中村北斗
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中村 北斗(なかむら ほくと、1985年7月10日 - )は、日本のサッカー選手である。Jリーグ・アビスパ福岡所属。ポジションは右サイドバック、または右サイドハーフ、ボランチ。
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[編集] プレイスタイル
- 小柄ながら、豊富な運動量と強靭なフィジカルをもつ上、度胸も座っている。
- 高校時代はマンマークを得意とするボランチだったが、福岡、世代別代表では主に右サイドバック、右ウィングバックを務める。元々はFWの選手であり、ドリブル突破など攻撃面での魅力も持つ。
[編集] 経歴
長崎県諫早市多良見町出身。喜々津中学時代はFWとして活躍し、高校サッカー界の名門、国見高校へ進学。1年時からレギュラーを獲得する。当時のポジションはおもにボランチで、対戦相手の「エースキラー」として活躍した。高校時代の3年間で、全国大会優勝4回、準優勝2回を数えた。高校時代の同期に平山相太、兵藤慎剛らがいる。また、現在同じくアビスパ福岡所属の城後寿も1年後輩である。
高校卒業後の2004年、当時Jリーグ2部に属するアビスパ福岡に入団。1年目はクラブでの出場機会はなかったが、翌2005年3月5日、J2開幕戦で初出場・初先発(サガン鳥栖戦)。初得点は同年3月12日の水戸ホーリーホック戦(2得点)。
2005年6月にはワールドユース・オランダ大会に右ウィングバックのレギュラーとして出場。しかし、オランダのクインシー・オウス=アベイエにレベルの差を見せ付けられるなど、チームは1勝もできずにベスト16で敗退した。
福岡でのリーグ戦中盤、足の故障で離脱。その後、10月23日サガン鳥栖戦で復帰、終盤にはボランチとして出場を重ね、攻守にわたり貢献。福岡の5年ぶりのJ1昇格にも貢献した。
現在も2008年北京オリンピック出場をめざすU-21日本代表に召集されているが、2006年11月21日の親善試合(対U-21韓国戦)で右ひざ前十時靭帯を痛め、全治半年の大怪我を負ってしまった。
[編集] 所属クラブ
[編集] 代表歴
- U-18、U-19、U-20日本代表(2003年-2005年)
- 2004年 AFCユース選手権
- 2005年 FIFAワールドユース選手権
- U-21日本代表(2006年)
[編集] 備考
- 「北斗」の名付け親は、10歳上の実兄でプロ野球選手の中村隼人(長男)である。三人兄弟で北斗は末っ子。
- 北斗には隼人のほかにもう一人兄がいたが、次兄も野球をしていた(プロにはなれず)。なお野球の才能が一番あったのは北斗といわれていたが、北斗は丸坊主になりたくない為に早々に野球からサッカーに鞍替えしたといわれる。(しかし国見高校はサッカー部員は丸坊主にしなくてはならないのでやむを得ず北斗も高校時代は坊主だった)
- 「北斗」の名前は兄隼人が、当時流行っていた「北斗の拳」からつけた。
- TBSのサッカー番組の「スーパーサッカー」では「ジャニーズ系Jリーガー」と言われた。
アビスパ福岡 - 2007 |
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