 十束尚宏
- 歴代常任指揮者 井上一清
- 歴代正指揮者 飯森範親 小田野宏之 渡邊一正
- 歴代専属指揮者 金洪才(キム・ホンジェ)
- 音楽監督・常任指揮者 秋山和慶
- 歴代コンサートマスター 小島秀夫(首席) 上野眞樹 伊藤綾乃
- コンサートマスター 田野倉雅秋
[編集] 歴史
- 1963年 広島在住の演奏家の手により「広島市民交響楽団」が発足
- 1969年 名称を「広島交響楽団」に改める
- 1972年 広島県教育委員会から「社団法人広島交響楽団」の認可を受け、プロ改組。当時としては中国・四国地方唯一のプロ・オーケストラがここに誕生した。
- 1984年 当時日本音楽界の重鎮だった渡邉暁雄氏が音楽監督・常任指揮者に就任。演奏内容・楽団規模とも大きく発展。
- 1991年 ウィーン国連事務局とチェコ政府の招きによりウィーンとプラハで「広響国連平和コンサート」を開催。両国で熱烈な喝采を浴び大成功を収める
- 1993年 初の東京・大阪公演を東京芸術劇場と大阪のザ・シンフォニーホールで開催。
- 1994年 広島アジア大会の芸術展示(4月のプレ・イヴェントと8月のオープニング・イヴェント)に参加。また7月の第149回定期演奏会ではポーランドの作曲家、ペンデレツキを招いて彼が作曲した「広島の犠牲者に捧げる哀歌」等を演奏。
- 1995年 戦後50周年を迎えるなか、細川俊夫の「ヒロシマ・レクイエム」、團伊玖磨の交響曲第6番「HIROSHIMA」などを演奏し、世界平和を訴える。
- 1997年はプロ改組25周年を迎え、フォーラム「21世紀の地方オーケストラ像を考える」や、記念パーティー「ファンの集い」など様々な事業を展開。RCC(中国放送)による広響のテレビ番組「ひろしまシンフォニー」もスタート。またフランスの「ノルマンディーの10月」音楽祭に出演。ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」他を演奏。ルアーブル・プレス紙では「広響の素晴らしい演奏は平和と希望のメッセージを放った」と評され、広島のオーケストラとしてのヒューマニズムをフランスの人々に訴えることに成功。
- 1998年 細川俊夫氏に委嘱した新曲「記憶の海へ」~ヒロシマ・シンフォニー~を世界初演。また、首席指揮者・ミュージックアドバイザーとして秋山和慶氏が就任。「就任記念コンサート」を開催。
- 1999年 世界音楽祭「オーガスト・イン・ヒロシマ'99」の主催事業として「広島平和コンサート」を開催し、マーラーの交響曲第2番「復活」を演奏。
- 2000年 東京すみだトリフォニーホールが主催する「第3回地方都市オーケストラフェスティバル」に出演。また、第200回記念定期演奏会を迎え、秋山和慶指揮でレスピーギの「ローマ3部作」等を熱演。この公演はCDとしても発売された。
- 2002年 エストニアの作曲家トゥビンの交響曲第3番「英雄的」の日本初演を行う。
- 2003年 「地方都市オーケストラフェスティバル2003」へ出演。ロシア・サンクトペテルブルグ建都300周年記念祭実行委員会の招きにより、フィルハーモニー大ホールで2公演を行い、絶賛を博した。この公演に際し、ユネスコより日本のオーケストラとしては初となる「文化対話賞(ユネスコメダル)」を受賞。
- 2005年 「日韓友情年2005」の事業として韓国公演をソウル、プサン、テグで行い、その模様はラジオ・テレビで韓国全土に放送された。
[編集] 活動
2001年文化庁による『アーツプラン21』の指定団体となり、各方面から今後一層の活躍を期待されている。現在は、広島厚生年金会館を拠点とする年10回の定期演奏会、呉・福山・廿日市・島根などでの定期演奏会をはじめ、学校コンサートや巡回コンサートなどの市民に密着したコンサートまで、年間約130回に及ぶ演奏活動を行っている。これまでに、「地域文化功労者賞(文部大臣表彰)」「広島市政功労者賞」「広島ホームテレビ文化賞」「第54回中国文化賞」「第17回県民文化奨励賞」「第5回国際交流奨励賞」「広島文化賞」を受賞。