平井正史
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平井 正史(ひらい まさふみ、1975年4月21日 - )は、愛媛県宇和島市出身の中日ドラゴンズに所属する日本人プロ野球選手である。ポジションは投手で、背番号は36番。右投右打。
故障からカムバック賞を受賞するまでに復活を遂げた右腕。右肘に手術痕が残る。
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[編集] 来歴・人物
宇和島東高校時代は1993年の甲子園に春夏連続出場を果たす。その年のドラフトでオリックス・ブルーウェーブより1位指名を受け入団(同い年オリックス同期入団には斉藤秀光)。
入団2年目の1995年シーズンに抑えとして42セーブポイント(15勝5敗27セーブ)を挙げ新人王・最優秀救援投手のタイトルを獲得する大車輪の活躍を見せ、イチロー(現シアトル・マリナーズ)らと共に、オリックス黄金時代(1995年リーグ優勝、1996年日本一)を築く。しかし1996年途中の肘をはじめ度重なる故障に悩まされるようになって次第に登板数が減少、1999年以降の4年間に至っては勝ち星を挙げることができないまま、2002年オフに山崎武司とのトレードで中日に移籍することになった。
移籍後の2003年シーズン、オリックス時代の投手コーチでもあった山田久志監督のもと、先発としてチーム勝ち頭となる12勝(6敗)を挙げる劇的な復活を遂げ、カムバック賞を受賞する。また、打撃においても打率自体は.038と低かったものの、意外なところでの安打やヤクルト戦で決めたツーランスクイズなど、確実な技術の向上が見られた。翌2004年シーズンは、アテネオリンピック野球日本代表として戦列を離れた同僚岩瀬仁紀の代役として抑えを務めるなど、先発・中継ぎとしてフル回転し、リーグ優勝につながる働きをした(この活躍には順番が存在する、その順番はシーズン当初は先発、中盤抑え、後半・日本シリーズは中継ぎとなる。この起用法ながら岡本真也、落合英二、岩瀬仁紀ら共に中日の投手陣を支えた)。
2005年も中継ぎとして奮起したが、9月7日の阪神戦(9.7の決戦)で中村豊にホームランを浴びたりするなど特に後半戦安定せず、中日が連覇を逸した原因になった。
2006年は前半、岡本の不調を受けて、中継ぎエースとして奮起。岡本復調後は岡本、鈴木義広、久本祐一、小林正人、岩瀬らと共にリーグ優勝に貢献した。
[編集] プロフィール
- 身長・体重 185cm、97kg
- 血液型 O
[編集] 略歴
- チームメイトの川上憲伸いわく、中日の選手の中では山本昌と並んで食事量が多いらしい。
- 野球ゲーム「プロ野球スピリッツ2」をはじめ、名前を<ひらい まさし>と誤読されることが多い。
- 『ドカベン プロ野球編』で160㌔の球速を記録している。
[編集] 通算成績(2006年シーズン終了時)
- 55勝36敗40セーブ 防御率3.34 奪三振488 登板数359