奉節県
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奉節県(ほうせつけん)は中国の重慶市東部にある県。雲陽県・巫山県・巫渓県、湖北省恩施市・利川市(恩施土家族苗族自治州)と接している。県城(市街地)は長江の北にある。面積は4,099平方キロメートル(重慶市で第2位)、人口は102万人(第7位)。三峡ダムとなる地区で、その住民移動の規模は最大級である。
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[編集] 行政区画
奉節県は16の鎮、11の郷、3の民族郷(土家族)を管轄し、あわせて368の村があり、16の住民委員会がある。
- 鎮:永安鎮、羊市鎮、白帝鎮、草堂鎮、汾河鎮、康楽鎮、大樹鎮、竹園鎮、公平鎮、朱衣鎮、甲高鎮、吐祥鎮、青龍鎮、興隆鎮、新民鎮、永楽鎮。
- 郷:岩湾郷、平安郷、新政郷、紅土郷、石崗郷、康坪郷、安坪郷、太和郷、五馬郷、鶴峰郷、馮坪郷。
- 民族郷:雲霧土家族郷、龍橋土家族郷、長安土家族郷。
[編集] 歴史・沿革
- 紀元前314年、秦が巴国の地に巴郡を設置し、この地に魚復県を設置。
- 222年(蜀の章武2年)、劉備が夷陵の戦いに敗れて白帝城に退き、永安県と改名。
- 280年(西晋の太康元年)、魚復県に名を戻す。
- 554年(西魏の廃帝3年・恭帝元年)、人復県と改名。
- 649年(唐の貞観23年)、奉節県に改名。
- 822年(長慶元年)、劉禹錫が虁州刺史として着任。
- 1667年(清の康熙6年)、大寧県(現在巫渓県)から奉節県に編入。
- 1729年(雍正7年)、大寧県を再び設置。
- 1911年11月26日(宣統3年10月初六)、奉節の人民が辛亥革命に呼応して、清朝から独立を宣言。
- 1935年、川政統一、四川行政督察区制を実行、第九行政督察区を奉節に設置。のちに反乱が起きたため万県に改めて設置。
- 1949年12月3日,奉節和平解放。12月19日、奉節県人民政府が成立。
- 1950年から1997年2月まで、四川省万県専区(現重慶市万州区)に属す。
- 1997年3月、重慶が直轄市となったため、重慶市の管轄下となる。
[編集] 経済
2002年、県の総生産が27.4億元に達する。財政収入は1.93億元となる。
[編集] 名所
白帝城、永安宮、甘夫人(劉備夫人)墓、瞿塘峡の摩岩題刻、南寧鎖江鉄柱などの歴史文化的遺跡、瞿塘峽、小寨天坑、天井峡地縫、龍橋河などの雄大にして峻険、幽邃で秀麗な自然景観がある。
[編集] 外部リンク
- 重庆奉节县人民政府(中国語)