宮川
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宮川(みやがわ、みやかわ)
- 河川名
- 日本人の姓の一つ。
宮川 | |
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延長 | 91 km |
水源の標高 | 1695 m |
平均流量 | 36.3 m³/s |
流域面積 | 920 km² |
水源 | 大台ヶ原山(三重県) |
河口 | 伊勢湾(三重県) |
流域 | 三重県 |
![[個人撮影]大紀町にて撮影](../../../upload/thumb/a/a9/Miyagawa1.jpg/300px-Miyagawa1.jpg)
![[個人撮影]大紀町にて撮影](../../../upload/thumb/9/9a/Miyagawa2.jpg/300px-Miyagawa2.jpg)
宮川(みやがわ)は、三重県南部を流れる一級河川。延長91kmで、三重県のみを流れる河川としては最も長い。 国土交通省の一級河川水質調査(BODを基準としている)で、平成3、12、14、15年に1位となっており、清流で知られる。神宮式年遷宮のお白石持ち行事に使用する石は、この宮川の河原から採集する。
目次 |
[編集] 地理
宮川は多気郡大台町と奈良県との県境の大台ヶ原山を源流とし、上流域は近畿の秘境とも日本三大渓谷の一つとも謳われる大杉谷である。大内山川などの支流と合流しながら北東に流れ、伊勢市で伊勢湾に注ぐ。流域には多目的ダムの宮川ダムと三瀬谷ダムの他に11のダムがある。 中流域は茶の産地として三重県内では有名。 河口域にはデルタ地帯を形成しており、最も大きい三角州は人の住む伊勢市大湊町となっている。
[編集] 治水
世界的にも多雨で知られる大杉谷を源流とする宮川は毎年のように氾濫し、大水害をたびたび引き起こした。宮川下流周辺に伊勢神宮があるため、神宮を重視した豊臣秀吉と後の江戸幕府の山田奉行所により治水工事が行なわれ、洪水の被害は激減した。しかし増水に耐えられる橋が下流域に架けられたのは明治期になってからである。江戸時代には神宮のある右岸を偏重する治水工事が行なわれたため、左岸の洪水被害は拡大したという。
1957年に宮川ダム、1966年に三瀬谷ダムが作られてからは宮川下流域で大規模な水害が発生することは永らくなかったが、2004年の台風21号による増水で支流の横輪川が氾濫するなどで、伊勢市において床上浸水203棟、床下浸水97棟の被害となった。この台風21号は上流の旧宮川村においては、土石流などで死者6名他の被害者を出す大災害を引き起こし、大台町との合併による村の消滅を決定的にした。
[編集] 豊富な魚種
宮川流域には三重県のレッドデータブックに記載された種のうち7種をはじめとする90種以上の魚類が確認されている。流域には3つの漁業組合があり、アユ・アメゴ・ウナギなどに漁業権の対象となっている。
[編集] 宮川水系勢田川
伊勢市の中心部を流れる勢田川は河口で五十鈴川と繋がっているが、宮川とは三角州の大湊で接しているに過ぎない。しかし治水目的の勢田川の改修が伊勢市には財政上困難であったため、一級河川に指定する目的で宮川水系であるとされ、河口に水門を儲けるなどの大改修が昭和50年以降に行なわれた。
宮川右岸の伊勢市内の生活排水の大部分は意図的に勢田川に流されている。勢田川は大正時代までは人が泳げるほどの綺麗な川であったというが、人口が増加したことと下水道整備の遅れもあって徐々に汚染が進み、1980年ころには三重県でもっとも汚い川となった。観光地の中心を流れる川がこのような状況では問題であるため、2003年に汚泥の浚渫(しゅんせつ)を行なった他、宮川の水を定期的に流すなどの方法で水質改善を行っている。多くの伊勢市民に待ち望まれていた下水道も2006年より順次供用される。